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無邪気な視線

作者: うっかりメイ

 太陽が中天にさしかかり、空が筋雲まじりの薄い青で張りつめているとき、高校生くらいの二人の男の子とひとりの女の子が歩いていた。コンクリートの広い道路と見上げるほど高いビルの狭間で彼らは緊張の面持ちで周囲を見渡す。地平線へ伸びていく道路の端にはぼんやりと空が映っており、まるでその向こうに海が広がっているかのようだ。

「時間かけてきたわりには何もないし、何も起きないじゃない」

 彼女の口から声が出る。つまらなさそうに周囲を見渡す彼女は先ほどまでの好奇心はどこへいったのか。歩みを進める速さも一番遅い。

「面白いじゃないか。オレはずっと歩いていられる気がするね!」

 先頭を歩く少年のような彼はビルの窓から中をのぞきながら跳ねるように歩く。もう一人はひたすら地面を見ながら、どこからか蹴り続けた石ころをコントロールすることに熱中している。

「おい玄ちゃーん。いい天気なのにずっと下向いてるの、どうにかならない? もっと上見て歩こうぜ」

「上なんて見たくないね。雲の形が変なんだ」

 彼の返事を聞いてじっと空を見つめる。ビルの隙間から見える水蒸気の塊は綿あめのように柔らかそうで、美しい。

「こんなに分厚い雲がでているのだから、夕立は絶対にくるね。私、雨嫌いなんだけど」

「沙彩さん、こんなに廃墟ビルがあるんだから、雨宿りしてやり過ごしましょうよ。オレがそれまでに場所を見繕いますから」

 彼女の表情は相変わらずどこか遠くに気を取られているようだ。遥かむこうに広がる水面に思いをはせているのだろうか。

「姉ちゃん出不精だから、歩くのに疲れちゃったんだよ。それに超がつくほど面倒くさがりだから」

「玄太、聞こえてるよ」

 不機嫌そうな表情に加えて、眉間にしわがよる。玄太は恐ろしい表情から視線をそらし、口笛を吹く。音程も調子も外れた音は静かな石の森をこだました。

「あれ、ここ十字路になってる。右も左も何もなさそうだけど」

 彼の言う通り、ビルの切れ間にメインと同じくらいの幅の脇道が続いている。交差点に目印はなく、ひたすら同じ壁面を晒す建築物が立ち並んでいるため、気がつかないのも無理はなかった。三人は何となく左に曲がった。地平線の向こうにはうっすらと山の稜線が見える。

「山に行くの? 虫とかいて嫌なんだけど」

「姉ちゃん文句ばっかりじゃん」

「だって、つまらないから。暗くなる前に帰りましょう?」

「まあまあ、次の交差点でもう一回左に曲がればもとの道に戻れますよ」

 宥める少年に苛立ちを覚える。こいつの落ち着きぶりは一体何なのだ。再び蹴り飛ばした小石がビルの中に入っていった。

「あーあ、こんなところ歩いてもしょうがないから、適当なところに入ってみようよ。何もなければ今度こそ帰りましょ」

「そうだよ、僕もこんなところお腹いっぱいだ」

「オレ暗いところ苦手なんだけどな」

 手近なビルの入り口の前に立ってみる。そこはポッカリと暗闇が口を開けているように見えた。中から吹き出る風はじっとりと暑い。

「すごく不気味だわ」

 少女がポツリとつぶやく。二人の少年もコクリと頷く。別のビルの入り口を覗き込み、とあるひとつに落ち着く。

「ここなら入れそうかな」

 そこは比較的明るい。柱と廊下が並ぶ無限に思える空間。迷い込んだが最後、生還することは絶望的だろう。

「やっぱりここにも入りたくないね」

 誰となくつぶやき、三人は通りを進む。いつの間にか、太陽は中天から地平線に近いところに移動していたらしい。しかし、長い時間歩いたにも関わらず、真っ赤な空を背景に地平線から突き出た稜線は近づかない。ふと、別のものらしき交差点にたどり着いたことに気がつく。

「あーあ、つまらないから左に曲がって帰りましょ。暗くなる前に帰らないと怒られるわ」

 彼女は左の路地へ足を踏み入れる。しかし後を続くものはいない。二人は交差点の中央に鎮座した台座に目を奪われていた。先程まで視界にも入っていなかった、大理石で構成されたそれは職人の技術と叡智が凝縮されたものに見えた。

「何やってるの。早く帰りましょうよ」

「すみません、沙彩さん。どうしてもこれが気になってしまって」

「これなんだと思う、姉ちゃん?」

 心配そうな彼女の声より目の前の物体に釘付けの玄太と少年。仕方なさそうに彼女も台座に近寄る。

 その白い人工物は程よく磨かれており、薄暗い空の下でぼんやりと光を灯している。その天板部にはひとつの手形がくっきりと浮かび上がっていた。その光の指先は今来た方向を指し示している。

 少女は身震いをひとつ。なんとなく気温が下がっている気がした。

「これなんの意味だろうな。それにさっきまでなかったと思う」

 少年が台座の横などに手を滑らせる。凹凸のない石の塊に指紋などはひとつも残らない。

「その手形に手を当てるんじゃないのか?」

 何気なくつぶやいた玄太の言葉に少年は「そうかもしれない」と納得したようにうなずき、その前に立つ。真っ赤な西日を受け、台座に手を押し付ける。数秒の沈黙の後、少年たちは何も起こらないことに安堵のため息をつく。

「なんだ、やっぱり何もない」

 玄太が台座に向けて笑いかけた時、顔を上げた少年に閃光がはしった。入道雲が赤く染まる。そこには二人以外誰もいなかった。

「何がおきたの?」

 沙彩がつぶやく。そんなことを聞かれてもわからない。少年はどこへいったのか?

「ちょっと、玄ちゃん」

「帰ろう! ここから! 今すぐに!」

 思考がうまくつながらない。彼女の手を握り、走り出す。いつの間にか雨が降っていた。地面はあっという間に水に覆われ、赤い雲の這う空を映し出す。

「玄ちゃん、もう走れないよ」

 雨水で足にスカートがぴったり張り付いている。二人は手近なビルのなかへ駆け込む。そこは暗かったが、天井の高い、コンクリートの柱が並ぶ部屋だった。

「ねえ、彼はどうなったの?」

 つぶやく彼女に返事するものは滴る雨音のみ。

「逃げなきゃ」

 彼は誰に向けるでもなくつぶやく。

「わかってるわよ、そんなこと。雨が止んだらすぐに出ましょう」

「いや、多分雨はやまない。僕たちは無理やりにでもここを出なきゃならない。そんな気がする」

 紗彩はかなり迷っているようだ。このような状況になったのは彼女に責任の一端がある。

 近くの廃屋街を探検しようと言ったのは彼女だ。弟の玄太は危険だと忠告したが、いつものように彼女に振り回されていたし、あの友達も彼女の行く先には必ず着いてきた。彼は姉弟をうまくつなぐ存在であったが、ここにはいない。

「ごめん、私がこんなところに来ようなんて言わなければ」

 そのとおりだよ、いつも碌な目に合いやしない。心のなかでつぶやく。海に釣りに行ったときにクラゲに刺されたのだって、山に秘密基地作りに行ってマムシに噛まれたのだって、全部彼女の向こうみずな行動のせいだ。

「そんなことないよ。ここから出ていけば大丈夫さ」

 全て彼女のせいだ。できるだけ目を合わせずに、彼ならどう答えるだろうかと考えながら口を開く。

「ごめんね」

「大丈夫だよ。気にしてないよ」

 いつもより震える声を遮るように考えを巡らせる。彼は何かを見ていた。その結果消えてしまったのだ。ならば直接見なければいいのだろうか? 目を覆い隠し、来た方向をたどればいいのではないか? 来ているシャツの裾をできる限り長く割く。

「ちょっとなにしてるの?」

 彼女が正気じゃないとでも言いたげにその行動を見つめるが、玄太は真剣な面持ちで布の帯を目に当て、何周か回し、後ろで縛る。

「それ、私もするの?」

 嫌そうな声をする方向へもう一本の帯を差し出す。

「多分見ちゃだめだ。見たら連れて行かれるんだ」

「でも帰り道はどうやってわかるの?」

「ここに来た道を戻れることに賭けるしかないね。ビルを出て右の方向へずっと行けはいいはず。ビルの壁を手探りで行けば迷うことはないと思う」

 彼女はなにか言いたげに無言を貫いていたが、観念したようにため息をついた。僅かに聞こえる衣擦れの音に彼は安堵する。二人は手を繋ぎ、出口に向かって壁に手をつく。

 外は口数の少くなった雨粒が地面を叩いていた。玄太は左手で先を探り、右手で姉の手を握る。

「足元がちょっと盛り上がってるから気をつけて」

「うん、ありがとう」

 時折吹く風が頬を撫で、湿ったお腹を冷やしていく。彼女のくしゃみが微かに聞こえる。できるだけ早くここをでなければ。しかし探る手が先へ伸ばす足が焦る気持ち以上に速まることはなかった。足を進める先は大きな穴になっているのではないか? 後ろについてくる少女は本当に沙彩か? 彼をさらったアイツは僕たちを見ているのではないか? 何が起きてもおかしくない状況で思考だけが光速を超える。ふと、足が止まる。行きになかった交差点だ。

「なんで! こんなものあっちゃいけない!」

「どうしたの、玄太?」

 後ろから投げかけられる困惑に彼は限界だった。目の布を取り払う。

 時が止まった気がした。眼の前にはあの台座がおいてあった。前にはぼんやりとした山の稜線、後ろから真っ赤な夕陽に照らされ、放つ存在感で息が詰まる。おそらくあの上には燐光を放つ手形があるのだろう。それはおそらく来た方向を向いている。ちらりと視界の端に何かが映る。一瞬のうちにその正体を理解した。ビルの一角。ひとつだけ不自然に嵌ったガラス戸。火災のときに消防士が入るのに使うあれだ。中央に赤い逆三角形が描かれている。しかしその周りは何だろう。青白い物体が蠢いている。横に極端なまでに引き伸ばされた穴は真っ赤だ。あれは夕陽だ。じゃああの白いものは雲か。違う。笑みを浮かべた人の顔だ。おまけにちらりと見えた顔の目に当たる部分は歯車のような金属製の構造体がひとつ。瞳はどうなっているだろうか?

「ねえ、何が起きてるの? 玄ちゃん」

 彼女の不安そうな声で我に返る。引き寄せられるような好奇心を振り切り、現状を再確認する。僕は沙彩を家まで無事に送り届けなければならない。雨音が強くなる。つないだ手を強く握りしめる。返ってきた感触は同じくらいだ。上げた視線を地面に降ろす。その瞬間、自らの行動の軽率さを後悔する。水面に反射した交差点と、ふたりを取り囲むように聳え立つビルが何かに覆われている。青白い、薄っすらとした輪郭だ。巨大な両の掌が杖のようにコンクリートの直方体をつかんでいる。実体のないそれを受け止めるそれはみじんも揺るがない。瞳は自分の身体に隠れている。しかし、向こうは認識されていることに気が付いている。自分の影からはみ出るように見える三日月は血のように赤黒い。膝が面白いように左右に揺れる。

「玄ちゃん、手痛い!」

 彼女の声で震える足がぴたりと止まる。彼は顔を上げ、彼女を引き寄せる。

「姉ちゃん、絶対に目を開けないで」

 彼女の返事を待たずに抱き上げる。足は自然と前に進む。恐怖を振り払うように雄たけびを上げ、走り出す。ビルが前から後ろへ流れ、気配は徐々に薄れていく。しかし、視線はしぶとく背中に張り付いて離れない。それでも視線の先に見える白い光を目指して駆け抜ける。


 身体が濡れている。学校指定の開襟シャツが肌にぴったりとついている。ひんやりとした感覚に驚き、起き上がった彼は自分の置かれている状況をしばらく理解できないでいた。どういう理由でここに倒れていたのか。視線を横にやると少女が同じように倒れている。彼女のことをよく知っている。幼馴染の沙彩だ。自由で飽きっぽい彼女と放課後の池袋で遊んでいた。しかし、彼女に振り回され、変わりない日常は地面の揺れとともに一瞬で形を失った。彼女と逃げ惑う中、爆音と崩落するビルから降り注ぐ瓦礫が最後に残った感覚だった。それではなぜこうして起き上がることができたのだろう。頭の中で疑問が浮かぶ。隣で倒れている彼女は胸を規則正しく上下させている。周囲を見渡すと、異様な物体が映りこんだ。小さなお堂が彼らの目の前に建っていた。気を失うまでは見た覚えのないものだ。反対側には鳥居もある。池袋の東側にこのようなものはないはずだ。いまだはっきりとしない記憶を探りながら、目の前のことに困惑する。ましてや開けた広場に宗教関係の建物など見た覚えがない。

 彼が首をかしげている間にも状況は刻々と変わっていく。一番はっきりとした変化は再び地響きが起こったことだ。東の方角で火柱と爆発音が鳴り、空を黒い影が横切る。強風から守るために沙彩に覆いかぶさる。再び顔を上げた時、周囲はひび割れた石の広場と根元から折れた木のみ。

「玄ちゃん、苦しい」

 身体の下から声が聞こえる。慌てて飛び退くと、沙彩が目を覚ましていた。

「ごめん。沙彩が怪我するとよくないから」

「何がどうなってるのかわからないけど、ありがとうね」

 ふたりはこの後どうするか話し合い、避難場所となっている自分たちの高校へ向かうことにした。広場にはだれもおらず、不気味さを感じ取りながらも彼は彼女の手を引く。恐ろしい夢の続きを歩んでいるのだ、と思いながら。

思いのほか長くなりました。夏が終わるのと、最近見た映画が面白かったので、ホラー系を書きたくなりました。


面白いと思っていただければ幸いです。

読んでくれた方にはぜひ続きを考えてみてほしいです。

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