貿易都市アレグロ6
「ふぅむ……」
翌日、1人で冒険者ギルドを訪れたディムロは、依頼板を前にして首を傾げた。
【下水施設の清掃】
依頼主:アレグロ役場のキュウル
報酬:銀貨1枚
備考:清掃範囲は役場でお伝えします。
「ふむ……」
その板を取り、依頼板に戻す。隣の板も見てみる。
【鼠の駆除】
依頼主:農家のミラ
報酬:銅貨15枚
備考:納屋を荒らす鼠の駆除。3日後に鼠被害がなくなっていれば報酬を渡します。
【魔獣の討伐】
依頼主:アレグロ私兵団のマルファ
報酬:銀貨3枚
備考:魔銃討伐隊の同行を願う。
注意事項:西の大森林に詳しい者に限る。
推奨等級:5以上
「すまない。聞きたいことがあるのだが」
「はい、なんでしょう?」
昨日登録を手伝った受付嬢に声をかけると、ちょうど手が空いていた彼女は明るい声で応えた。すでに日は昇り、ギルド内の喧噪も一段落ついたところだった。
「この『推奨等級』が書かれていない依頼は、誰向けなのだ?」
「ああ、それは人気がない依頼でして。端的に言えば、『誰が受けてもいい依頼』ですね。だいたい駆け出しでお金がない人が受けます」
「なるほど……」
あとは貴方のように寝坊して、めぼしい依頼は全部かっぱらわれた人とか、という言葉を、受付嬢はギリギリ飲み込んだ。彼は昨日冒険者になったばかりなのだ。これからゆっくりと知っていけばいい、2等級のマハに目をかけられているようだし。
「ふむ、助かった。ではやはり、これを受けよう」
【薬草の調合手伝い】
依頼主:薬師のアーバ
報酬:銅貨30枚
備考:薬草の選別・保管作業・調合などを手伝って欲しい。
ディムロが差し出した木板を見て、受付嬢は奇妙な表情をした。止めるべきか、しかし一か八かに賭けるべきか……葛藤の末、警告の声をかけることにしたらしい。
「あの、この依頼は2ヶ月ほど出されたままで、未だに達成した人がいません。依頼主の方が気難しくて、会ってすぐ帰らされた人もいますが……よろしいですか?」
「ん、ああ。なるほど。まあものは試しだ」
言われてみれば、その木板は埃を被ってくすんでいた。
「……そうですか。一応、依頼を複数回に渡って失敗すると解雇になることもありますので、お気をつけください。冒険者ギルドでも罰則がありますので」
「承った」
木板に冒険者ギルドの剣と盾を示した判が押され、受注は完了した。受付嬢は背後の棚からディムロの登録用紙を取り出し、その横にさらさらと依頼受注の記録を記していく。
「で、この薬師のアーバという人はどこにいるんだ?」
「そういえば、ディムロさんはアレグロに来たばかりでしたね。冒険者ギルドを出て、左に6軒ほど行くと薬屋がありますので、そちらになります。討伐依頼を受ける前には、薬を買っていった方が安心ですよ」
「なるほど……まあしばらくは街中で仕事をしようと思っています」
幸い、お金はまだまだある。雪霊石がなぜあんなに高く売れたのかは、マハが丁寧に教えてくれた。
雪霊石は、極寒の場所でのみ生成される霊石――自然のマナが詰まった触媒なのだという。希少性も高く、それはただ寒いだけでは完成しないからなのだとか。詳しくはわかっていないが、雪山周辺でしか見つからず、石自体が柔らかな冷気を放ち、貴族用の冷暗室に利用されるため需要が高く、そのくせ雪の中に埋まったりしていて発見されづらい。見つければ一攫千金のため、探す者は多いが、アレグロでも年に数個見つかるかどうかというレベルなのだとか。
『幸運だったな、ディムロ』
『そうだね』
近くまで寄ればディムロはその妙な気配に気付いただろうが、遠くならば見つからないだろう。運が良かった。
「じゃ、行ってきます」
「はぁ。行ってらっしゃい……?」
挨拶された受付嬢は、怪訝な顔をしながらも冒険者ギルドを出て行くディムロとイギマを見送った。とことん冒険者のセオリーを外してくる相手だ、と首を傾げながらもディムロと蜥蜴を見送り、受付嬢は書類を整理する仕事に戻った。
『そういえばロパルの奴が騒いでいたぞ。暇すぎると』
『……仕事が終わったら外に出すか』
一方外に出たディムロとイギマは、雑談を交わしながら人混みの中を歩いていた。貿易都市と言っても、住んでいる人間の生活がある。冒険者ギルドがある地区は、比較的そうした地域住民の生活に関わる店が多かった。早朝から激しい活気がある『市』の喧噪は遠い。
そして悲しいが、今のところロパルが手伝えそうな力仕事はなかった。ディムロとしてはロパルの魔霊獣としての力は仕事に大いに役立つと思ったのだが、募集がない以上どうしようもない。
「ここか」
『意外と近かったな』
イギマの呟きを聞き流し、ディムロは店頭に置かれた看板を見る。そこにはなにやら煙を上げている細長い棒状のものが描かれていた。その下には文字が書いてあり、かなり崩された文字だったがディムロはそれを正確に『アーバ』と読み取れた。
「入ります」
宣言して扉を開けていくディムロ。目をつむったイギマがやれやれと首を横に振ったが、それはディムロを多少ふらつかせる以上の効果はなかった。
「客か?」
むっとするような蒸気と、種々様々な香りが入り混じった空間。天井近くまで埋め尽くされた薬草の棚、手前に並ぶ軟膏、瓶詰めの液体、何かわからない生物の爪に皮。そんな店の奥から、不機嫌そうなしゃがれた男の声が飛んだ。
「失礼ながら、客ではありません。冒険者ギルドの依頼を受けて参りました、ディムロと申します」
『ビビってんな』
『うるさいイギマ』
ディムロの脳裏によぎるのは、悪戯した結果、棒を持って追いかけてくる眼光鋭い老爺の姿だった。里で一番足の速かったアロズが捕まり、首根っこを掴んで放り投げられる。続いてラミルティアが放り投げられて悲鳴を上げたかと思えば、視界が真っ青な空色に染まって――
ぶるり、とディムロは体を震わせた。
「……ふん。奥まで来な。最低限の礼節はあるようだね」
どうやら何らかの試しを突破したらしい、と判断しディムロは足を進めた。奥の部屋では何かを煮詰めているのか鍋が火にかけられ、蒸気がもうもうと上がっている。白の蒸気すら射貫いて光る眼光が、ディムロに改めて里長の姿を思い出させて体が強ばる。
ディムロは一段高くなっている土間には上がらず、座って作業をしているアーバらしきお年寄りを窺う。アーバはただでさえ鋭い目つきをさらに細めてディムロを一瞥し、薬草をすり潰す作業に戻った。
そのまま3分ほど、ゴリゴリとすりこぎが薬草をすりつぶす音だけが響いた。時折イギマとディムロが居心地悪そうに身動ぎするが、声もかけず、土間に上がることもしない。一通りすり潰し終わったのか、アーバが瓶にすり潰し終わった薬草を詰める。
「……上がりな。その蜥蜴も一緒でいいよ」
「はい」
いそいそと土間の上に上がる。アーバが靴を脱いでいたので、ディムロも習って靴を脱ぎ、大人しく座る。その様子を威圧感たっぷりに眺めていた老爺――薬屋のアーバは、ぼそりと呟いた。
「感謝しな、若造。あんたを育てた人に」
「……」
意味がわからず、目をぱちくりさせるディムロ。
「あんたはここに上がるとき、靴を脱いだ。観察して考える力があるってことだ。あんたはここに来たとき、最初に客ではないと告げ、礼儀を尽くした。礼儀を守らなきゃあ、叱る奴がいたってことだ。あんたは少しの間、儂の仕事を邪魔しなかった。職人の仕事は繊細だってことを、身をもって教えた奴がいたってことだ」
アーバが儂は、と呟く。
「アーバだ。敬意を払う相手には敬意を払う。名前は」
「ディムロと申します」
「ディムロ……良い名前だな」
わずかに相好を崩したアーバに、ディムロは驚いた。自分の名前をいい名前だ、と言うのは里の人間だけであったがゆえに。
「……失礼ですが、意味をご存知で?」
ディムロの問いかけと、イギマの真紅の瞳に見つめられながら、アーバはふんと鼻を鳴らした。どうやらそれは、この老爺の癖であるらしかった。
「古い言葉だ。ディ=ム=ロゥ……『空の心を持つ』。どこまでも自由に、悠々と生きてほしい……そういう意味の名前だ」
「アーバ翁……」
ディムロが感極まった様子で言うと、アーバはぎょっとした目つきでディムロを見た。
「翁はやめろ翁は! 儂はまだ若い!」
「おいくつで?」
「67」
イギマとディムロはなんとも言えない顔で黙り込み、アーバが怒鳴った。
「心の問題だ! このクソガキ、厳しく行くから覚悟しろ!」
どうやら、依頼はさせてもらえるらしいと安堵したディムロが、鬼のようなアーバの指導に悲鳴を上げることになるのは、わずか数十分後の出来事であった。
「寒かった……」
アーバの店を出たディムロは、木板を片手にぼそりと呟いた。普段は火の精霊たちが外気温を適温に保っているが、そのことに気付いたアーバに鬼のように叱られた。薬草の調合、選別は様々な要素によって配分が変わる繊細な作業であり、外気と違う気温を纏っているなど言語道断だと。
それもそうだと思ったディムロが周囲を漂う火の精霊達に通常の気温に戻してもらえるように頼むと、案外、外は寒かった。着ているものがもらった革鎧や防寒具ではなく、普段の服だったら耐えられなかったかもしれない。
他にも様々な薬草の処理の手順を半日で教え込まれ、『使い物にならん!』という一言とともに、アーバの店を叩き出されたのだった。だが、その際にアーバは二つのものをディムロに投げ渡していた。
『年を食うと捻くれるものだな』
『……そうだね』
『なんだ貴様、その生暖かい瞳は』
右手に持っている木板――割り符を見て、ディムロは相好を崩した。とりあえず、依頼は達成したらしい。外に出たからには火の精霊達に頼んで再び外気を調整してもらう。すでに日は落ちかけており、冷気が足下から忍び寄りつつあった。
「【火よ 照らせ】」
ディムロのコトバに反応し、火の精霊たちが明るく光る火の玉を浮かべる。その明かりで視界を確保したまま、ディムロは独り言を呟いた。
「勉強してこいってことだよね」
『素直にそう言えば良いものをな』
割り符と一緒に投げつけられた分厚い本――厳めしい文字使いで【薬草大全】と書かれたそれを眺めながら、ディムロは達成感に浸ったまま、冒険者ギルドを目指したのだった。