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第八章 ⑦

 ピンストライプスーツの気障ったらしい悪魔は、ブエルと名乗った。

 態度の端々から、フィルの配下であることが伺える。フィルは言葉を発することはせず、話すのはすべてブエルの役割らしかった。

「フィルの弟、疲れた顔をしているな」

 ブエルはそう言うが、綾香にしてみれば、睦朗は疲れた顔がどうこういう以前に、見慣れない顔をしている。

 睦朗の肉体の急成長にはミラフも二木先生も戸惑いを隠せないようで、皆で顔を見合わせたりちらちら睦朗を見たりしていたら、ついに睦朗もこちらの態度のおかしさに気が付いた。

「なんだよ、僕の顔になにかついて……。あれ? 声。声が変だ……」

魄玉(はくぎょく)

 ブエルが内ポケットからまた宝石のようなものを取り出すと、さっきミラフにしたように、それを睦朗の口に押し込んだ。

「……っ! ちょ……やめ……っ……」

 睦朗がげほげほと咳込む。

「しまった飲み込んだ……なんだ今のは」

「魄玉。魔族のエネルギー源だ。フィルの弟にはひと働きしてもらう。疲れている場合ではない」

「睦朗君にまで何をやらせるつもりです!」

 二木先生が睦朗を庇うように、ブエルとの間に割り込んだ。

 ブエルはまた締め上げられては敵わないとでも言うように、二木先生から後ずさった。そして広間にぐるりと視線をめぐらせ、広間中央に倒れているかつての主人に視線を落とした。

 睦朗も、誰にも顧みられず倒れたままの、巨城の主の(むくろ)を見つめた。

 自分の父親の遺体を。

 禍々しく輝く赤い色がすっかりなりをひそめた後の、暗く沈んだ瞳で。

 ふいに、フィルがつかつかとダン・グラシャラボラスの遺体に近づいた。

 そして遺体を軽々と肩に担ぐと、見つめる一同の間を通り抜け、バルコニーまで運んで来た。

「あ……」

 睦朗は何か言う間も与えられなかった。

 ひとかけらの感傷もにじまない無駄のない動作で、フィルは父親の死骸を吹き抜けの穴に捨てた。

 綾香や睦朗がバルコニーから見つめる中、ダンの遺体が薄暗い穴に吸い込まれるように落下する。

 そしてあっという間に、視界から消えていった。

「フィルの弟。埋めろ」

 ブエルの言葉が聞こえているのかいないのか、睦朗は身じろぎもせず父が消えた穴を見つめていた。

「父親から奪い取った力を用いて、父親の築いた城を破壊し、父親を埋めろ。父親と、父親の野望を埋めるのだ」

「父と、父の野望……」

「侯爵は『別世界』なぞ求めて良い器ではなかった。巨城の主で満足していれば良かったものを」

「……」

 睦朗は吹き抜けの上部に顔を向けた。

 上を見ても下を見ても、目のくらむような巨大な城。

「城の瓦礫で『門』を塞ぐのだ」

「……待て。おふくろがここにいるんだ」

「侯爵の妻か?」

「妻……なのかな……」

「老いた人間の女だろう? 侯爵の、最後の妻だ」

「最後の、妻……」

 ブエルの言葉を繰り返す睦朗の声は、こころなしか震えていた。

「妻か。愛情はあったのかな……。あるわけないか……悪魔だもんな」

「人界では愛情と呼ばれるたぐいの、ある種の執着があった可能性はある。なければ無理を押して、子も産めない女を魔界へ連れ帰りはしないだろう」

 どうでもよさそうにブエルは言った。

 一瞬の沈黙ののち。

 睦朗は一同にくるりと背を向けた。

 背中はなにも言わないようでいて、饒舌に語る。

 あのときと同じだと、綾香は思った。

 ニコルの遺体に桜の枝を供えたあの日。綾香が、睦朗を放ってはおけないと言ったあの日。

 睦朗はこんなふうに綾香に背を向けて遠ざかり――。

 たぶん、静かに泣いていたのだ。

 言ってほしい言葉を言われたとき。

 待っていた言葉を言われたとき。

 睦朗は言った相手に背を向けて、きっと静かに泣くのだろう。

 

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