第一章 ⑤
郷田川高校には、通常時の制服着用義務もなければ、クラス分けもない。この高校の授業は大学のように選択制なので、受ける授業ごとに教室のメンツは変わるのだ。選択授業制の高校はまだ少数派だから、それもあってこの学校は近年人気が増している。
うわさでは、学期ごとの試験にパスしさえすれば、授業に出なくても咎められないらしい。他の学年の授業に出ることも可能。下手したら生徒がぶったるんでしまいそうなこのシステムを強気な理念が支えている。
この新設高校は創立当初から、入試の点数が基準に満たない入学希望者はすべて切るという方針に出た。切りっぷりが半端じゃない。初年度の入学者数は定員の四分の一だったそうだ。その四分の一たちの進学先がエリート進学校並みだったことから、郷田川の人気に火がついた。倍率は年々上がり、創立十周年の綾香の入試の年度は、かなりの狭き門になっていた。今では有名大学への高進学率に加え、海外の有名大学や音大美大など、進学先の多様さは老舗名門校にはないものとなっている。マスコミでもとりあげられて有名になり、地方からわざわざ上京して受験する人もいるらしい。
(よく受かったもんだわ、ホント)
綾香がここを志望した理由はおそろしく単純で、「学園祭がおもしろかったから」。
昨年行った郷田川の学園祭で、瓦割りコンテストがあった。自信があったから挑戦したら、郷田川の男子生徒たちをおさえて優勝してしまった。「優勝者は女子中学生!」ということで、ヒーロー(ヒロインだ)になり、ミス郷田川から花束&ほっぺちゅー贈呈。観戦していた在校生のみなさんに「来年待ってるよ!」と言われ、退場時には「あーやーちゃん! あーやーちゃん!」とコールされてその気になった。
あのときは美里が一緒で……。
美里。またひとつ、胸が塞がれる。
美里とは距離を置いたまま、卒業してしまった……。
(天気いいし。桜もこんなにきれいなのにな)
綾香は校門横の桜を見上げた。創立十年の学校の桜は、中学にある桜よりだいぶ幹が細かった。それでも桜は桜だ。満開の、入学式の桜。
綾香は頭を振った。
切り変えよう。新しい生活のはじまりだもん。
胸に造花をつけた新入生とスーツの保護者の流れに乗って、綾香は講堂へ行った。新入生席の一年生たちはおしゃべりもせず、みんなおとなしく席についていた。
綾香も新入生席から、入ってくる人々をながめた。上級生や先生らしき人が次々と入ってくる。外国人も何人かいる。英語の先生だろう。
その中のひとり、ぽっちゃりしたおばさん先生と談笑しながら入ってきた白人男性を見て、綾香は声をあげそうになった。
(ぎゃっ! かっこいい――!)
女生徒たちから「きゃー!」「マジ?」「誰?誰?誰?」と声があがる。保護者席のお母様方も釘づけである。
190センチはあろうかという高身長、細身ながらもがっしりとした体つき、柔らかく額にかかる波打つ栗色の髪。顔立ちは優しげで、やや繊細なかんじ。年配のマダム(おばさん先生)のために椅子の位置を直す、その紳士的な気遣い。
(ヨーロッパの古城でレースふりふりのお貴族スタイルがばっちりハマりそう……。パルテノン神殿みたいなとこで竪琴奏でてくれてもいい! あんな人に跪かれて手の甲にキスされたりしたら……ぎゃー! 悶える! 悶絶!)
滅多に活性化しない綾香の女性ホルモンが、どっかの管から大量放出される。
美少年君といいあの外国人教師といい、なんと美形が豊作な学校だ! こりゃ幸先がいい。ほかにもいるんじゃないかな? ……と、綾香は首を伸ばして周囲を見回した。
(おおお! いたいた!)
来賓席の最前列、一番端の壇上寄り。面白味のない無難なスーツ姿のおっさんが並ぶその列で、彼はひとり華を放っていた。異様なほどに細身のスーツ。異様なほどに高いカラーのシャツ。顎にあてる手にはめられた、異様なほどにごつい指輪。白髪なのだけれど、雰囲気がモードっぽいので「わざと脱色してんのか?」とも思う。ときめくには歳が行きすぎているものの、かっこよさに文句はない。
「な、何者?」
「郷田川理事長だよ。あのディオール・オムのスーツの人でしょ?」
思わずもれたつぶやきに返事があったので、びっくりした。
声のほうを見やると、面長ですっきりした顔立ちの男子が、隣の席で微笑んでいた。梨園の御曹司みたいな垢抜けた和顔が魅力的だが、お貴族系美青年とモード系美老人の後なだけに、いまいちパンチに欠ける。黒髪ベリーショートは顔立ちに合っていいけれど、ピアスと制服の着崩しがチャラいなあと綾香は思った。
「瓦割りの人だよね~?」
「瓦割りコンテスト、見ててくれたの?」
「うん。すごかったね! 強そーな空手部員を次々負かして。怪力だなあ!」
「ああいうのは力じゃないんだよ。ボールなんかでも、打てばよく飛ぶポイントってあるでしょ? 物にも叩けば壊れるポイントってあるんだよ」
「すごい! プロみたい」
「瓦割りのプロなんていないでしょうに」
綾香は笑った。彼はまだ話したそうだったけれど、さっきから「入学式を始めます」とアナウンスが流れていたので、おしゃべりは中断。お互い真面目に前を向く。
入学式なんて退屈だ。
校長先生の長ったらしい祝辞、ダンディーな郷田川理事長の短い祝辞、祝辞祝辞祝辞校歌斉唱在校生代表の言葉、そして新入生代表の言葉。
「次は、新入生代表の誓いの言葉です」
綾香はぽけーっとしていた。
「赤ノ倉……」
一瞬、心臓が止まりそうになる。
(きいてないよなんにも!)
「赤ノ倉睦朗君!」
ほーっ。へなへなと力が抜ける。
同姓か。
(めずらしいな。赤ノ倉なんて滅多にいないのに)
どんなやつだろうと伸びあがって見ていると、後ろのほうで話し声がした。
「あいつが一番かあ」
「すげーな」
どうやらこの高校は、一番の成績で入試を突破した人が代表の言葉を言うらしい。同じ名字で一番とあってはどんなひとか気になるなあと思っていると、舞台近くの控え席から小柄な人物が立ち上がり、壇上に上がって行った。
あれは……。
美少年君!