貿易都市アレグロ5
「……ふう」
初めての街。あまりにも多い人の視線に、少しずつ精神を削られていたディムロは借りた一室でため息を吐き出した。着ている服をゆっくりと解き、肌着だけの姿になる。鍛えられた筋肉に、明らかに太い両足。体力には自信があったディムロだが、それでも人の視線を気にしながらの移動は疲れる行為だった。
「【火よ】」
まとわりついていた二体の火の精霊が、喜び勇んで火を熾こす。一瞬だけディムロの体を駆け回った炎が、体表面に付着していた垢や塵を焼き払った。
「あとで水も貰うか……いや、買わないとだめか?」
『大丈夫ではないか? このあたりは、水は豊富だろう』
今の季節は初夏。雪山に降り注いだ雪も、ゆっくりと溶け始めていた。雪解け水は川となり、貿易都市アレグロの北から南へと流れている。
「ロパルを連れてきてから視線が倍増したような……」
『あの小娘の言うとおり、従魔の証がなければどうなっていたかわからんな』
冒険者ギルドにて冒険者登録と従魔の首輪を購入したあと、二人と一匹は一度街の外に出ていた。冒険者登録してあると、基本的に街の出入りは自由になる――とはいえ、日没後はそうは行かないようだが。
ロパルに従魔の首輪を嵌め、街中を引き連れて歩く。これが視線を大量に集めた。どこぞの異国の王子が物見遊山でもしているのか、と噂を呼んだ。ディムロ自身、鍛えられた体つきを持ち、見慣れない民族衣装を纏い、巨大な【朧火馬】を連れている。噂もあながち間違いではなかった。
「それで、明日からどうするかなぁ」
極論――当面の資金は偶然だが手に入った。旅するのに必要な冒険者証明書も手に入った。ゆえに、貿易都市をすぐに離れても問題はないのだが。
『しばらく腰を据えてはどうだ? 冒険者とやらも、級が上がるとかなり待遇が違うぞ』
「それなんだよねぇ……」
冒険者の実績は、紙媒体で都市ごとに管理されている。都市を移動すれば依頼達成の実績はなくなり、残るのは等級だけ。7級は最低ランクのサポートが受けられるが、6級、5級と上がるにつれてそのサポートは無視できないものになっていく。特に、冒険者ギルド公認宿屋の割引はかなり得ができると言えた。
『豪勢な恩恵は、おそらく冒険者を都市に縛り付ける目的があるのだろう。冒険者がいなければ、周囲の魔獣を間引けず、待っているのは滅びだ』
「なるほどね……」
妙に詳しいイギマの解説に頷きを返しつつ、ディムロはしばらくこの都市に滞在することにする。冒険者としての依頼に慣れておくのはこれから先大切なことだし、なにより同族がいるかどうかを探し切れていない。腰を据えて探してみるのもいいだろう。
「それに、【火の一族】として有名になれば、向こうから接触してくるかもしれないし」
ディムロが集落を出た大まかな目的は『同族探し』である。他にも様々な要因が重なりディムロが出向くことになったのだが、このあたりは追々語ることにしよう。
ディムロの首元の無骨な革紐からは、くすんだ灰色の鍵が2本ぶら下げられていた。
「夕食、か。いったいどんな料理が食えるのやら……」
『我の分も頼むぞ』
「わかってるわかってる」
マハから無理矢理持たされた、男物の簡単な衣服と革鎧を四苦八苦しながら着込み、ディムロとイギマは香ばしい匂いに釣られて下の階に降りていった。
「おお! 精霊術士様じゃないか、見違えたね! ちょいと頼みがあるんだが、いいかい?」
恰幅の良い女主人が、両手をエプロンで拭いながら声をかけてくる。少し寒そうだ。
「食堂なんだけどさ、いまいち暖炉の火付きが悪くて。夕食は豪華にするから、ちょいと暖めてくれると助かるんだが」
「任せてくれ」
得意分野だ、とディムロは内心でほくそ笑む。魔獣との戦闘もそれなりにこなしてきたが、ディムロの得意分野は火入れだ。誰よりも早く火を入れ、誰よりも永く火を保つ。火の管理に関しては、誰にも譲る気はなかった。
食堂奥にある暖炉の様子を見ると、確かに熱が燻っている。火の精霊も数人いるが、どうもやる気がない。どうやら、火種を感じてやってきたが、いまいち燃えづらい薪だったようだ。煙が上がっている。
「燃えてはいるが、少し熱が足りないか――【火よ】」
声をかけると、火の精霊たちが文字通り飛び上がった。火の精霊たちは体の所々が揺らいでいる小人の姿をしているが、彼らが一斉に舞い上がり、ディムロの方を驚いた様子で眺める。
そして、次の瞬間競うように火を薪全体へと回し始めた。
「【志は別れ、異なる道行きを示せ】」
ディムロは火の精霊たちを半分ずつに分け、片方は暖まった空気を食堂全体へと流し込むように伝える。もう片方は、薪を熱で乾かしながら燃焼を継続させる。
先ほどまで燻っていた火は、やがてゆっくりと勢いを増す。ディムロは暖炉脇に積まれている薪の束から数本薪を取り出すと、丁寧に竈の中の火に積み重ねる。ディムロから放出された魔力を食べ、火の精霊達は久しぶりのご馳走に、心から嬉しそうに踊った。
『流石は【火之護人】だな』
『まあね、これくらいは』
元からずっとディムロに着いてきていた火の精霊たちが、正確にディムロの意思を読み取り、食堂全体を人間にとって過ごしやすい空間に変えていく。すでに日は落ち、気温が下がり始める夜。それでも、この食堂だけは穏やかな気温が保たれていた。
「できましたよ、女将さん」
「ん、もうかい? そんなに早くできるもんなのかい――って、こりゃあすごいねぇ……」
厨房から入った瞬間に空気が変わっていた。宿の女将は、長年この『馬の蹄亭』を仕切ってきた優秀な女将だ。そんな彼女からしても、ここまで居心地の良い空間ができていたことはなかった。どうしても、竈から離れた場所では寒く、近い場所は暑いという温度のムラが生じてしまうのだ。そのムラが、今日に限っては存在しない。広い食堂がまんべんなく温められていた。
「こんばんは、今日もよろしくお願いしまーす……ってすっごい、何コレ!? ガンガン燃やしたの!?」
厨房から顔を出した給仕の少女も驚いた様子で食堂の中を小走りで駆け回った。女将は脳天気な給仕の様子にため息を吐くが、それほど嬉しかったのだろう。
「そこの精霊術士様のおかげさ、確かディムロさんって言ったっけ?」
「あ、はい」
「ディムロさん! 精霊術士なんですね、ありがとうございます! 私はアマリエといいます、よろしくお願いします!」
栗色の髪を二つ結びにして、黄色がかった瞳を輝かせた少女がディムロの手を取って跳ねる。
「はー、それにしてもすごいねぇ。比べちゃあれだけど、前精霊術士様に頼んだときはそうでもなかったのに……腕が良いのかねぇ」
「まあ、火入れはそれなりに。魔獣と戦うのはさほど得意ではないですが」
「冒険者としてそれはどうなんだい?」
ぶんぶんと両手を上下に振られながら、困ったように笑うディムロ。その様子を見た女将が、ペシッとアマリエのお尻をはたいた。
「こらっ、お客様が困ってるだろ! さっさと着替えてきな!」
「はーい!」
本当にありがとうございまーす!と叫びながら厨房の奥に消えていったアマリエに、女将はやれやれと首を横に振った。
「許してやってくれ、ずっと食堂にいると気温差がキツいらしくてね」
「いえいえ、誰かの助けになったなら良かったです」
「約束通り、一番高い料理を出すよ。もちろん、追加の料金なんていらないからね」
黙って頭を下げるディムロ。馬の蹄亭では、宿泊料金に朝・夕食代が含まれているのだが、追加料金を払えばエールを追加したり、食事内容を豪華にできるシステムだった。まだ食べたことがないのでディムロからは何も言えないが、火入れと温度調節はたいした手間ではなかった。
「もし負担じゃなかったら、定期的にやってくれないかい? もちろん、食事は豪勢にするよ」
少し考え、ディムロは頷いた。
「居るときでよければ、ということと、知り合いに『良い腕の火の精霊使いがいる』ことを適当に話してくれるなら、いいですよ」
「そんなことでいいのかい? 任せな、これでも顔は広い方なんだ」
自らの胸を叩き、朗らかに笑う女将。受付の入り口から入ってきたマハが、『なにこれあったか!?』と叫ぶのを見て二人で笑い、ディムロとイギマは入り口が見える席に陣取った。もちろん、これから入ってくる客が驚愕の叫び声を上げる瞬間を見るためである。
「おーいマハ、こっちこっち」
「……」
何か言いたげな顔をしたまま、すすす、と近寄ってきたマハは、ため息を吐きながらディムロの正面に座った。ここ数年、ここまで気楽な調子で自分を呼ぶ者はいなかった。自分で選んだ道とはいえ、それでも少しばかり人恋しくなっていたのかもしれない、とマハは内心で自嘲気味の思考を浮かべた。
(私にそんな資格はないのに……)
ネガティブな思考を打ち切るため、マハはディムロに話を振った。
「……で? この食堂があったかいのは、ディムロの仕業なんでしょ?」
「もちろん。私は【火之護人】だからな」
僅かに誇らしさを覗かせたディムロは、続けて口を開く。
「しばらく、この街に滞在することにしたよ。同族を探しながら、冒険者として依頼をこなすつもりだ」
「……そう。わかったわ、何か助けてほしいことがあったら、声をかけて」
「この服は明日返す。今日の視線は少々堪えたのでな」
革鎧の部分を軽く叩き、ディムロは申し訳なさそうな顔をする。明日街中で何か服を見繕う必要がありそうだった。マハは肩を竦め、首を横に振った。
「別に、あげるわよ。私が持っててもしょうがないし、先輩からの激励だと思って」
「そうか、助かる。ありがたくいただこう……ところで、なんだが」
ちらり、と周囲を見渡し、ディムロは誰も聞き耳を立てていないことを確認する。夕食とするには早い時間なので、まだ食堂にはディムロとマハ以外は誰も来ていなかった。
「なぜマハが男物の服と皮鎧を持っているのだ?」
しん、と沈黙が降りた。
『おい』
『ん? なんだイギマ』
『……いや。お前に言っても無駄か……』
諦めた様子で首を横に振るイギマ。机の上で丸くなり、体全体で『我は何も知らん』という態度を取る。
一瞬だけ意表を突かれたように固まったマハは、緩く笑って言葉を口にする。
「私の過去がそんなに知りたい? 口説かれているのかしら」
「いや……口説いてはいないが……」
マハが浮かべた微笑を見て、ディムロもようやく悟る。これは、踏み込まれたくない、マハの過去そのものなのだと。
「すまなかった。不躾なことを聞いた」
すぐに頭を下げたディムロを見て、マハはため息を吐いた。
「いいわ。確かに、普通は気になるでしょうから。でも、冒険者達は多かれ少なかれ、言いたくないことがあるものよ。思った疑問をすぐに口にするのは美徳とは言えないわね」
「そうなのか……今後、気をつけよう」
それから、アマリエが非常に高いテンションで料理を運んでくるまで、ディムロとマハの間は奇妙な沈黙が降りたままだった。