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第二章 ①

 二十畳はありそうな、白い部屋。

 睦朗の実家は新潟なので、彼は学校から徒歩十五分ほどのこのマンションでひとり暮らしだそうだ。引っ越しの片付けはまだ終わっていないようで、白木のベッドと机があるほかは家具もなく、部屋の一隅を積まれたダンボールが占拠している。

 床に散らばった幾冊もの本を見て、綾香は(本読んでる暇があったら荷物片付ければいいのに)と思った。なんの本かと表紙を見てみたら、表紙にイラストや写真がぜんぜんない本ばかりだ。タイトルも、なんとか論だのなんとかの原理だの。

(て……哲学書?)

「なにかおもしろい物でもあった?」

 そう言いながら部屋の主が戻ってきた。トレイにマグカップをふたつのせて。

「おもしろくなさそうなものがいっぱいあった。マンガとか読まないのー?」

「マンガは絵がちゃかちゃかして読むのがしんどい」

「……今わたし、睦朗君との間にふっか~い溝をかんじてる」

「睦朗でいいってば」

「こんなむずかしい本読んで勉強に勤しむお方を、呼び捨てになんかできませんって」

「そこらへんのは勉強のために読んでるんじゃないよ。好きで読んでるだけ。読み終わったら全部忘れる」

「好きで読んでる!? これを!? ……構造主義的な認識を保持しながら主体性をどう奪回するかと云うポスト構造主義的課題は……だうっ! 一行たりとも理解できないっ!」

 睦朗は苦笑いして、トレイをフローリングの床に置いた。コーヒーのいい香りがした。

「テーブルもまだなくて。床でわるいけど」

「いいよ。きれいだもん。広いからそうじ大変じゃない?」

「家政婦さん来るから。週一回だけど」

「家政婦さんーっ? この部屋も高そうだし、このおぼっちゃま!」

「それを言ったらまったくその通りだな。君のお母さんもお嬢様だったわけだ」

「……」

 コーヒーをすする。インスタントではない豊かな香りがした。

(なんにも知らないんだよな……。わたし、母さんの実家のこと)

 母親の親族も知らないし、父親の親族も知らない。

 両親がいなくなってしまったので、トーキョーの雑踏にひとりぼっち。

 あ。ひとりぼっちなんだ……。

「綾香?」

 急に黙ったせいか、睦朗が呼びかける。いきなり呼び捨ての違和感が、さみしさから綾香を呼びもどしてくれた。

「どうしてそう、ためらわずに呼び捨てできんの?」

「アメリカ行ってたせいかな?」

「アメリカ? なんで?」

「父親に放り込まれて、アメリカの全寮制学校に行ってたことがある。半年で逃げ帰ってきたけど。ついていけなくて」

「お父さん、教育熱心なの? 高校だってわざわざ新潟から出てきたんだし」

「んー……。教育熱心かもな。でも高校は、自分で決めた。父親が受けろって言ったところは全部、白紙で答案出してやった」

「うわお。おぼっちゃま反抗期ですか?」

「そ。反抗期です」

「だから入学式に親が来なかったの? でも、合格発表はお母さんが来てたよね」

「あのときは、不動産屋に行くためしょうがなく。中学生じゃ部屋が借りられないからな」

 そう言って睦朗もコーヒーをすすった。なかなか激烈な反抗具合だけれど、今の睦朗は淡々としている。こういう子のほうがこわいかもなあと綾香は思った。

「睦朗君……睦朗も赤ノ倉ってことは、お父さんは赤ノ倉の籍に入ったの?」

「いや、うちも君のところと一緒。父と母は入籍してない。入籍したとしても赤ノ倉だろうけど。新潟の家は歴史のある旧家でね、お袋はそこの跡取り娘。死んだ前の夫……君のおじいさんも入り婿だよ。知らなかった?」

「うん。おじいちゃんは母さんが高校生のとき亡くなったって話はきいたけど、ほかはなんにもしらないの。わたし」

「じゃあ、『伝説』も知らない?」

「伝説?」

 睦朗は探るような眼でじっと綾香を見た。

「……古いうちって、くだらない言い伝えがいろいろ残ってるんだよ」

「どんな言い伝えよ?」

「ごめん、僕もはっきりしたことが言えないんだ。まだ調べきれてなくて。紀香さんと話したかったのは、この『赤ノ倉家の伝説』に関することだよ」

「わたし、そんなのきいたことない。赤ノ倉家の伝説なんて……」

「それと、僕の父のことも尋ねたい。父の正体、父の行方……。紀香さんが少しでもなにか手掛かりを知らないかと思って。紀香さんが出て行ったのは、父が赤ノ倉家に出入りするようになったあとらしいから」

 綾香は眉間にしわを寄せた。

 父の正体。父の行方。睦朗の。

 父の正体。父の行方。わたしの。

 どちらも謎って、どういうことだ?

「睦朗のお父さんって、何してる人?」

「ジャーナリストだって本人は言ってるけど、あやしいな。名前だって本名かどうか。新潟で母と一緒に暮らしてるわけでもないしね。たまに通って来て、僕のことにあれこれ口を出すんだ」

 父親のことを話す睦朗は、不愉快そうな表情がますます険しくなった。

「正体不明なのはうちの父親とおんなじ。おまけに外国人だし」

「僕の父もアメリカ人だよ」

「えっ! 睦朗もハーフなの? 見えない! ぜんっぜん!」

「だから、本当の父親かっていうのも疑わしいよ。父は大柄で、えらそうでものものしい雰囲気の男なんだ。ジャーナリストっていうより厳つい軍人みたいだ」

「うちの父さんの苦手そうなタイプだなあ……。なんて名前?」

「ダン・グラボス」

「ダン・グラボス? ふーん……」

 睦朗が赤ノ倉姓でよかったと思った。「グラボス」なんてこの美少年には絶対似合わない。

「それにしても、紀香さんが行方不明なんて……」

「考えたくないけど、事件に巻き込まれた気配濃厚だよ。父さんがついてるらしいけど、逆に危険なんじゃないかって思っちゃう」

「君のお父さんはなんて言っるの?」

「『バカを叩きのめしに行く』『紀香は守る』『綾香にはボディーガードがついてる』」

「ボディーガード?」

「そこが一番わかんないんだよね。『バカ』は敵だろうけどさ。一体どんな敵だよー」


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