貿易都市アレグロ3
「にゃはは。なかなか見事な自爆だったねぇ」
両手を頭の後ろで組んだ少女――マハの言葉に、ディムロは大きく頷いた。貿易都市アレグロの領主の娘、ミフィエラ・ル・アレグロという少女は、領主としての風格はあれど、少しばかり性格に難があるようだった。
「しかし、本当にお金を払わなくても大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。こう見えて、私結構稼いでるし?」
にしし、と悪戯っぽく笑うマハ。二人はすでに貿易都市アレグロの中に入っていた。ここは物流の中心、というわけではない。北の方角には厳峻なる世の果て山脈が横たわり、帝国の中では最北端に位置する都市である。
ここが貿易都市と呼ばれる原因は、北の山脈と西の森から産出される霊石、魔獣素材にあった。希少な素材をやり取りしたいが、昔、アレグロでは貨幣の価値があまりなかったのだ。半ば辺境と化していたアレグロでは貨幣よりも物々交換が主流であり、その名残が今も残っている。希少な魔獣、霊石素材を物々交換するために、多種多様な特産品が集まる――ゆえに貿易都市。
「助かった。まさか街に入るのに苦労するとは思わなかったからな……」
マハは雇われた冒険者だった。雪霊石の入手と捜索を請け負っており、過程はどうあれ報酬を受け取ることができた。自分で発見した場合の追加報酬はもらえなかったが、それでも3日間の護衛にしては少なくない報酬が手に入った。あのまま目標を達成できなかったら、この都市の領主の娘の心証すら悪くなっていただろう。ゆえに、その幸運をもたらした青年――ディムロに、しばらく街の案内と説明係を買って出たのだった。
理由はそれだけではないが。
「まぁ、不安だからね。お兄さん見てると。妙な服着てるし……」
「妙……?」
ディムロが自分の服を見下ろす。ディムロが身にまとっている服は、伝統的な【火の一族】のものだ。赤と紺の布を基調にして、数枚の布を体に巻き付けて結ぶ。隙間が多いが、耐火性に優れる。激しく動くとひらひらと視界の端を横切るのが珠に傷。
「だって、寒そうじゃん」
あっさりと告げたマハに、ディムロは納得した様子で頷く。確かに、北の大地にあるアレグロで過ごす人々は、全身を防寒の服で覆っている。隣を歩くマハも、全身を分厚い布で覆っていた。首元も耳も覆われている。冷気が入り込むのを防ぐためだろう。
「【毛牛】の毛皮を使ってない人なんて久々に見たよ。見てるだけで寒くなるね」
もちろんディムロが――というより、【火の一族】が軽装なのには理由がある。周囲を【火の一族】が移動するとき、だいたい暇な火の精霊が一人二人ついてくる。多いときは十人ほどになったりするが、一人もいなくなるということはない。彼らは【火の一族】のそばを漂い、【火の一族】が過ごしやすいように環境を整える。もちろん火の精霊なので、温度操作に限定されるが。
なので、ディムロはどんな格好をしようと寒くなるということはない。火の精霊が外気を暖めてくれるからだ。とはいえ、どうやらこの街では悪目立ちしてしまうようだった。
「なるほどな。先ほどから妙に私を見る視線が多いのはそのためか」
「うーん、あと肩に乗ってる蜥蜴のせいかなー」
『お前のせいだぞイギマ』
『こいつ……』
マハの口調と周囲の視線から、原因の8割が服装のせいだと見当がついているイギマは、態度で不満を示すに留めた。不毛な言い争いをするつもりはない。
「マハ。私と似たような恰好をした者に心当たりはないか?」
ディムロの大まかな目的は同族探しだ。【火の一族】――かつて故郷を追われた一族の生き残りがいて、現状に不満があるのならば、ぜひ雪山の集落に招きたいと考えている。
「いやー、私は見た覚えはないかなー」
「では、私のような紅玉の瞳を持つ者は?」
「え、うーん……目が赤い人はそれなりに……?」
自らの真紅の瞳を強調するように顔を寄せてくるディムロに、マハは体の間に両手を挟みながらわずかに後ずさる。
(こ、この人、マイペースすぎる……! 害意も敵意もないから油断してたけど、こんなグイグイ来るタイプだとは……!)
じりじりと下がるマハに対し、ディムロはさらに踏み込んでいく。
「ただの赤い目ではない。この真紅の煌めきがわかるだろう?」
「た……確かに綺麗な目ですね……?」
なぜ私は今日会ったばかりの男の目を褒めているのだろう、と困惑しながらマハはなんとか距離を取ろうとさらに後ろに下がる。よくも悪くも、このディムロという男は人の平常心をかき乱す存在だった。
「わかるか? そうだ、この輝く紅の瞳をどこかで見た覚えはないか?」
「み、見た覚えはないですが、遠い異国に、ルビーの瞳を持つ人がいる、という噂なら……」
それより! とマハは声を荒げた。
「んん? 急にどうした?」
「こっちの台詞ですよ、それは。もう……」
身を乗り出すことをやめたディムロに、マハは人差し指を突き付けた。
「これから先、どうするつもりですか? 同族探しが目的なのはわかりましたが、身分証も持たないあなたでは、様々な都市で門前払いを食らうでしょう」
マハの言は事実であった。貿易都市アレグロが所属する国家は、北に覇を唱えるアムール帝国。多少腐っている部分はあれど、コネも身分もない者が飄々と旅をするには厳しい国柄であった。武を持って国家を保つ軍事国家。豊富な魔獣、霊石、鉱石素材を売り、食料を得ている。南の王国は潜在的な仮想敵国であり、身元の怪しい人物に対する処遇はかなり苛烈である。
「私は【火の一族】を探している。それは避けたいところだな」
肩に乗っているイギマを撫でながら、ディムロは呟いた。
「【火の一族】……」
数百年前に絶滅したと言われている一族の名前を聞き、マハは顔をしかめた。ありもしない空想を追いかける冒険者は珍しくもないが、その中でも【火の一族】を追っているなどと。
彼の発言からは嘘の気配は感じないが、それは当然だ。彼は自分が本当に【火の一族】の生き残り、もしくは子孫だと信じているのだろう。マハは内心で確信する。このディムロという青年は、自分のことを【火の一族】と信じ込み、仲間を探している変な奴だと。大丈夫だ、精霊術士の中にはこういう手合いは多い。自称【火の一族】の末裔、自称【水の一族】の子孫なんて輩はかなり見てきた。
「あまり、その目的はおおっぴらに話さない方がいいわよ」
マハは善意で忠告する。
「ん? そうなのか、わかった」
ディムロは素直に同意した――このことによって、近い将来に大量の誤解と勘違いを生むことになるのだが、二人は未来を見通す賢者ではない。どこかズレているディムロとのやり取りで、認識の齟齬が生まれるのは、ある意味当然のことでもあった。
「まずは宿を選ばないとね。何か希望はある?」
「野宿で構わないが?」
「街中で野宿なんかしたら、凍死するか通報されるかどっちかよ。安宿でいいってことね」
スラムならともかく、街中の土地の保有車は厳格に定められている。不当に場所を占拠すればすぐにお縄だ。とはいえ、この世間知らずの青年を治安も悪い安宿に放り出すことには少し抵抗を覚えるマハ。
「私が泊まっている宿でよければ紹介できるわよ? 安宿じゃないから多少値は張るけど」
「それはありがたい。お願いする」
『もうちょっと人を疑えよ……』
イギマのぼやきを聞き流し、ディムロは呆れた様子のマハについて移動する。マハ自身がかなり稼いでおり、田舎者を騙くらかすほど生活に困窮してないから、これは確かに純粋な善意である。だが、人の善意ほど移り変わるものはないと知っているマハも、声は聞こえないがイギマと同意見だった。
「あ、あと早めに冒険者登録しないとね。ロパルもずっと外じゃかわいそうでしょう?」
「都市の中に入れるのか?」
【朧火馬】のロパルは、都市の中には入れないと言ったのは他ならぬマハのはずだった。さすがに道理の通らない話に疑問を覚えたディムロの問いに、マハは肩を竦めて返事をする。
「あのままじゃ流石に無理よ。身分証もなしにミフィエラ様のゴリ押しで入れたようなものだからね。冒険者登録して身分証ができれば、従魔登録して入れるようになるわ。騎乗は街中では禁止されてるから気をつけなさい」
説明を受けたディムロはなるほどとうなずいた。確かに、馬車の中に押し込まれた時外ではごちゃごちゃとやり取りが続いていた。結局馬車の中は改められることなく、都市の中に入れたのだが……それはここの領主の娘であるミフィエラの権力によるものだったらしい。
「あ、私が泊まってる宿には馬小屋もあるから、心配しなくていいわよ」
心配も何も、想定すらしていなかったが、問題ないならいいだろうとディムロは鷹揚に頷いた。肩のイギマが吐いた重いため息がのしかかる。
「待てよ? なんでロパルはダメでイギマは入れてるんだ? 街中でも普通に出してるし……」
通り過ぎる人々はディムロの肩に乗るイギマをちらりと見るが、驚いたり怯えている様子はなかった。従魔の登録はしていないのに、だ。
「あー……ここは貿易都市だからね。珍しいペットは見慣れてるんだよね……」
『ペット⁉︎』
「ぶふぅっ!」
イギマの悲鳴のような声に耐えきれず、ディムロが吹き出した。笑いを堪えるように肩を震わせるディムロの後ろ首を、イギマの尾が何度も叩く。
「ペット……! イギマがペット……!」
『貴様笑いすぎだぞ! おうこら! やんのか!』
「あっ痛い痛い痛い! 爪立てないでペッ……イギマ!」
『殺す!』
捕まえようとするディムロの手を掻い潜り、爪立てと尻尾ベシベシを繰り返すイギマ。楽しそうに笑うディムロちじゃれあうイギマの姿に、マハはぽかんと口を開けていた。
「楽しそうに笑えるじゃないの……イギマくんも可愛いわね。ちょっと賢すぎる気もするけど」
精霊術士の中には、魔獣と意志を交わす者もいる。冒険者として豊富な経験を持つマハは、2人の様子を見て羨ましそうに目を細めた。