第2章 Hの空想
1階大キャンバス前にHは居た。
わたしは彼の前に姿を現す。
「F!今日はあたしの所に来てくれたんだね、嬉しいよ!」
「ええ。Hの世界観を見ておきたいの。」
「うんうん、いいよいいよ。今日はね、ドロップアートをするんだ。Fも一緒にやろう!」
「ありがとう。」
大キャンバスの横に大きな鏡がある。そこには嬉々として絵具を用意するHの姿と、不安げに立ちすくむわたしの姿があった。顔に出てはいけない。ここの住人に知られるわけにはいかないのだ。
「よし!準備出来た。やろ!」
Hが頬を赤らめながら、パレットを差し出す。
一緒に作品を作るということは住人たちにとってかなり深い意味を持つ。頑固な作家はアトリエに入るのを禁じるほどだ。わたしはなぜか4人からそれを許されている。好き嫌いの激しい彼らが人を許す。ましてや住まわせて弟子に取るなんて本来ならあり得ないことだ。これが彼らなりの恋心だと知っていたし、わたしも悪い気はしていなかった。
パレットを受け取るとHは自分の分のパレットを持って、筆にたっぷり絵具を染みこませるとバシッと弾いた。飛び散った赤い絵の具が、返り血みたいだ。と不謹慎なことを思った。その後も、青、緑、オレンジといろいろな色を弾いていく。
わたしは見よう見まねで貰った小さなキャンバスに弾いていく。
1時間もした頃、Hが筆をおいた。
「うん、書けた。」
そこには自然豊かな山奥が書かれていた。絵の隅にはアサガオが咲いている。
「Nに頼まれた表紙絵。」
「すごい。」
弾いて書いたとは思えないほど繊細に描写された山がそこにはあった。今にも飲み込まれてしまいそうなほど自然豊か色彩豊かなそれはHの心理描写を表しているようだった。
明るく、元気。みんなの妹的存在。
緑に混じって見える赤やオレンジがそんなイメージを強くさせた。
「あぁでもこれじゃ足りないな。」
「えっ。」
黒の絵の具を筆に含ませると一思いに波を描くようにキャンバスを殴った。
その一筆だけでさっきまでの長閑な自然は消え失せ、不穏な殺人事件を想像させる山々となる。
「怖い・・・。」
「Nの作品に合わせたらこうだよね。怖がらせてごめんね。」
Hが絵具まみれの手でわたしの頭を撫でる。その手は優しく温かかった。
「さ、ご飯にしようか。今日はあたしが作るよ。」
しばらく頭を撫でたのち、Hは私の手を取ると嬉しそうな表情をした。
『作家Hは、空想を現実に書き起こす作家。どんな美しいものも簡単に壊してしまう。』