No.30 破滅と隣り合わせ~子爵家次男の決意
花の香りに包まれる室内。
ワインと混ざった香りは幻想か、時の魔法か。
あの方の周囲だけ、綺麗に彩られていた。
「ニード・サニエル。よくやりましたわ」
「ありがとうございます。貴女様のためなら、なんなりと致しましょう」
膝をついて頭を垂れる。
目に入るのは、王妃様の華奢な靴のみ。
今はまだ我慢の時だ。
我慢なら慣れている。
子爵家の次男として生を受けた時から、俺の我慢は始まっていた。
厳格な父は、優秀な兄上だけを何時も優遇した。
俺がどんなに頑張って教師に誉められようとも、鍛練の師に誉められようとも兄上が一番で。
騎士になってからは、兄上以上に目立つなと言われそれを守るしかなかった。
第一騎士と言われ、王の近衛騎士になった兄上に、第三騎士の俺が敵うはずないのに。
誰一人として、俺を見ることはない。
泥々とした気持ちは募るばかりで、日々どうでもよく過ごしていた。
そんな時に出逢ったのが、王妃様だった。
花の様に美しく、甘美な酒の様に漂う色香にクラクラした。
本当に王子達を産んだのか。
年齢すら凌駕する美しさだった。
同時に、この方の役に立ちたいと思った。
それは魔法かうたかたの幻想。
この方の役に立てたら、今までの俺も救われる気がした。
それからは、毎日が楽しかった。
恋でもしているかの様に、あの方の事を考えて思いを馳せる。
考えていた以上に、俺は引き寄せられていた。
「これで、この国も陛下も私のモノだわ」
歌う様に言われた言葉は、俺の胸を抉った。
なぜ、今陛下の話に?
憎んでいたのではないのか?
頭の中でグルグルと言葉が回る。
「へ…陛下、ですか?」
「えぇ、ワタクシは陛下が憎いの。だから愛してもいるのかもしれないわ…」
「憎いから愛してる?」
「憎くて憎くて…でも、何処かで愛して欲しいのかもしれないわね」
憐憫に頬笑むのは、この方は誰だろう。
花のような頬笑みなら知っているのに、今の王妃様は……ただ、一人の愛をこう女性に見える。
「貴女様は……」
歪んだ愛。
縺れに縺れた愛は、歪みを見せて違う道へと進んでしまっている。
俺の中で、一つ何かが消えた気がした。
それが何だったのか。
考えるのは、強制的に辞める。
ここまで来てしまって、引き返す道は破滅への道だから。
それなら、何も考えずに溺れてしまえばいい。
「ニード・サニエル。これが上手くいけば、貴方をワタクシの近衛騎士にしてあげますわ」
「有り難き幸福でございます」
「貴方の働き、楽しみにしてますわ。貴方が一番いい働きをするんですもの。相応の願いを、聞いてあげますわよ?」
「楽しみにしています。では、私はまだ仕事がありますので」
「えぇ、励みなさい」
一礼して部屋を辞する。
遠ざかる華美な雰囲気。
頭の中は、今までにないくらいに冷めていた。
冷静な自分が『まだ引き返せる』と囁き、溺れた自分が『突き進め』と囁く。
俺はその場に膝をつき、頭痛のような痛みに耐える。
歯をくいしばり、耐えて引き波を待つ。
「っ、…引き返せる訳あるか!」
吐き捨てる様に言って立ち上がる。
頭に響く囁きに頭痛を覚えながらも、俺の答えはすでに決まっている。
吐き気を覚える状態のまま、俺は仕事場へと急ぐ。
今は何も考えずに、仕事をしておこう。
考えるのを後回だ。
まぁ、今さら考える事はないけど。
俺は来た道を戻った。
溺れてしまえば、きっと楽になれると信じて。




