第7話「契約の行方」
――なんでお前はついて来やがった!?
透矢の入学祝を兼ねた最神家のディナーが始まった中。
あまりにも自由奔放すぎるヒートの勝手な乱入によって、透矢は再び混乱に陥っているところだった。
――これはマズイ!!
何があっても、ヒートは絶対に知恵と咲夜の目の中には入れてはならない。
なぜなら、精霊だとかそんな摩訶不思議な生き物、常人なんかが見てしまったらどんなオチが待っているか。『そういう系』の本をしばしば読むことのある透矢だからこそ、なんとなく想像できてしまう。
十中八九、まともな展開にはならない。
(ついてくんなっつったろ!?)
出来る限り知恵と咲夜の耳に入らない程度のボリュームで、ヒートに説教を入れておく。
「安心しろって、さっき言ったろ? 俺が契約をかわそうとしてるお前と他の精霊術師以外には、俺の姿は見えないし声も聞こえないって」
「……そうだったか?」
「アニキ、なんか言った?」
「ん?! いや、な、なんでもないぞ」
思わず声が出てしまっていた。耳の鋭い咲夜に少々聞かれてしまったようだが、ひとまず問題はないようだ。
ちら、ちらと知恵と咲夜の様子をヒートと交互に確認するが、たしかに彼女らにはヒートの姿は見えていないようだ。
ホッと安心すると、空腹であることに気付いた。ここまでサイダーにしか手を付けていないので、再び食事を再開する。
しかし、ここで透矢は何か気付いた。
(……くせぇ……)
横からくるゴミや土の混じったような異臭。
外でカラスや猫にさんざんな目に遭わされ、ボロボロになったその姿のまま、最神家に上がり込んできたヒートが根源だ。
当然体は洗っていない上、ひっかき傷や毛の間に詰まった埃も全く処理していない。
しかしほとんど常に浮かんでいるため、床やテーブルの上に足を付けていないことだけが救いである。
(……お前、どっか行ってくれない? くさいんだけど)
夕食にいようがいまいが、結局知恵と咲夜には見えていないようなので、別にどっちでも構わないのだが、取りあえず食事中にわざわざ異臭の塊を横に置いておくようないわれはない。
「……ねぇ、なんか臭くない?」
「!!」
「……そう? 何もしないわよ?」
知恵は比較的距離が離れているので感じていないようだが、透矢の隣に座る咲夜は、鼻をすんすんと鳴らし怪訝な表情になる。
ということは、咲夜はヒートから発せられている異臭に気付いているということ。
それはつまり、目には見えないがある程度の五感のいずれかでは精霊の存在を感じ取ることが出来るということで―――
――どっちにしろコイツここにいたらマズイってことか!?
再び焦る透矢。
知恵と咲夜に見えない角度で、シッシッと手で『あっち行け』のジェスチャーを試みる。
不服そうなヒートではあったが、透矢の歯を食いしばった必死そうな表情を認め、仕方なく透矢の部屋へ戻っていくことにしたらしい。
「……あれ、急に匂いしなくなった」
咲夜が不思議そうにあたりを見回す。
「気のせいだったんじゃないか?」
透矢がそっけなく返した。やけに棒読みなのは、動揺を隠しきれていないのが口調に現れているから。
「あら、透矢全然食べてないじゃない。大丈夫?」
「あ、ああ! 全然大丈夫、今食べてたところだから」
「……ねえ、アニキ今日なんかおかしいよ?」
「安心しろって、いつも通りだから」
知恵と咲夜の言葉が、いつにも増して鋭いので透矢に良く刺さる。透矢は、動揺を何とか隠して平然を装っているのが精いっぱいだった。
――ガチャ、バタン! と、突然二階から物音がする。恐らくドアが開閉された。
「あれ、今二階でドアが鳴った……」
「か、風でも吹いたんじゃないか!?」
自分の入学祝の夕食だというのに、透矢は落ち着いて食べることが出来なかった。というより、動揺のあまり食欲が失せ、胃が受け付けなかった。
そこには、自由奔放で向こう見ずな一匹の精霊にどこまでも振り回される哀れな男子高校生の姿があった。
*
緊迫の夕食を何とか乗り越えた透矢は、部屋着に着替え、ヒートの待つ自分の部屋へと戻ってきていた。
「―――それで、契約の件だけど……」
透矢は腕組みすると、目の前で立っているヒートと向き合った。
体格差の関係上、どうしても視線が合わせにくいので透矢の方は正座の形である。ヒートはその前で腰の両端に小さな拳を付けて堂々と仁王立ち、というなんとも偉そうな姿勢である。
相変わらず、汚れた体は先と全く変わっていないので、透矢からいわせれば、その汚れた足を平気で部屋のカーペットに押し付けられるのは地味に迷惑。できることなら、浮いたままでいて欲しいのだが、ヒート曰く、浮いてるのも体力使うから、とのことだったので仕方なく目をつぶった。
「ああ、そうだな! どうだ? オレと契約してくれるのか?」
透矢は顎に手を当て、少しばかり思案すると、
「そうだな……念のため、精霊術師になるとどうなるのか確認してもいいか……?」
「トウヤは用心深えなー……ま、仕方ねえや。まあ説明するとだな――――」
ヒートはやれやれと首を横に振ると、説明を始めた。
話とは関係ないが、ヒートから今初めて名前で呼ばれたような気がした透矢。
そしてやはり上から目線ではあるが、ここまでさんざんな透矢からするとそこに関してはもうどうでもいい。
ヒート曰く、人間にはもともと『霊力』という生まれ持った力があるそうだ。
霊力は、人間の身長や身体能力と同じように、年齢を重ねることによる自然な成長や、日々の鍛錬(身体能力的なもので言う適度な運動のこと)によって、少しずつ成長していくという。
それとは逆に、精霊にはもともと『属性』というものがある。
属性とは、精霊の司る存在(例:火、水、大地など)のことを大まかに呼んだもののことを指す。
「――ちなみに、オレが司っている属性は【火炎】だ。ここまで分かるか?」
「ああ、まあなんとなく」
やはり『そういう系』の本をしばしば読んでいた透矢なだけあって、ここまでの呑み込みは割と早い。
ヒートはなおも続ける。
個々が『属性』を持った精霊、そして個々人が『霊力』を持った人間。しかし、そのどちらが欠けても意味をなさない。
互いが契約を交わすことで、人間は精霊へと霊力を提供する。そして精霊は、その霊力で属性を具象化させて操ることを許される。すなわちこれを『精霊術』と呼ぶ。
これが精霊と精霊術師の厳密な『契約』の関係ということである。
「―――なるほど……」
「分かったか?」
「ああ……まあな。何かお前、ここまで自由だしポンコツだしで俺の中の印象かなり最悪なのに、そういう説明が無駄にうまいよな……。分かりやすかった」
思わず、余計な一言が口からこぼれ出た。
「……お前、それ以上言ったらもっかい首噛むぞ」
「!! それだけは勘弁!」
あの時の痛みが蘇り、透矢は思わず首筋を押さえた。
そんな特に関係のない話もそこそこに、ヒートはこほんと小さな咳ばらいをすると、
「そんじゃあトウヤ、オレと契約してくれるか?」
透矢は決断を下しているかのごとく、少々の間を置くと、
「……そうだな、これもなにかの縁かもしれない。契約、させてもらうか」
決意を込めてそう言った。
ヒートは、クリスマス前夜の子どものようにきゃっきゃと無邪気に喜びをあらわにした。
「じゃあ! 早速契約させてもらうぜ!」
「? そういえば契約ってどうするんだ……?」
「ああ、言ってなかったな。実は、オレの左腕にはこんな紋章があるんだ」
そういうと、ヒートが小さな左腕を透矢に見せつける。
体毛にこびり付いた埃が少々邪魔ではあるが、そこには尻尾の数が三本に分かれた狐を模した黒々とした紋章が、はっきりと刻まれていた。
「この紋章と同じ形の傷痕を、今からお前の左腕に作っていく。一瞬だけ痛いけど我慢してくれな」
「……マジか」
そう言うと、ヒートははりきって透矢の傍へ近寄った。そして、透矢の左手に小さな手を当てる。
その時、ヒートが思い出したように話し始めた。
「そういやトウヤ、お前ってカズナリって名前の精霊術師によく似てるよな」
「……え……」
透矢は、その名前に耳を疑った。
「……今、カズナリって言ったか……?」
「おう、言ったぜ? カズナリって精霊術師はすごく有名でな、どんな精霊にも優しい精霊術師だったって聞くぜ? カズナリもお前みたいに赤毛だったって聞くから何となく思い出したんだ」
聞けば聞く程、耳を疑う。
透矢の脳裏には、彼の姿しか浮かんでこなかった。自分によく似た赤毛、そしてカズナリという名前。信憑性は決して高いとは言えないが、その特徴だけならその人物は確かに、透矢の実の父――最神和也と一致する。
透矢の動悸が耳の奥に響いてくる。
聞いてみるか。いや、怖い。でも、真実を聞かずに終わるのはもっと怖い。
透矢は、恐る恐るヒートにその質問を投げかけた。
「……その人、もう死んでるのか……?」
出来れば返ってきてほしくない。透矢のそんな心境とは裏腹に、ヒートの口か紡ぎ出されたのは、ほとんど予想通りの答えだった。
「ああ、死んだって聞いたぜ。十年位前だったかな。なんでも、精霊術師に殺されちまったって聞いた」
死んでいた。そしてその日付は十年前。
染髪を含め、赤い髪の人間が世界に何人いるのかは別として、透矢は確信した。精霊術師カズナリは、透矢の父、最神和也で確かに間違いなかった。
――しかし、透矢には一つ引っかかることが。
「……でも待ってくれ。殺されたのか……? 交通事故じゃなくて……?」
もう、聞かずにはいられなかった。
ヒートは小首を傾げながらも質問には律儀に答えてくれる。しかし、透矢が聞き入れるには重圧が強すぎる。
「ああ? カズナリが精霊術師に殺されたってのは有名な話だぜ……? 交通事故なんて聞いたこともねえな?」
ヒートは、透矢の異変に気付き始めていた。
ヒートが手を添える透矢の左手は、慄くようにわなわなと震え、そしてその感触も、やけに冷たさが増しているようだ。
戦慄した透矢の表情。蒼白した顔面。それはヒートの心配を強く揺さぶった。
「……トウヤ、どうしちまったんだ……?」
透矢がまだ小さく、ようやく物分かりが付き始めた頃、知恵によくこう諭された。
『お父さんは、交通事故で亡くなったの。だから、車には絶対に気を付けること。お父さんみたいになっちゃダメよ』
父親は交通事故で無くなった。母から告げられたその事実だけを頼りに、こうして生きてきたのだ。しかしヒートの何気ない発言が、そんな透矢の真っ直ぐな思いをぐちゃぐちゃにかき乱す。あの時の知恵の言葉は事実ではなかったのだろうか。
空しい沈黙が、透矢とヒートの間を支配する。
すると透矢は、ヒートに添えられていた冷たい左腕を静かに離した。
「……トウ……ヤ……?」
状況の掴めないヒートが、不安な面持ちで透矢を見上げる。
「……ごめん……ヒート。やっぱり、今は契約できない。ちょっと混乱しちゃって……」
透矢が微笑んで答える。しかし、その眼には光が宿っていない。無理に作られた偽りの微笑みであることが、目に見えてわかる。
「トウヤ、ほんとにどうしちまったんだ……? オレなんか言っちまったか……?」
「いや、お前は何も悪くないよ……。でも、とにかく今は契約できない。出て行ってくれ」
「……でも」
「出て行ってくれ!」
突き放すように、強く言い放った。
心の中で「ごめん」と呟く。ヒートには何も罪はない。しかし彼の何気ない一言が、透矢を混乱させて、決意を曲げさせてしまったこともまた事実なのである。
ヒートは何も言わず、部屋の窓をガラリと開けて出ていった。名残惜しさを背中に残しながら。
部屋の中に、夜の冷たい風が吹き込んでくる。透矢は膝をついたまま、明るくて冷たい部屋の中に一人残された。
――この日、契約は決裂に終わった。