第12話「二度目の正直」
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翔平の元に、バスケットボール部長とその顧問のダブルライトニングの降り注いだ部活見学の一件から数時間後。
すっかり夜のとばりが降り、夜空には微笑む口元のような三日月が浮かんでいる。
「なんか本当、翔平先輩って不思議な人だったな」
学校からの帰り道、透矢は思い出すようにそんなことをポツリと呟いた。
入学式だった昨日は、帰りも早く、住宅街も落ち着いた午後の明るさを保っていたのが、今日は変わって、道を照らすのは所々に設置される電信柱に取り付けられた街灯と、家の外から漏れる僅かな光ばかりで薄暗いためであるのか、また印象が違って見える。
「だから言ったろ? 凄い人だって」
「うん……まぁ、確かに凄かったかもな」
透矢は、数時間前の出来事を思い出してみる。
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『おっせぇぞ翔平!! 何分遅れたと思ってんだ!!』
『アップとっくに終わってんぞ!! お前、地区大会まで時間ねえんだからな?!』
前者でカミナリオヤジのように、唾を飛ばして怒鳴り散らしたのはバスケットボール部顧問の山下。四十代くらいの、小太りの中年男である。後者でカリカリとした様子で怒りを露にしているのは、現部長の武田である。がっしりとした筋肉質で、スラ〇ダンクのゴリラのような部長を思わせる角刈り頭だ。
武田の言葉から分かる通り、三年生にとって最後の地区大会が迫っている。それまでの練習期間が、そう多く残されていないためか、部活に勤しむ部員(特に三年生)は、かなり殺気立っていた。
アップはとっくに終わっているようで、準備体操などもろもろを終えた三年生は、タイマーの刻む時間内でレイアップシュートの練習をしている。オールコート(コートの全面のこと)の中を、部員の列が楕円を描くように激しく流れていく。
『いや、スマンスマン!』
そう言って申し訳なさそうに片手で武田に拝んだ翔平は、そそくさと体育館の隅にショルダーバッグとカバンを投げ捨て、ひとりコートをなぞるようにアップとしてダッシュ五周を始めようとする。
『いや、お前邪魔になるから外で走ってこい。罰則も兼ねて』
『うぇ……マジすか』
『当たり前だ、愚痴こいてる暇あったらさっさと走ってこい。サボるんじゃねえぞ』
『へーい……』
面倒くさそうに気のない返事をすると、翔平はふらふらと体育館を出ていった。
気になった透矢は、体育館の外にちら、と顔だけ覗かせてみた。翔平は、律儀に体育館の外で走り込みを行っていたのだった。
その後翔平も部活に合流した。
そしてそこから一時間ほどで、部活と新入生によるその見学は終了した。終了した後、部員は体育館の跡片付けとモップ掛けを始める。
透矢は何気なく、モップをかけていた翔平と三年生部員の会話を耳にする。翔平と話すその部員は、翔平と違いチャラチャラとした印象はなく、比較的真面目そうだった。
『なあ、翔平。今夜(荒野〇動で)デュオやろうぜ』
『はぁ? ざけんなよ。今日課題残ってんだっつの』
『えー……ちぇ、しゃーねーな。んじゃいいわ。頑張れよ』
『ああ』
耳を疑うような会話だった。
普通なら、今の会話は担当する役者が逆のはずである。見た目だけなら、絶対に学校の敷いたレールの上を歩かなそうな翔平が、課題を理由にゲームのオンライン通信を断った。
――この人は、見た目と中身のギャップが凄すぎる……
透矢の翔平に対する株は、この部活見学でエスカレーターの如く右肩上がりだった。
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「翔平先輩って、見た目から想像つかないくらい、すごい勉強や部活に熱心なんだな……」
「ああ、そうだな。確かにあの人、見た目は明らかにヤンキー疑うけど、コースも理系で学年で十番以内に入るくらい頭は良いんだぞ? だから先生も、先輩がある程度好き勝手見た目崩しても指導してないらしい」
翔平を基準に、ある程度という言葉を使うと、もうそれはある程度のレベルを明らかに越しているようにも思えるのだが、つまりそういうことである。
顧問も、また生活指導の教員でさえ翔平を指導しないのには、そういう意味もある。
校内の生徒や他校で、指折りの不良に入るほどの翔平。主な原因は、そのいかにも彼がその種族であることを思わせる破壊力抜群の見た目と、男子高校生の平均を大きく凌駕する身体能力の高さがゆえの喧嘩の強さである。
しかし、それでも彼がそれをほとんど咎められたことが無い理由は、理系を取っている生徒の中でもトップクラスに入るその抜群の成績が大きくかかわっているからである。更に、彼自身から喧嘩を振ったり問題を起こしたり、と言った面倒ごとは起こしたことが無いので、許容されているというのもある。
輝は、やや自慢げにどうでもいい情報も更に付け加える。
「逆に、さっき先輩にぼっこぼこにされてた俊貴先輩は、赤点ばっか取るくせに身だしなみも最悪。そのくせけんかっ早いから、校内一って言われるくらいの問題児。一部の生徒には『十北高校唯一の汚点』っても言われてるらしい」
俊貴が聞いていたら、今輝は間違いなく病院送りになっているところである。
「そ、そんなこともあるのか……」
「おっと、じゃあ俺はこっちだから。また明日な、透矢」
「ああ、また明日」
そういうと、輝は透矢とは反対に、十字路の右を曲がって住宅街の奥へと去っていった。透矢も輝に手を振った後、踵を返して自宅へと向かう。
そして、数歩進んだ時思い出す。
「あ……輝にアドレス聞き忘れた!」
慌てて振り返る。
しかし、その時すでに輝はどこにも見当たらなくなっていた。もう追いかけることもできないだろう。
「……明日こそは聞こう」
そんな決意と共に、透矢は帰路に着いたのだった。
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「はぁー……俺が精霊術師とは疑っている感じしないな」
透矢と別れてからの帰り道、輝は安心したようにほっと胸を撫でおろした。
「だから言ったじゃないですか。いまどき、そう精霊術師の正体をすぐに疑う人なんてそうそういないと。テルは少々心配性が過ぎます」
「そうだな……そうかもしれねぇ」
マイムの言葉に、輝は自嘲気味に笑いながら答えた。
「……しかし、ヒートの契約も成功するといいですね」
「ああ、そうだな。そうなれば、透矢と話しながらこんなにびくびくしなくて済むんだけどな……」
そう言って、輝が未だに止まない動悸をうならせるブレザーの胸元を、手でギュッと掴んだ。
「あら、そうだったんですか? 私から見れば、そんな印象は感じられませんでしたよ」
「まあ、察されないように頑張ってたからな」
「そうでしたか。でも、確かにトウヤとヒートが契約すれば、あなたも安心してトウヤと仲良くできますからね」
マイムは、透矢とヒートの契約の成功を祈って、しみじみと呟いた。大事なパートナーが、大切な友達と距離を置くことにならないように。
さらに彼は、こうも付け加えた。
「それに私は、トウヤとヒートはとても良いコンビになる気がするんです」
「良いコンビ? あいつらが? それまたどうして」
「さぁ……なんででしょうか……。精霊の勘、とでも言っておきましょうか」
マイムは小首を傾げて言う。その表情は、少し楽しげに微笑んでいた。
「……なんだそれ」
輝もつられて、可笑しそうに笑った。
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「ただいま」
ガチャリとドアを開けて帰宅した透矢。
リビングのカーテンの隙間から、蛍光灯の光が漏れているので、咲夜が返ってきていることが確認出来る。
「ああ、アニキおかえり」
リビングに入ると、ソファに座ってバラエティ番組を見ていた咲夜が、そっけなく出迎えた。部活帰りのためか、学校指定のジャージを着たままである。
「母さん、まだ帰ってないのか」
「仕事残ってるから、今日遅くなるんだって。夜ご飯作ってあるから食べていいよ」
マジか。心の中で歓喜する。
ダイニングに目を移すと、テーブルの上にラップで包まれた夕食が置かれていた。おませで扱いの難しい妹だが、こういう時に家庭的な一面を見せるので兄としては嬉しい限りである。
――さすが家庭科教諭の娘。
「……んじゃ一回、上で着替えてきてからにするかな」
「どうぞご勝手に」
「はいはい」
そんな何気ない兄妹会話を交わしてトントンと階段を上り、透矢は二階の自分の部屋へと上がっていった。
そして、部屋のドアを開ける。
「ふぅ……」
溜め息のような深呼吸をしながら部屋に入り、明かりをつけた。
そして、ベッドの上にカバンを置いて着替えようと――
「トウヤ」
聞き覚えのある、できればもう聞きたくなかった声が正面からかかった。
驚いて透矢は声のする方向に視線を向けた。
「……お前……なんでまた……」
机の上にいたのは、陽精霊ヒート。
しかし、その表情は初めて会った時の表情とは全く印象が違う。彼は口を真一文字に閉じ、決意のこもった凛々しい表情で、真っ直ぐに透矢を見つめていた。