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紅の精霊術師  作者: 柳泉 米李
第一章 契約
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第13話「チャンスよ、もう一度」

「……お前……なんでまた」


 透矢は、茫然とした様子で、目の前の机の上に立っているヒートを見た。

 ヒートはと言えば、その場から決して動かないまま背筋を伸ばして立ったままである。


「どうしても、お前に言いたいことがあってきた――」

「ちょっと待ってくれ」

「うちゃ?」


 どうしても気になってしまうことがあったので、透矢はヒートを遮った。


「お前……どこから入ってきた?」

「ああ、なんか二階の窓が開いてたからそれで」


 ――咲夜か!!

 換気をするためか何かで咲夜が窓を開けておいたのだろう。


 自分の部屋は勝手に入られるのを嫌がるくせに、兄の部屋は平気で勝手に入るようだが、透矢的には別に嫌ではない。しかし、家庭科教諭の母に似たその過程的な性格が裏目に出たようだ。


「……そうか、分かった」


 透矢は、片手で顔を覆って項垂れた。

 ふう、と溜め息。半ば吹っ切れるような形で落ち着きを取り戻させた透矢は、ヒートに主導権を譲る。


「悪い。それで、何の用があってきたんだ」

「ああ。オレは、やっぱりお前と契約して――」

「しないよ」


 ヒートを遮って、透矢は先に答えを出した。

 ヒートはそこから何も言えず押し黙ってしまう。


「でも――」


 まだ伝えたいことがある。ちゃんと話したいことがある。

 ヒートは、諦めきれずに口に出そうとするが――


「言ったろ、俺は契約しないよ。精霊術師にはならない。他をあたってくれ」


 透矢は、追い打ちをかけるように付け足した。

 ヒートは思わず下を向いて俯く。翔平の言葉を信じてただそれに縋りたいが、それ以前の話である。わなわなと赤い体毛が逆立ってくるのが分かった。


 ヒートは、今にも泣きだしそうな気持になるのをこらえた。

 そして、あのことを聞くことを決意した。翔平から口止めはされていたが、ヒートの中の何かがそれを聞かずに終わることを許してくれなかった。


 透矢が部屋を出ようとした刹那、


「カズナリのことか……?」


 今にも泣きだしそうな、震えるヒートの声。それよりも、その声が紡ぎ出したその名前に、透矢は思わず足を止めた。


「オレが、カズナリの話をしちまったからなんだろ……? それで、トウヤが嫌になるようなことがあったんだろ……?」


 ヒートは、もうこらえきれなくなった。

 口げんかで負けてしまった子どものように、むせるような嗚咽を交えて、大粒の涙を流しながら、震える口から本心を無理やりに紡ぎ出していた。


「だから……契約も……」


 透矢は、返答に迷ってしまった。

 できれば、「ちがうよ」そう言いたかった。しかし、それでは何も解決しないことも分かっている。

 だから、透矢は正直にこう答えることにした。


「ああ、そうだよ」

「うぢゃぁ……」


 やっぱりそうだった。

 ヒートは、胸の奥のモヤモヤした何かがすっきりとどこかへ溶けていくのを感じながら、自分が軽々と犯してしまった間違いを恨んでまた弱々しく涙をこぼした。


「……ごめんな、ヒート。実は、カズナリって人はな……たぶん俺の父さんだと思うんだ」

「……え?」


 ヒートは、赤く泣きはらして鼻水を垂らした間抜けな顔でそう溢した。


 ほとんどそうと分かっていながら、透矢が思うとうやむやに言ったのは、やはりなんとなくそうであって欲しくないという気持ちが少しでも現れているからである。


「俺の父さんの名前は、最神和也もがみかずなり。俺と同じで、赤い髪をしてた。それで、お前が言ったカズナリと同じ十年前に亡くなってる」

「……そう……だったのか」

「でも、俺の父さんは交通事故で死んだってことになってる」

「うちゃ?」


 そこで、ヒートもようやくその違和感に気付いた。

 カズナリの死は精霊術師に殺されたことが原因。しかし透矢の父である和也は交通事故で死んだことになっている。この死因の食い違いが何を意味しているのかは定かではないが、とにかく、それが透矢の混乱を招いてしまったこともヒートはようやく理解することができた


「……そういうことか」

「……だからといって、別にそれで契約を断ったわけじゃないんだけど……」

「じゃあなんで?」


 透矢は、躊躇いがちに頬をカリカリと爪でかいた。

 うーん、と言葉を濁しているようにも見えるが、しかし透矢は正直に口にした。


「……なんか、怖くなったんだ」

「うちゃ……?」

「もし、父さんが本当に精霊術師で、精霊術師に殺されてたんだったら、もしかしたら、俺も精霊術師になったら同じ目に遭うかもしれないって。そう思ったら、なんか契約することが怖くなった」


 何のごまかしも嘘もない、透矢の本心だった。

 しかし、怖がって契約を断ったことを恥ずかしい、とでもいうように、透矢はわたわたと手を振って続けた。


「ご、ごめん。本当にそれだけなんだ。でも、お前ならきっと良いパートナーが見つかるからさ!」


 そういうと、透矢はブレザーの上着だけ脱いで足早に部屋のドアを開けた。

 確認するように真剣な表情で、しかしその中にも落ち着いて優しさを忘れずに透矢は最後にこういった。


「だから、俺は精霊術師にはならない。ごめんな、ヒート」


 ネクタイを緩めてワイシャツ姿になった透矢。バタン、とドアを閉めると、足音だけが下に降りて行った。


「……うちゃぁ……」


 蛍光灯の白く明るい光の零れる部屋の中、ヒートは独り口癖であるその言葉を呟いた。



 *



 リビングに入ると、咲夜だけが変わらずにバラエティ番組を見ていた。


「お前、早く風呂入れよ」

「アニキも早くご飯食べなよ」

「はいはい」


 一瞬にして妹に論破されたが、そんな小さなことはもう気にしない。

 すっかり冷めていた大皿に乗った野菜炒めを取ると、


「これ、チンした方が良いか?」

「その方が良いんじゃない?」


 そうか、とつぶやくと、ラップに包まれた皿を電子レンジへ放り込み、白飯を茶碗に、作り置きされていた味噌汁の残りも温めなおしてお椀によそった。


 ふと、仏壇の方に透矢は視線をよこした。

 もし、父さんが本当に精霊術師だったら、父さんはなぜ精霊術師になろうと思ったんだろう。

 そんなことが頭に浮かんだ。


 すると、電子レンジから軽快なメロディが流れたので、考える間もなく透矢は大皿を取り出してテーブルに置いた。


 ひとり、夕食を食べ始める。

 頭の中には、ふたたび父親和也のことが浮かんでいた。


 ――もしそうなら、父さんはどうして精霊術師になったんだろう。


 ――父さんは、なぜ殺されてしまったのだろう。


 そこで、透矢は改めて和也のことをよく思い出してみようとした。

 赤毛で、性格は透矢と正反対の無鉄砲だったと知恵から聞いている。幼いころ、和也は自分にどんなことをしてくれていたか――


 ――思い出せない。


 断片的に顔や場面は浮かんでくるが、ほとんど記憶にないに等しかった。

 自分は、自分の父親のことを何も分かっていないのだ。何も知らないのだ。透矢は、改めて気付いた。


 だからこそ、透矢のなかにこんな思いが浮かんだのである。

 もっと父さんのことが知りたい。父さんがどんな人だったのか、どんな精霊術師だったのか。


 ――父さんは、なぜ殺されることになってしまったのか。


 味噌汁をすする透矢のその中で、何かが変わろうとしていた。

 テレビから零れる笑い声と出演者の軽快な話し声、そしてそれを見てひとり笑い声をあげる咲夜。どれも、今の透矢には聞こえていないかのようだった。



 *



「――ヒート!」


 夕食を終えてすぐ、透矢は部屋のドアを勢いよく開けて自分の部屋へ入った。


 部屋の電気は消え、月明りだけがこぼれる部屋の中。透矢は、部屋の明かりをつけると、すぐに彼の姿を探した。

 しかし、部屋のどこを探しても、ヒートはすでにどこにもいなかった。


 正面の窓を見る。

 ロックが外された窓は、ぴったりと閉められている状態だった。


「……もう行っちゃったのか」


 一足遅かった。透矢はがっくりと肩を落とした。

 お互いの気持ちのすれ違いが、ようやく一つになるかもしれないチャンス。手を伸ばすのにはあまりに遅かったのだ。

 ビリが最終コーナーで本気を出したところで、一番を掴むことは出来なかったのである。


 ――刹那、ゴロゴロと引っかかるような音を立てて、正面の窓が開いた。


「んっ、立て付け悪いなクソッ――」


 イライラとした様子で、一匹の赤い狐のような精霊が窓を開けながら現れた。


「「……あ」」


 二人――否、一人と一匹の声が見事に重なった。


「ヒート」「トウヤ」


 そしてまた、お互いを呼ぶ一人と一匹の声が見事に重なったのであった。

 彼らは、お互いに気まずそうに目を泳がせると、


「ヒート、俺から離してもいいか……?」

「あ、ああ、いいぜ」


 ヒートが透矢に主導権を譲ったので、透矢から話すことになった。


「ヒート……俺、精霊術師になろうと思う」

「そうか……――うちゃ?!」


 あまりにも意外すぎる透矢の言葉に、ヒートの素っ頓狂な声が裏返った。

 一番望んでいたことを、向こうから言ってくれたということで、もちろんうれしい事なのは間違いないのだが、こうも急に言われてしまうと、逆に戸惑いの方が勝ってしまう。


「え、いや、なんで?!」

「え、なんでって契約しちゃダメなのか?!」


 透矢も、ヒートの意外な反応にまた更に逆に戸惑ってしまった。


「それとも、もう契約しちゃって……」

「いや、それだったらまたこんなとこ来ねーよ」


 今、こんなとこって言ったな。

 少し透矢の癪に障るところだったが、今はそんなことで腹を立てている場合ではない。


「まさか、契約してくれるのか?」

「だから、言ったろ。精霊術師になろうと思うって。だからヒート、契約してくれ」

「……じゃあ、俺もお前に言っておかなくちゃいけないことがあるんだ」


 透矢は、「言っておかなくちゃいけないこと?」とオウム返しで訊いた。

 翔平には言われていたが、精霊としてどうしても言うのには抵抗があったが、何の風の吹き回しか、透矢が契約を決意してくれた今、それは言っておかなくてはならない事に変わった。


「ユタニテル、知ってるな?」

「あ、ああ当たり前だろ」


 寧ろ、何でお前がそいつを知っている、と聞き返したいレベルである。


「ごめんな、今日一日お前の事追っかけてたんだ。それで、実はお前の友達のテルも、精霊術師だったんだ」

「……マジ……でか?」

「それと、オオクラショウヘイ。今日お前が話したそいつも、精霊術師だ」

「……」


 驚きのあまり、物も言えなくなった。

 まさか、こんなにも自分の身近に当たり前のように精霊術師がいるなど、透矢は思っても見なかったからである。


「ショウヘイに言われたんだ。きっと、テルが精霊術師だって教えれば、トウヤも契約してくれるんじゃないかって」

「……そうだったのか」

「でも、精霊術師は、自分の正体をバラしちゃいけねえし、精霊も精霊術師の正体を他の人間にバラしちゃいけねえことになってる。だから、言うのが怖かったんだ」


 そう、ヒートもまた恐怖心を抱えていたのである。

 その暗黙のルールを破ってしまうと、自分はどうなってしまうのか、分からないからこその恐怖が、ヒートを襲っていたのである。


「テルは、精霊術師であることをお前にバラしたくないから、びくびくしてたみたいなんだ」

「……そうなのか」


 透矢は、そこで全ての意味が分かった。

 ヒートから昨日聞いたことを覚えていた。契約を交わすとき、精霊は自分の紋章を傷として精霊術師の体の部位の中に刻む。


 昨日の帰り際、透矢が指摘した輝の額の傷は、精霊術師の傷痕だったのではないか。

 だったとしたら、輝はその時とても焦っていたのだろう。小さいころに怪我をした、というのが咄嗟に吐いた嘘だったとしたら、そう思うととても申し訳ない気持ちになった。


「……ヒート、それとな」

「なんだ?」

「俺がどうして契約したいかっていうと、さっき下で父さんの事考えてたんだ。そしたら分かった。俺は父さんのこと何も知らないって。父さんがどんな人で、どんな生き方をしていたのか。ほとんど聞いたこともない。だからこそ――」


 そう語る透矢の瞳は、真っ直ぐ座っていた。決意のこもった曇りのない目だ。


「俺は父さんのことが知りたい。だからこそ、父さんと同じ、精霊術師として生きてみたいんだ」

「そうっこなくっちゃな!」


 ヒートは、親指を立ててグーサインをした。


「それに――」

「うちゃ?」

「俺が精霊術師になれば、きっと輝もびくびくしながら俺と接しなくて済むようになると思う」

「……おう、そうだな!」


 すれ違っていた一人の少年と、一匹の精霊の心が、ようやく通い合った。

 精霊術師と精霊の間に必要なもの、それは通い合った互いの心が一つとして挙げられる。


「じゃあ、トウヤ。契約するぜ!!」

「ああ、望むところだ」

「……そうだ、その前に電気を消してくれないか?」

「? ……ああ、分かった」


 ヒートの意味深な台詞に従い、部屋の電気を消す。

 外から漏れる僅かな月明りだけが、部屋の輪郭をぼんやりと映し出すような形になった。


「それじゃ、左腕見してくれ」

「分かった」


 指示に従い、左腕のワイシャツの袖を捲し上げた。

 華奢で細長い肌色の腕が露になる。


「ちょっとチクッとするから我慢してな」

「え、チクッと?」


 まるで、病院の予防接種のようなことを言い始めたヒート。

 薄ベージュ色の小さな前足を、透矢の細い腕にすりすりと擦り合わせ始める。犬のような毛並みの感触が、少々くすぐったい。


 すると――


「―――!!」


 その光景に、透矢は驚きと感動のあまり目を見張った。


 透矢の左腕の上に重なるように、ヒートの腕にあるものと同じ、尻尾の三本に分かれた狐を模した紋章が、円を描く魔法陣のように浮かび上がり、赤く光り輝いたかと思うと、線香花火が噴き出すような音を上げて、光る紋章から透矢の左腕目掛けて、一筋の光の筋が真っ直ぐに下りた。


 部屋を暗くしてあるからこそ、その幻想的な光景がまた感動を揺さ振る。

 まるでファンタジーにしか思えないその光景を前に、透矢は興奮を肌で感じていた。


「……部屋を暗くしたのは、そういうことか」

「……」

「ヒート?」


 ヒートは、何かに集中するように、目を瞑ったまま何も話さない。

 ――刹那。


「――いってぇッ!?」


 左腕に、刺さるような鈍い衝撃。

 見れば、例の紋章が透矢の左腕に確かに刻まれている。それはどちらかというと、無理やり傷をつけたようなもので、つまり、透矢の左腕に無理やり紋章と同じ傷をつけたという構図である。


 透矢の左腕から、どくどくと血が滴っていた。


「終わったぜ?」

「終わったぜじゃねえよ! これどうすんだよ?!」

「ティッシュか何かで拭けばいいだろ」

「ああもう!!」


 透矢は、ついさっきの感動はどこへやら、痛みからくるパニックに襲われながら、慌てて机の上に置いてあるティッシュを数枚まとめて取り出すと、痛みを訴える根源である血だらけの左腕に押し付けた。


 かくして、今日ここに新たな精霊術師が誕生したのであった。



 *



 拝啓


 天国の父さん、お元気ですか。

 俺はたぶんあなたと同じ、精霊術師として生きることになりました。


 パートナーの精霊は、なんだか自由気ままで馬鹿な奴ですが、悪い奴じゃないと思います。


 契約は、父さんも体験したのでしょうか。

 あの痛み、今でも思い出します。とにかく痛かったです。できれば、もう一生味わいたくないと思います。


 これから、どんな生活が待っているのか、正直言って見当もつきません。

 しかし、高校の友達と先輩が精霊術師みたいなので心強いです。


 もし父さんが精霊術師だったのなら、俺もいつか、あなたの姿に近づくことが出来るように精進したいと思います。

 せめて今は、どうか向こうから見守っていてください。


                              敬具 透矢

無事、第一章完結でございます!

次は第二章。これから精霊術師透矢と、そのパートナーヒートの活躍にどうぞご期待ください。

これからも応援、よろしくお願いします。以上、柳泉でした。

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