貿易都市アレグロ8
普段はギルド公認宿に泊まっているのだ、とウィニは語った。ネクロマンサー、死霊術士としてのウィニの立場は微妙なものらしく、冒険者としてやっていく実力はあるのだが、偏見や風評被害が彼女の冒険者生活を難しいものにしていた。例えば、依頼は受けられるのに、依頼人に会うと職業などに色々と難癖をつけられて断られてしまう、など。
冒険者ギルドとしても、依頼の達成率は悪いが捨てるには惜しい人材であること、とはいえ今すぐ利益を産んでくれるわけでもないことから、定期的に資料整理の依頼を彼女に出し、各冒険者ギルドの資料室を整理する役目を負っているのだとか。
「とは言っても、アレグロに来たのは10日ほど前なので、まだまだ整理できてないんですけど……」
恥ずかしがるように笑うウィニは、今はフードを外して往来を歩いていた。左手に覗く髑髏の紋様と同じ模様のイヤリングを両耳から下げている。鴉の羽のような漆黒の髪に、輪郭がぼやけた灰色の瞳。その容姿はディムロから見ても整った可愛らしいものだったが、耳元のイヤリングに気付いた人間はびくりと体を震わせて、そそくさとウィニの進路から外れていく。
「……避けられてるな」
「まあちょっと便利だなとは思います。ナンパされることもなくなりましたしね、はは……」
自嘲気味に笑うウィニだが、ディムロは『存外図太いらしい』、とウィニの評価を改める。
「今日は依頼はなかったんですよね?」
「ああ」
アーバから、薬草調合の手伝いの依頼は出ていなかった。けれど、ディムロとしてもウィニの部屋にお邪魔するのも、ウィニを部屋に連れ込むこともしたくはなかった。きっとあることないこと言われるだろうし、というディムロの判断は、珍しく常識的だったと言えるだろう。
「でもアーバ翁のとこで読めば、わからないところ質問できるなって思って」
「……ディムロさんって、怖いもの知らずですよね」
しみじみと呟くウィニの隣、ディムロの肩に乗ったイギマが見えないようにこっそりと頷いていた。
『怖いものも常識も良識も知らぬ』
『うるさいよ』
イギマのぼやきに脳内で苦言を呈し、ディムロはアーバの薬屋の扉を開けた。
「アーバ翁~」
「あん? なんだ、薬でも買いに来たのか」
こちらをちらりと見やった鳶色の瞳の老人は、入ってきたのがディムロだとわかるとすぐに興味を失って調合作業に戻った。天秤に異なる粉末を乗せ、重さを量ったあとに器に移し、湯を加えて乱雑に練り込んでいく。その作業には一切の遅滞がなく、かなりやり慣れた作業であることが窺えた。
その様子を数秒見ていたディムロは、即座に諦めた。今は、あの技術を見て盗めるほどの技量がない。見ていても無駄だ。視線を逸らし、店内の薬を見ていく。外の討伐依頼を請け負う予定はなくても、薬が必要になる事態はある。
「打撲に効く軟膏か……これが一番使いそうか。火傷に効く軟膏。これは必要なし、と。切り傷……風邪……咳……下痢……色々あるなぁ」
ブツブツと呟きながら、陳列棚の周りをうろつくディムロ。『ディフィミズの軟膏――強く打って紫色の場所に塗る』と書かれている平たい瓶を手に取り、奥のテーブルに持って行く。
「アーバ翁、これください」
「……ちっ。金貨1枚だ」
ちょうど調合作業が終わったところに声をかけられ、アーバは舌打ちしながらも立ち上がって会計をしに来た。ディムロは言われた通り金貨を1枚支払うと、アーバが調合作業に戻ってしまう前に声をかける。
「奥、上がってもいいですか? 邪魔にならない位置でコレを読ませてください」
ディムロが【薬草大全】を掲げると、本をちらりと見た後、アーバはディムロの隣で縮こまっているウィニに目を向けた。
「そいつは誰だ? 儂は自己紹介もできん奴を招き入れるほどお人好しじゃねぇぞ」
ディムロはそれを『自己紹介すれば入って良し』という意味だと受け取った。捻くれ者の相手なら慣れたものだった。
「ほら、ウィニ」
「はっ、初めまして! 死霊術士です!」
「変な名前だな」
「間違えました! ウィニと申します!」
緊張した様子で言い直すウィニを微笑ましく見守りながら、ディムロは【薬草大全】を片手に奥へと進んだ。そこには昨日はなかった小さな座卓と座布団が置いてあり、素直じゃない爺さんだ、と内心で苦笑する。
「……ふん。すぐに儂に泣きついてくると思ったがな、まさか昨日の今日で女を口説いてくるとは」
「口説っ……!?」
口を開けて絶句するウィニをよそに、ディムロは苦笑する。
「人聞きの悪いことを言わないでください、アーバ翁。まあ口説いたことには違いありませんが」
アーバ翁はまた鼻を鳴らし、ウィニの言葉と左手の髑髏の紋様を見て目を細める。
「死霊術士の名前がウィニ、か……」
「わ、私の名前が、なにか……?」
怯えたように後ずさるウィニ。アーバの眼光は鋭く、気の弱い者ならば泣き出しそうなほどに迫力がある。その様子を見ると薬師ではなく、冒険者や兵士を名乗った方が説得力がありそうだった。
「……知らぬのなら、無理に知る必要はないだろう」
それだけ言うと、アーバは再び調合作業に戻った。ディムロはウィニを手招きで呼び寄せ、昨日の時点でわからなかった単語や読めなかった言葉を質問していく。
ウィニはその居心地の悪い空間に気後れしつつも、ディムロの質問に答えていくのだった。
「薬草採取の依頼ですか? 確かにありますが……」
冒険者ギルドの受付嬢は首を傾げる。貿易都市アレグロにおいて、西の森は貴重な資源を採取できる森だ。魔獣もそれなりに生息しており、北の山脈ほどではないが危険度は高い。とはいえ、多くの人間が近辺の珍しい素材を求めているため、西の森、北の山に行けない冒険者はほとんどいない。
「2人で受けたいんだが」
「それはまあ、おひとりでもおふたりでも構いませんが。パーティを組んだことは知ってますし」
受付嬢は、友人でもあるウィニの様子をひっそりと窺う。このディムロという青年からは悪い雰囲気を感じなかったので、ウィニが少しでも外に出るきっかけになればと思い紹介したのだが、昨日の今日でここまで信頼されるものだろうか。
もちろん、それはほとんど人を疑うことを知らず、ネクロマンサーという職業に偏見がないディムロだからこそ、スムーズに信頼関係を築けているという裏の事情があるのだが。
「そうなのか。二人で受けると何が違うんだ?」
「まあ、報酬が折半になるくらいですね。達成の記録は両者ともに記録されます」
「……へぇ」
『悪用できそうな制度だな』
実際、金に困っていない貴族が高位の冒険者と依頼を受け、等級をあげるという行為はわりと起きる。
「昔はパーティ登録制度とか、パーティごとの等級が決まっていたりしたんですけど、管理があまりにも大変なので、なくなったんですよね」
2年以上活動実績がない人は強制除名ですし気をつけてくださいね、と笑えない情報を付け加え、受付嬢は木板を見る。
「で、本当に受けるんですか? 薬草採取依頼。これ、難易度高いですけど」
薬草採取の依頼は報酬がいいので初心者には人気だが、彼らはすぐに気付く。素人が手を出して良いものではない、と。薬草の判別には知識が必要であり、なおかつ採取方法も様々なものがある。もちろんそれを専門にする冒険者も、数は少ないがいないわけではない。とはいえ、街の外にある薬草を採りに行くのは危険が伴い、戦闘能力がある者はもっと割の良い討伐依頼を受ける。
なので、薬師を連れての護衛依頼という形で出されることが多い。むしろ需要としてはそちらがメインであり、冒険者が単独で薬草を採取するのは無謀であるとすらされており、迂闊に採取場所を荒らそうものならば、目をつけられる可能性すらあった。
「受けます。一応、練習も兼ねてるので」
ディムロとしても、採取場所を荒らす気はなかった。昨日、アーバの店で読んだ薬草の判別を実地でやりたいと思いながら冒険者ギルドに訪れたら、依頼があったから受けてみようかと思っただけであった。
「それなら止める理由はないですけど。納品はメルフィリア草という薬草です。お間違いのないようにお願いしますね」
「心得た」
【薬草大全】のメルフィリア草のページはすでに見つけてあった。こういうのはやってみないと始まらない、とディムロは意気揚々と冒険者ギルドを後にした。
『しばらくは街中の依頼だけ受けるんじゃなかったのか?』
『そのつもりだったけど、まあ別に用があるなら外に出てもいいよね』
『……それはまあ、そうだが……』
ディムロの言葉に、ため息を吐き出すイギマ。精霊術士たちは気まぐれであり、気分屋でもある。
「そ、そういえば、ディムロさんって戦えるんですか……?」
「うん?」
そういえば話したことはなかったか、とディムロは心配そうなウィニに気楽に手を振った。
「まあ、大丈夫だよ。ウィニだってそれなりに戦えるだろう?」
「ま、まあ、それはそうですが……」
死霊術士とは、冥府の環を通じて死者の魂を呼び出し使役する者のことを指す。現世に顕現できるほどの魔力を持つ者は少なく、そのほとんどが霊体という形を取るが、中には『魔神』と呼ばれる強力な自我と能力を持つ個体も存在する。
ディムロは知るよしもないが、その『魔神』という呼称もまた、死霊術士迫害の原因のひとつであった。
死霊術士が生み出すのは不死の軍勢だ。もちろん、使役する者の魔力が尽きれば彼らは冥府へと還るのだが、魔力尽きない限り、彼らはほぼ無限に現れる。時間と手間さえかければ個人で大軍勢を形成することも可能であり、おとぎ話の中に敵として出てくるには都合が良い職業だった。
「ま、色々見せ合うっていうのはどうかな。死霊術士、初めて見るから興味あるしね」
「はぁ……」
ディムロは気乗りしない様子のウィニを気遣うこともなく、二人と一匹はアレグロの門をくぐり、西の森へと向かうのだった。