第3話「少しばかりの好奇心」
その後、出席確認を兼ねた生徒の自己紹介は、着々と進んでいった。
最後の生徒の自己紹介が終わると、出欠の確認を書き終えた三木が出席簿を閉じた。
「……よし、全員揃ってるな。今日のホームルームはこれで終わり、緊張してるだろうけども、一年間一緒に過ごす仲間だからな、早く打ち解けるようにな。それじゃ今日は番号一番が号令掛けてくれ」
指名された生徒が号令をかけ、ホームルームは終了した。
ホームルームを終えた後、一時限が始まるまで十分ほど休憩時間となる。
透矢は、特に何をするでもなく、席にただぽけーっと座っていた。
「なぁ、お前」
急に上から降ってきた声に、透矢の肩がびくっと反応する。
顔を上げると、そこにいたのは例の藍色の髪をした男子生徒、輝だった。
「……な、なに」
間近で見ると、輝の髪の異端さが良くわかる(透矢が言えたことではない)。
紺碧の夜空のように澄んだ色をした髪は、後頭部の辺りでヘアゴムでポニーテールのように束ねられていた。
頬は成長期の高校生らしい荒れ肌で、所々ソバカスが目立つ。垂れた目尻が、より彼の柔和な印象を際立たせている。
輝は確認を取るように透矢に問うた。
「お前もそれ、地毛なんだろ?」
聞かれたからには、答える以外に選択肢はない。
「ああ、うん。父親の髪が赤くて」
「へーマジか! 俺もさ、親父の髪が藍色なんだよ!お前の親父さんって、どんな人なんだ?」
輝が興奮したように前に乗り出して透矢に問うてくる。
しかし透矢は、説明に困り「あー……」としばらく言葉を濁した。しかし、輝がきょとんとしているので軽く説明だけはしておく。
「……もういないんだよ。俺が小さいときに死んでるから、あんまり覚えてなくて」
「……そっか。わり、何のデリカシーも無く」
輝がばつの悪い表情になったので、透矢が慌てて続ける。
「ああ、いいんだよ気にしないで。もう十年も昔のことだから。俺もよく覚えてないし」
輝は「そうか」と未だ気まずそうではあったが、少しは場の空気も元に戻る。
「…そうだ、さっき言ったけど俺、湯谷輝ってんだ。お前は……透矢だっけか」
「そう、透矢。最神透矢。よろしく」
「おう、お互い珍しい髪色してるからな。仲良くしようぜ?」
輝が微笑んだ。
タイミングよく、授業開始を知らせるチャイムが鳴った。
透矢の人生で数少ない友達が出来た。中でも輝は、透矢にとってかけがえのない心の友となる。
*
午前中は主に校内についてや授業に関する説明などで終わり、昼食を済ませ、その後の入学式も特に何の問題もなく、無事に終わった。
時刻は二時を回った頃。
入学式を終えて、透矢たち一年生は下校の時刻となる。人によっては、遠方から来た生徒は親と一緒に車で帰宅をしていく。
「透矢、どうする? この後お母さん買い物とかも行くんだけど、先に帰ってる?」
「そうする。ついでに帰り道も確認しておきたいし」
「そう、じゃあ気を付けてね」
知恵と家庭内連絡を交わし、透矢は歩いて帰宅することにした。
校門を出ると、『十ヶ崎市立十北高等学校 第59回入学式』と書かれた看板が立てかけられている。
校内に生えていた桜の木は、朝に公園で見た物とは比べ物にならないくらいに大きく見えた。
「透矢、お前も歩いて帰るのか?」
ふいに後ろから声がかかった。振り返ると、やはり輝だった。
「うん、まあな」
半日とはいえ、休憩時間で頻繁に会話を交わした二人。お互いの口調も、砕けつつあった。
輝は、なら丁度いいとばかりに、
「んじゃ、一緒に帰ろうぜ。徒歩ってことは、お前もこの近くだろ?」
「そーだね。帰るか」
透矢も受け入れると、二人並んで高校を後にした。
春の日差しは、三時を前にして少しずつ西に傾いていた。影が少しずつ長く引かれ始める。
ふと、輝が透矢に問うてきた。
「そういや透矢。お前、部活決めたのか?」
「あー……いや。全然」
むしろ部活のことなど完全に頭に入っていなかった。
「中学の頃は何してたんだ?」
「一応サッカー部」
「ふーん……続けるのか?」
難しい質問だった。
もともとスポーツはあまり好きな方ではない。しかし、サッカーは取りあえず三年間やっていたので決して出来ないわけではない。しかし続けるかと言われると、少々躊躇いがある。
「うーんどうかな。三年間補欠だったしなー……微妙」
「なるほどな。明日から部活見学始まるだろ?お前どうすんの」
「そーだなー……分かんねえや」
「じゃあさ、バスケ部行かね?」
透矢は思わず「バスケ部?」と聞き返した。
バスケットボールと言えば、あのバスケットボールである。実際にプレーした経験は無いが、もちろん透矢も知っている。
「そ、バスケ部。憧れの先輩がいるんだよ。翔平先輩って人なんだけどさ、すげえんだぜ」
「すげえってのは……バスケが?」
「それもあるんだけど……うん、とにかくすげえんだよ。会えばわかる」
輝の語彙力では説明するには言葉が足りないらしいが、とにかく『凄い人』だという。
「なにそれ、めっちゃ気になるじゃん」
「気になるなら部活見学来い。会わせてやるから」
「……考えておく」
そんな他愛のない会話を交わしながら二人は帰途を歩く。
透矢が言葉を切り出したのは、それも折り返し地点に着た頃だった。
「なあ……輝?」
「ん、どした」
輝は曇りのない表情で答えた。
聞くべきか聞かないべきか、誰とも知れず透矢は迷っていたが、好奇心が聞かずにはいさせてくれなかった。
「その……朝から思ってたんだけど、輝って傷痕みたいなのあるよな? この……でこの辺り」
輝の表情が、目に見えて固くなった。
生暖かい春の風が、二人の間を掻き分けて吹き抜けた。輝の藍色の前髪が風になびいて、額から傷のようなものが露になった。
「ああ……これ? ……これな、小さいときやった傷で、階段から落ちた時に頭打ったんだ。俺小さいころから結構ドジなんだよ!」
輝は自嘲するように声を出して笑った。その笑いも、どこか乾いているようだった。
「ああ……そしたら俺こっちだから。んじゃまた明日な!」
輝はそう言うと、十字路を左に曲がって走っていなくなった。
聞かない方が良かったかな。心の中で反省した透矢は、日の傾く十字路で一人取り残された。