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貿易都市アレグロ9

 穏やかな風が、二人の間を抜けていく。火の精霊たちによって外気温をコントロールしているディムロは、寒風を感じることもなく歩を進めた。死霊術士であるウィニは、僅かに身を縮こまらせながら、【薬草大全】を持って歩を進めるディムロを追いかける。


「あの、ディムロさん。森の奥に入るのは危ないのでやめましょうね」

「ああ。おそらく私も君も、自分の実力にはある程度自信を持っている。だが、互いの実力を信頼し合えているわけではないからね」


 それはそうだろう、とウィニは口に出さずに内心考える。今のところ、実力を見せ合うことすらしていない。どこか浮世離れした、希薄な雰囲気を持つ青年ディムロが戦っているところなど、見たことがない。精霊術士ということは聞いているが、全身に武器らしい武器も持たず、装備は初心者の冒険者が来ているような量産品。死霊術士として灰色のローブを着ているだけのウィニとて、人のことを言えた義理ではないのだが。


「でも二人とも、多少の敵なら問題ない。そうだろう」

「それはそうですけどね」


 マイペースなディムロに何を言っても無駄だろう、とウィニは諦め半分でため息を吐き出した。精霊術士、死霊術士――名前は似ているが、その立ち位置も似ている。近い場所での戦闘を好まず、基本的には敵と距離を取って戦う職業だ。もっとも、前衛を喚び出せる死霊術士は、必ずしも純粋な後衛というわけではない。


「【紡げ、冥府の環】」


 ウィニが古いコトバで語りかければ、世界の理がほんの少しだけ歪む。死者の魂は冥府の環をくぐり、『魂の回廊』と呼ばれる通路を抜け、やがて冥府にたどり着く。死霊術士が喚び出すことができるのは、未だ『魂の回廊』を彷徨う魂たちだけだ。真に冥府にたどり着いてしまえば、そこは生者が手を出せる場所ではない。


「【汝、生ける者を探す朧火なり】」


 冥府の環――突如空中に浮かび上がった、白と黒の蛇から成る環。その間の空間は、夜空を泥と混ぜたかのように、黒と白と灰を入れ替えながら形を変える。その空間から現れた青白い炎は、頼りなく揺らめきながらもウィニのそばに控えるように漂った。

 冥府の環は、空中に溶けるように消えていく。


「これは?」


 恐れた様子もないディムロの問いかけに、ウィニは少し驚きながらも答えた。


「【迷い火(イギウォル)】……私たちより強い生命の力に反応して燃え盛る火です。誰かを探しながら、息絶えた魂のなれの果てと言われています」

「へぇ……」


 僅かに驚いたように、宙空にふよふよと浮かぶ青白い火を眺めるディムロ。


「すごいね。これ、本物の火じゃない。精霊たちが不思議そうに見てる」


 ディムロの何気ない言葉に、ウィニは本気で驚いた。精霊が見える精霊術士(・・・・・・・・・・)など、初めて見た。が、【迷い火(イギウォル)】にさして驚いた様子を見せなかったディムロに謎の対抗心が湧き、軽く眉を潜めるにとどめる。


(落ち着いて、私。精霊が見えているように振る舞う精霊術士だっているのよ……)


 死霊術士であるウィニは、精霊の存在を感じ取ることはできる。精霊とは世界中に存在する、いわば『希薄な自我を持った現象』である。魔力が不自然に濃かったり、体内オドの変化を微細に感じ取れたりするのならば、そのそばには精霊がいるのである。


 そして、ディムロの周囲にいる精霊は、そのほとんどが火の精霊だ。


 ウィニの体内オドがこれ以上ないほどに熱を持っているし、なによりディムロの周囲は不自然に寒くない――というよりは、暖かい。


 半歩ほどディムロの方に寄りながら、ウィニは口を開いた。


「【迷い火(イギウォル)】がいれば、私たちより強い生物に不意打ちを受けることはなくなります。大型の魔獣なら、まず間違いなく【迷い火(イギウォル)】の探査に引っかかります」


「便利だね。精霊たちはそういう細かいの苦手だからなぁ……」


 困ったように周囲を見回すディムロ。精霊たちは繊細な魔力操作や、細かい指示を聞いて実行することを苦手としている。色々言われると、やる気をなくしてしまうのだ。


「西の森を焼き払ったりしないでくださいよ?」

「大丈夫。その辺の手加減は得意なんだ」


 自信満々に言い切るディムロにそこはかとない不安を感じながら、ウィニは西の森に踏み込んだ。湿り気を感じる地面を踏みしめながら、ディムロとウィニは奥へ進んでいく。


「メルフィリア草は、澱んだ池のそばに生えるらしい」

「池……一応、心当たりがありますね」

「じゃあ、そこに向かおう」


 この男はもしかして、二人とも心当たりがなかったらあてどなく森の中を彷徨うつもりだったのかとウィニは戦慄する。あまりにも常識知らず、あまりにもマイペース。飄々とした態度が不快感を抱かせず、むしろ『この人は放っておくとどこぞでのたれ死んでいるのでは』という不安を浮かび上がらせる。


 流石に「もうちょっと考えてください」とウィニが忠告しようとした瞬間、目の前に浮かぶ【迷い火(イギウォル)】が勢いよく燃え上がった。


「うわっ、何!?」

「魔獣です! この反応だと、かなり大きいですよ!」


 ランタンの炎程度だった【迷い火(イギウォル)】は激しく明滅し、そのサイズを成人男性の上半身を包み込めそうなほど膨れ上がらせていた。


 ウィニの脳裏に、いくつかの候補がよぎる。資料室で資料を読み込んでいたウィニは、大まかな生息魔獣の知識が蓄えられていた。その中で、森の浅い部分で遭遇の可能性があり、自分たちよりも大きい魔獣といえば。


「おそらくですが、【六角鹿(ディロクト)】です!」


 森に住む肉食性の魔獣の名を挙げたウィニの前に、気負わない様子でディムロが立ち塞がる。


「【火よ】」


 呟きと同時、ディムロの掲げた右手の上にひとかたまりの火が現れる。ゆらゆらと、頼りなく揺らめく火の玉。その様子を眺めながら、ディムロの耳は鼻息荒い声を捉えた。この呼吸音には聞き覚えがある。アレグロに来る途中でも、何度か遭遇した旨い魔獣だ。


「【紡げ、冥府の環】!」


 ガッ、ガガッ、という力強く地面を踏みしめる音、荒々しい呼吸音、さらに枝を踏み折り、細い木すらなぎ倒して迫る音が聞こえる。その音はまっすぐ自分たちの方へと向かっており、その自慢の角で突き刺し、ひき殺すつもりであることを感じ取れた。


「【汝、生ける者を阻む白骨なり】!」


 冥府の環から漂う3つの青白い魂はすぐに、ウィニの死霊術士としての力によって現世での形を与えられる。白骨の姿を与えられた3つの魂は、ウィニの思い通りに蠢き、駆け寄る敵を掴み阻まんと人間よりも太い腕を形作る。3本の腕は互い違いに組み合わさり、人にあらざる握力で、木の幹を握り混んだ。それはさながら、骨でできた蜘蛛の巣のようだった。


 次の瞬間、ウィニを狙っていたらしい【六角鹿(ディロクト)】が木々の間から勢いよく飛び出してきた、が。がっしりと組まれた骨の腕を突破することはできず、太い木を揺るがすだけに留まった。


 ウィニが次の手を冥府の環から喚び出そうと改めて息を吸い込んだ瞬間。体内オドが瞬時に燃え盛るように熱を持ったのがわかった。


(なっ、にこれ……!?)


 焼けた空気を吸い込んだように息が詰まる。だが、実際の空気は燃えていない。ただ、ウィニの少し前に立つ男――ディムロが掲げる火が、姿を変えずにとんでもない熱量を放っていた。


 ウィニにはわかる。今、前に立つ男の周囲に、膨大な量の火の精霊が渦巻いていることを。それは十数体から成る火の精霊たちの仕業だった。


 精霊たちは気まぐれだ。気に入った人間にしか手を貸さないし、それとて、わざわざ気に入った人間のもとに集まる精霊はいない。精霊術士たちは、自分と親和性の高い精霊が多い場所で力を発揮し、それ以外の場所ではさしたる力を振るえない。


 それが精霊術士だ。だというのに、森の中で火の精霊を。


「【貫け】」


 槍の形い変貌した火が、一瞬で【六角鹿(ディロクト)】の胸部を貫き、自分たちよりも遙かに大きい【六角鹿(ディロクト)】が抗う事もできずに地面に倒れ伏すのを見て。振動が、自分の体を大きく揺らすのを感じて。


 ウィニは改めて、自分とパーティを組んだディムロという男の非常識さを肌で感じることとなったのだった。









 舌打ちをひとつ。

 どうやら相手の戦力を見誤っていたらしい、と感情を抑えられぬままに爪を噛む。気配を完全に隠し、絶対に見つからないほど遠くから監視をしていた。街からなかなか出ない時はどうしようかと思ったが、いざ街を出たと思えばこれだ。【六角鹿(ディロクト)】は7等級の冒険者二人で対抗できるわけがない相手。それでも、万全を期したはずだった。


 完全に油断しきっている森に入ったばかりの場所まで誘導し、遭遇時の一撃で殺すつもりだった。木々の間から、髑髏の紋様を持つ少女を見て、苛立ちを込めてもう一度舌打ちをする。ネクロマンサーを生かしておく必要はないし、あの精霊術士はこちらの計画を邪魔する可能性があった。


 いったいどこの誰が余計なお世話を焼いたのか知らないが、おかげで計画が狂った。あのネクロマンサーのせいで低かったリスクが跳ね上がり、精霊術士のせいで計画の根幹を作り直すほかなくなった。


 これ以上引っかき回される前に、と万全を期した結果がこれである。とはいえ、今回以上の干渉はしない方がいいだろう。易々と殺して口を封じることができる相手ではない以上、不安要素を押してでも決行するしか方法はなかった。この獲物――いや、敵に対して存在が露見すれば、敵対する可能性がある。


 それならばいっそ無関係なまま進めた方が、介入されるリスクは少ないだろう。殺しきれなかったことはぐちぐちと言われるかもしれないが、どうせ奴に私以上の手駒はいないのだから――


「っ……!!」


 一瞬。真紅の瞳と、目が合った。あのいけ好かない精霊術士ではなく、その肩に乗った、珍妙な蜥蜴。


 わかるはずがない、と理性が叫ぶ。どれだけ離れていると思っているのだ。遙か空を舞い、地表の【灰鼠(ソール)】すら見分けるという【孤鷹(セィウェルグ)】のごとき眼でなければ、見抜くことなどできるものか。


 真紅の瞳が逸れた瞬間、私はその場から自分が出せる最高速度で離脱した。その行為そのものが、『見抜かれた』という直感を肯定しているようで。


「……くそがッ!!」


 誰もいない森に、罵声が響いた。

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