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紅の精霊術師  作者: 柳泉 米李
第一章 契約
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第8話「それぞれの夜」

 最神家から少し距離の離れたところにある公園にて。


 

 ――俺は精霊術師にはならない。

「……オレ、なんか悪い事しちまったかな……」


 ヒートは一人公園のベンチに座り、夜空を見上げてぽつりと呟いた。

 透矢との契約の決裂からおよそ小一時間、ヒートは特に行く当ても無く周辺をほつき歩いていた(正確には飛び回っていた)。


 その後、結局一時間ほど飛び回って行きついたのがこの公園だ。

 朝にいた公園より雰囲気は大人びており、土地は割と広く、土の歩道のわきの植栽しょくさいには背の高いケヤキが植わっている。周囲にはレトロな街灯がぼんやりと温かみのある光を降らせ、ヒートの座るベンチの後ろには、直径二十メートルくらいの噴水から、水が休むことなく静かに噴き出していた。


 ヒートはそれからずっと透矢とのやり取りを振り返っていた。



 ――お前は何も悪くないよ……。でも、とにかく今は契約できない。


 

 自分は何も悪くない。しかし、契約は出来ない。

 とにかく、ヒートにはその意味が分からなかった。自分が悪くないのならなぜ、透矢は契約することを拒んでしまったのか。やはり自分の発言が透矢の何かを揺るがせてしまったのか。



 ――出て行ってくれ!

「うちゃ……」



 ほんの一時間前に訊いたその言葉は、ヒートにとってあまりに大きく、今もその言葉が耳に焼き付いて離れない。透矢は、やはり何かに傷つき、そしてまた苛立っていたのだろうか。

 ――そういえば。



 ――今……カズナリって言ったか……?



 透矢は、たしかそんなことを言っていた気がする。ヒートがカズナリという精霊術師の話を始めてからの事だ。ヒートの記憶が正しければ、確か透矢の様子がおかしくなり始めたのは、確かその辺りからだった気がする。


「……トウヤとカズナリ………ダメだやっぱしわかんねーや」


 考えるのにもそろそろ飽きてきたヒートは、自分の体が汚れていたことをようやく思い出すと、後ろにあった噴水に飛び込んで体を洗い始めた。


「――うちゃ! 冷てぇ!!」




 *



 再び場所は変わり、ここは湯谷家ゆたにけ。その二階に位置する輝の部屋である。

 部屋の明かりはつけられておらず、カーテンの開け放たれた窓から零れる月明りだけが薄暗く部屋の中を照らし出す。


「……大丈夫かな……」


 ベッドの上で仰向けで寝転がる輝は、無機質で暗い天井を見つめて呟いた。

 昼は後ろで束ねていた紺碧の髪も、今は解かれて鳥が羽を広げるようにぱらぱらと広がっている。その姿は、一見女子とも見間違いかねない。


「……まだ心配なさっているのですか。大丈夫ですよ、そんな直ぐにバレることじゃないですから」


 輝の頭の上の方から中性的な声が響いた。

 そこにいたのは一匹の小さな仔龍だった――大きさはヒートとほぼ同じくらいの、小型のドール人形サイズ。体表は薄い空色で、爬虫類のように鱗で覆われているが、みずみずしいつやがある。前足はアシカの前ヒレのような形状をしており、背筋のヒレと人魚のような尾びれは淡い藤の色だ。


 瞳はブラックダイヤモンドのように黒々と光り輝き、額には体を丸めた古龍のような紋章が埋め込まれていた。鼻すじは細く伸び、知的な印象を際立たせ、左右のこめかみらしき部位から尾びれにもよく似たヒレが生えている。


「……でもマイム、傷みられちまったんだぜ? 流石にまずいんじゃないか……?」


 輝がマイム、と呼んだその龍は、額の傷に手を添えながら不安げに問う輝に、やれやれと長い首を横に振った。


「テルは心配性なのですね……。大丈夫ですよ、傷を見たくらいであなたを精霊術師と疑うのは精霊術師くらいです。それにこのご時世、精霊の存在を信じている変わり者なんてそういません」


 マイムが丁重な言動で輝を慰める。

 輝は精霊術師だったのだ。パートナーである精霊は目の前にいる龍、属性【流水】のマイムである。精霊術師は、基本的に精霊術師以外の他人に精霊術師である、という正体を明かすことは決して許されない。逆に、それを向こうから察されたとしてもである。


 しかしマイムの言う通り、このご時世で精霊術師はおろか精霊の存在を信じているような人間はそういないので(いたらまず宗教的な何かか、今すぐ病院へ行くべき重傷者の二択である)そう神経質になるほどのことでないのも確かである。


「……そ、そうか……」

「……しかし」


 安堵しかけた輝に、マイムがそれを遮る。


「まだ、安心できたというわけではありません。少々トウヤと接触しすぎたというのも確かです。彼との距離感は少々考えるべきかと思いますよ」


 マイムは淡々と言い放った。

 しかし、それは輝にとってはそう簡単なことではない。ここまで打ち解けた同級生に対し、どのように距離を置けばいいのか。やりようによっては、嫌われることも否めない。


 しかし、マイムが淡々とそう言ったのも、輝のことを考えての事である。長年付き添ってきたパートナーとして、人間の心の成長に寄り添うのもまた精霊としての役目である。


「……透矢が傷つかない程度に、それなりに距離は置いておくことにする」

「……はい……そうですね。では、私はそろそろ眠りますね」

「……ああ、お休み」

「おやすみなさい、テル」


 そう答えたマイムの声音からも、どこか悲しさが見え隠れしていた。

 自分のパートナーとその友人との距離を離させることは、とてもつらい事だった。何しろマイムは、かつての輝の姿を知っている。髪色が災いし、人との交流を避けてきたかつての彼の姿を。

 

 マイムは長い身体を丸めて、藤の色をした尾を枕のようにすると、静かに寝息を立て始めた。

 輝は、静かに起き上がると、目元まで長く伸びた前髪をかきあげて深くため息を吐いた。


「……せっかく自分で作れた友達だったのにな……。精霊術師だからってそいつと離れないといけないとか……なんなんだよ……バカみてぇだ……」


 窓の外の夜空に浮かぶ月を見上げて呟く。そんな輝の声が少しずつ震えてきたかと思うと、目元に浮かんだ涙が耐え切れずに流れ落ち、一つの筋を作った。


(……テル……本当に……ごめんなさい)


 狸寝入りでそんな彼の様子をこっそり見つめていたマイムは、尾びれで顔を隠し、静かに涙を流していた。



 *



 一方、最神家にて。


 テレビからは、バラエティ番組の出演者の話し声や、笑い声が流れてくる。隣では、学校指定のジャージ姿の咲夜が声を上げて笑っていた。

 キッチンからは、知恵が洗い物をしているのだろう、水の流れる音と食器の音がする。


 しかし、ソファに座る透矢の耳には、そんな日常の音も全く入ってきていなかった。

 彼の頭の中にはずっと、ヒートの言葉がリピートされていたからだ。


 ――カズナリは有名な精霊術師でな、どんな精霊にも優しかったって聞くぜ?


 ――そいつも、お前みたいな赤毛をしてたんだ。


 ――死んだって聞いた。十年位前かな、何でも精霊術師に殺されたって聞いたぜ。


 ヒートの言葉が、何度も何度も透矢の耳の奥を駆け巡る。

 交通事故で死んだと聞いた父親が、もし精霊術師だったなら、精霊術師に殺される最期だったとしたら、知恵はなぜ嘘をついているのか。自分の思い過ごしか。

 

 考えれば考えるほど分からなくなる。

 透矢が一人考えても、その真実は見えてくることはない。真実を知るのは、知恵、そして仏壇の奥にいる写真の中の父、和也だけなのだから。


 透矢は立ち上がると、仏壇へと向かい、その前で腰を下ろした。

 目の前には、いつもと変わらぬ凛々しい顔で、透矢とうり二つの赤い髪をした父、和也の遺影がある。


 透矢は、しばらくそれを見つめていた。

 教えて欲しい。混乱する自分のその心をどうにかしてほしい。真実が聞きたい。


「父さん見つめて、どうしちゃったの」


 皿洗いを終えたのか、知恵がエプロンで濡れた手を拭きながらやってきた。 

 知っている答えを教えてくれるのは、生きている人間だけである――それが嘘でない限り。

 透矢は意を決したように問うた。


「……母さん、父さんは交通事故で死んだんだよね」


 それはどちらかと言えば、確認に近かった。

 いきなり何を聞くかと思えば、といった表情を見せた母からは、ほぼ想像通りの答えが返ってきた。


「ええ……そうよ、昔から言ってるじゃない。だからあなたも交通事故には気を付けなさい、ってね」

「うん……そうだよね」


 透矢はそう言ってまた和也に視線を戻す。

 しかし、なぜだろうか。どこかに腑に落ちていない自分がいることに、透矢は疑問を覚えていた。もう、何を信じればいいのかよく分からなくなっていた。


「……俺、そろそろ寝ようかな」

「そう、じゃあおやすみ」

「うん、おやすみ」


 透矢は立ち上がると部屋へ向かった。

 部屋につくなり、透矢はベッドに仰向けに寝転がった。

 スマートフォンを起動する。時計の示す時刻は午後十一時を過ぎていた。


「あ……」


 その時、透矢はふと思い出した。


「輝のアドレス、聞いとくんだった……」


 かくして、それぞれの夜は過ぎていく。

 夜空に浮かぶ月だけが、その様子を静かに見つめていた。

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