日常
昨日は雨が降った為に空気が澄んでいた。まだ冬の寒さが残り、吐く息は白い。東の空が白み出し、もういくらか時が過ぎれば日が昇るであろう早朝に慌ただしく準備を始めている青年がいた。
「何で朝ってこんなに忙しいんだよ!っとにもう!」
青年は自分が惰眠を貪っていたせいでするべき準備が滞っていることを朝のせいにし、慌ただしく動いていた。
「えーっと、手袋に着替えと後は・・・あっ!!。弁当準備するの忘れたぁ。時間がない!どこかで調達しよう。またマルットさんの店の世話になるか。んで、朝飯は・・・これでいいや!」
青年はテーブルの上の籠の中から赤いマンゴーの様な楕円形の果実を一つ上着のポケットに入れた。
「よし!準備完了っと。さて、今日も頑張るか!」
勢いよくドアを開け明るくなりかけた空を見て深呼吸をする。
「今日は気持ちがいいな!行くか。」
青年は革で出来た半長靴に元は白かったと思われる所々落ちない汚れのついた綿のズボン、上は臙脂色の厚手の長袖に深い緑色のコートを羽織っていた。お世辞にもそれは綺麗な恰好ではなかったが青年の容姿がその恰好を似合わせていた。彼の容姿はがっしりとした筋肉質で身長も人にしては高く、髪は焦げ茶色で両サイドを刈り上げ生れ付きの柔らかい髪を後ろに流していた。目鼻立ちははっきりとしており、特に目元は鷹の様な鋭い目つきながらもくっきりとした二重が好印象を与えていた。
「今日の仕事は確かドーラさん家の家畜小屋の解体だったなぁ。・・・!あの現場ってマルスのおっさんの現場じゃねぇか!ついてねぇ!!あのおっさん、仕事は出来るんだ けどうるさいんだよなぁ。」
一人でこれから始まる仕事の内容にうなだれていると腹の虫が騒ぎ始めた。
「そういやぁ朝飯食ってなかったっけ。」
そういうと今朝がた上着のポケットに入れた朝食を思い出し、ポケットから赤い果実を取り出すと薄い皮を手で剥きそれにかぶりつく。
「んーちょっと早かったかな。あと3日ほど置いとけばいい味になったのに。」
少し熟れてない果実を頬張りながら歩いていると不意に声をかけられた。
「おはよう!」
「ん?あぁ、おはよう。」
元気よく挨拶をしてきたのはポニーテールが良く似合う女性だった。
「何をぼーっとしてるの?」
「何、今日の現場の事を考えてたら少し憂鬱になっただけだよ。」
「んもう!グランったらまたトーマさんの悪口?」
「人聞きの悪い事言うなよ、ミリア。ちょっと愚痴っただけだ。」
「ふーん。まぁいいわ。みんないい人なんだからあまり悪口は駄目よ?」
「ハイハイ、わかってますよ。(みんなミリアにはいい人なんだよ!)」
「もー、反省しない人にはお弁当はいらないわね。」
ミリアと呼ばれた女性は意地悪な笑みを浮かべながら手に持った包みをグランの目の前にちらつかせた。
「ミリアさん、私は海より深く反省しております。どうか私に昼食を恵んで下さい!」「仕方ない、そこまで言うならこれをあなたにさしあげましょう。」
寸劇のようなやり取りに満足したのか、ミリアは屈託のない笑顔で手に持つそれをグランに渡した。
「ありがとう、ミリア!でも、何で今日俺の弁当が無いってわかったんだ?」
「何年幼馴染してると思ってるのよ!朝から歩きながらフランの実を齧ってる所を見るとどうせ寝過ごしたんでしょ?」
「何も言えないな。」
グランは苦笑いを浮かべながらミリアには勝てる気がしないと思った。
「でもよく二つも弁当持ってたな?そんなに大食いだったっけ?確かに付いてる所にはついてはいるが。(幼馴染の俺が言うのもなんだけど整った顔立ちにライトブラウンの髪、控えめで無い胸にくびれた腰に肉付きの良い脚回り。)」
グランはミリアをつま先から頭までを一通り見ながらうんうんと頷き納得する。
「グラン?あなた、フランの実が最後の食事でいいみたいね。」
ふとミリア見ると先の屈託の無い笑顔は何処へ行ったのか、悪魔の様な笑みを浮かべて拳を固める彼女の姿があった。
「まてまて!ミリア、俺に悪気は無いんだ!」
「無邪気も度が過ぎると、怒るわよ!それは私のお弁当よ!」
「へっ?」
「私はギルドでお昼食べれるからいいのよ!グランは現場でしょ?無いと困るからあげるわよ。ただし!その入れ物お気に入りだから絶対返してよね!」
「ありがとう。今度なんか奢るよ。」
「じゃあ、マルットさん所の『スペシャルハニースフレ』ね!」
「あいよ。(こりゃ高い弁当代になりそうだ。)」
「じゃあ私はこっちだから。グラン、頑張ってね!」
そう言うと彼女は軽快にギルドの方へと歩いて行った。すると彼女と別れてしばらくするとグランに声がかかった。
「やぁ、グラン。おはよう。今日はどの飯にするんだい?」
よくとおる元気な声でグランに声を掛けたのはマルットと呼ばれるおばちゃんだった。
マルットは少しふくよかな体型をしていて猫の様な細い目をした愛嬌のある顔なのだが
背丈が高く、並みの男なら見下ろせるくらいの大女だ。
「悪い、マルットさん。今日は弁当があるんだよ。」
「こりゃ珍しい!あんたが早起きして弁当用意するなんて雨でも降るのかねぇ。」
「雨は昨日降ったろ。違うよ。ミリアが弁当くれたんだよ。」
「なるほど。そういう事か。あんた、ミリアちゃんに感謝しなよ。」
「毎回感謝しきれないほどしてるよ。」
グランは乾いた笑いをしながらマルットに返事をした。
「しかし、ミリアちゃんもねぼすけの上客に弁当つくり始めたらどうしようかね。朝の売り上げが減っちまうじゃないか。」
「安心しなよマルットさん。弁当のお礼に店の『スペシャルハニースフレ』をご馳走する事になってんだから。」
「そりゃいい!ミリアちゃんたいしたもんだ!これなら毎日弁当作ってもらわなきゃね!」
「勘弁してくれ。こっちの財布が持たないよ。」
「間違いない。気張っておいで!」
マルットはご機嫌に笑いながらグランを見送った。
マルットと他愛の無い話を終わらせてからグランは目的地へと向かっていた。目的地へと近づくにつれて同じような恰好をした同業者と思われる人が増えていく。その中にグランがよく知った人物を見かけたので声をかけた。
「ガマ!」
「ん?おぉ!グランか!この時間に会うなんて珍しいじゃないか。」
グランが「ガマ!」と声を掛けた人物はガマ・イスタ。ガマはグランの職場の同期として辛い下積み時代を共に過ごした信頼のおける親友でもある。
「そうだな。いつもはもっとお前が遅いんだ。今日は早いんだな?」
「見ろよ、このデコの痣!」
「酒場で喧嘩でもしたのか?」
「違ぇよ!どっかの飲んだくれの医者と一緒にすんなよ!」
「ははっ、悪い。それでどうしたんだよ、それ。」
「それが、今朝がたいつものように二度寝してたらな?急にベッドの上に飾ってあった置物が落ちてきたんだ。」
「そりゃ日頃の行いのせいだろ。」
グランはあきれたように話す。
「違うんだって!置物は壁に取り付けた棚に固定してたんだ。それが棚ごと落ちてきたんだよ。こんな事ありえるか?」
「大方ネズミが棚の支柱でも齧ってたんだろ。」
「俺もそうだと思うよ。まったく、ついてねぇな。」
「ついてないと言えば今日俺とお前の行く現場はマルスのおっさんの現場だぜ。」
「本当か!?あぁ、駄目だ。もう帰りたい。今日は碌な事が無さそうだ。」
ガマは額を抑えてうなだれる。そんなガマを見て笑うグランはガマの背中をポンと叩き仕事へ向かっていく。