第6話「自由すぎる精霊さん」
「……ッ……―――あれ?」
気が付くと、ベッドの上だった。
どうやら寝てしまっていたらしい。窓から差していたはずの黄金色の夕日は、既にほとんど沈んでおり、空は紺碧に支配されていた。
「やっぱ俺寝てたのか……つーか寒ぃ……」
腕で抱き寄せるように冷えた体を摩る。
胡乱な意識の中、重い頭を何とか動かして記憶を手繰り寄せる。
確か、帰ってきてからカバンをベッドに放り、ブレザーを脱ぎ捨てた。その後―――なんか変なのがいたというところまでは覚えている。
今の自分の状況を見るとどうだろうか。
ブレザーとカバンは、確かに乱雑にベッドの上に置かれていた。自分の格好を確認してみると、首元のネクタイは緩み、ワイシャツとスラックスという姿である。なんともだらしないことこの上ないが、記憶通りなのは間違いない。
「変な夢見たな……」
手で顔をもみほぐす。
きっともう知恵と咲夜も帰ってきている頃だろう。背伸びをし、階下へ向かおうとベッドから立ち上がった―――その刹那。
「……う、うぢゃぁ……ヒドイ目に遭ってきたぜ……」
透矢の記憶の中の変なのこと精霊ヒートが、全開に開け放たれていた窓からボロボロになった体を引きずるようにして登場した。
「……え」
透矢は、ショックのあまり再びその場で呆然と立ち尽くした。
夢じゃなかった、というつらい現実。
開け放たれた窓から吹き込んだ夜風が、冷え切った部屋の中、透矢の心までを冷たく凍り付かせた。
*
「いやもう、こちとらほんと大変だったんだぜ?」
何処で覚えたのか、時おり話口調に江戸っ子が顔を出すヒート。
顔や頭には、葉っぱやひっかき傷のような物をつけ、全身は泥や土で汚れている。いつかの綺麗な赤い毛並みは、ぼさぼさと乱れまくっている状態だった。ついでになんか臭い。
「……もういいよ、精霊っているんだな。すげぇな、俺もうびっくりだわ……」
呑気に語るヒートの前で正座になり、透矢は項垂れた。
ここまでくれば、もう精霊の存在など認めるほかない。
腑に落ちた、というよりかは、もう考えてもおかしくなるだけだから腑に落ちたことにすればいいや、的な結論に至ったというわけである。
「……ヒートだっけ……お前さ、なんか臭いよ」
「誰のせいだと思ってんだよ。人のことぶっ飛ばしてゴミ捨て場にホールインワンさせやがって」
「ああ……そっか、ごめん」
――いや、なんで俺は精霊相手にいきなり謝ることになってんだ。
透矢の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。投げたのは自分なのだが、なんか複雑である。ついでに、人のことという日本語にもどこか引っかかる。
因みにゴミ捨て場に落ちたその後、カラスにたかられたり、野良猫にさんざん追い掛け回されたりと色々とあっての現在の姿らしい。
かなりここまでの前置きが長かったが、透矢も納得(?)のようなので、取りあえずここでようやく本題に入ることになる。
「そういえば、お前は俺に何の用があってここに来たんだ」
「そうだったな。簡単にいうと、オレはお前と『契約』を交わしに来た」
「契約……?」
きょとんとする透矢に、ヒートはしょうがねえな、と説明を始める。この精霊、やはりどこか上から目線なところがあるようだ。
『契約』というのは、精霊と精霊術師(となりえる人間)の間で交わされる約束ごとのようなものである。精霊が自分のパートナー候補として選んだ人間は、一時的にその精霊だけを視認できるようになる。最終的に、選ばれた人間が精霊術師として第二の人生を歩むことを受け入れれば、お互いに契約を交わし、晴れて精霊と精霊術師という相互関係が築かれることになる。
精霊と精霊術師の関係は一生モノになるため、一度契約をかわせば、基本的に死ぬまで契約を破棄することは出来なくなる。
また契約を破棄した場合は、パートナーだった、もしくはパートナー候補だった精霊を視認することは一切不可能となり、そして精霊や精霊術師に関係する記憶が完全に消えることになる。
「――なるほど……」
「……分かってくれたか?」
「まあ、一応……気になるんだけど、お前はなんで俺のことを選んだんだ?」
透矢の質問に、ヒートは少し言葉を迷わせた。
「え……それは、その……なんてんだろ……あ、あれだ! チョッカンってやつだ。チョッカン」
「………あっそう」
大した理由はなかったようだ。
あまり友達同士の交流もなく、一人読書をむさぼることが日常的だった透矢にとって、好きな少年マンガやライトノベルのように『お前には秘められた力がある』『お前が選ばれたのには理由がある』云々、主人公最強な中二病展開は男のロマンだった。
精霊というファンタジーの世界の住人(だと思っていた)が今こうして目の前にいる今、そんな展開を心の片隅で望んではみたが、あまり見込みはなさそうだ。
透矢はがっくりと肩を落とした。
『アニキー、夜ご飯できたよー?』
突如、階下から声が掛かる。呼び方から察するに咲夜で間違いない。
「まずい、咲夜だ!」
透矢は焦りを露にした。
いかにも非現実的な状況が透矢の部屋で行われている今、咲夜はもちろん、母親である知恵でさえ、というか誰もこの部屋に入れるわけにはいかない。
透矢は部屋の扉から顔だけ覗かせると、
「さ、咲夜! 今行くからちょっと待ってくれ!」
「早くしてー、冷めるー」
「ああ、すぐ行くから!」
それきり、咲夜の声が飛んでくることは無くなったが、早めに行かなければ下手をすれば部屋に呼びに来る可能性もある。最悪の場合、親フラならぬ妹フラが起こってもおかしくない。そんな状況を作り出してしまえば、その先は出来れば想像したくない。
「悪いヒート、先に飯食って来てもいいか?」
「おう、もちろんだぜ。契約なんていつでもできるしな」
ごめんな、といって片手で拝みながら部屋を出て――行こうとしたところで念のため、
「おい、絶対部屋から出るなよ」
「……え、なんでだ?」
透矢的には早く下に行って夕食を食べ、さっさと部屋でことを済ませたいがために、説明するには時間が足りない。
「とにかく、いいから部屋から出るなよ!」
「………ああ! クジャク倶楽部だろ! よし、三回目言ったら部屋から出りゃいいんだな!」ヒートがポンと手を打つ。
何処で覚えたのか、何か芸の前振りとでも勘違いしているようだ。
「違う! これは振りでもなんでもねえ! それとダチョウ俱楽部な! いいから部屋から出るなよ!」
ヒートがむぅ、と不服そうに頬を膨らます。
付き合ってられないので、透矢はバタンと乱暴にドアを閉めて階下へと向かった。
「アニキ遅い」
下に着くと、咲夜が頬を膨らましていた。悪い悪い、と謝りながら透矢も取りあえず椅子に座る。食卓には三人分の食器が並び、料理はいつにも増して豪華なラインナップだ。
「うん、全員揃ったわね? 今日は透矢の入学祝いよ!」
知恵が言う。サイダーの注がれていたコップを乾杯で鳴らすと、最神家のディナーが始まった。
透矢は取りあえずサイダーに口をつける。
「いやーうんまそうな飯だなー! 透矢、俺も食っていいか?」
「―――ブフッ」
危うくサイダーを吹きかけた。「アニキ汚い!」隣から妹の罵倒が飛んでくるが、それどころではない。
――お前はなんで付いてきやがった!!?
気が付くと、透矢の肩の上に堂々と腰を落ち着けながら、ヒートが目の前に並ぶ料理に舌なめずりしていた。この精霊、自由奔放すぎである。