第八章 ①
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このバカ親父いくら睦朗が最強種の悪魔だってまだ翼も出たばっかりで戦闘経験だって乏しいんだから百戦錬磨の侯爵の前にそんなルーキーほうりだしてなにのんきに笑ってんの神経腐ってんじゃないの!?
……と、言いたいのに、怒りのあまり声が出ない。
綾香が酸欠の金魚のように口をパクパクさせていると、暗闇から当のバカ親父を呼ぶ声が聞こえた。はくしゃくー、と。
睦朗の声だ。
綾香は手摺に駆け寄って暗闇を見た。
「むつろ……おわっっ」
ぶわさっと、目の前で羽ばたきの音と風圧を感じた。
すぐ手が届きそうなところに、翼を広げた睦朗がいた。
「むつろー! よかったー! わあ飛んでる! すごいっ」
睦朗がバルコニーに降り立つ。
「綾香、無事だったか。よかった。伯爵、僕にはちょっと無理そうなんで、やっぱりグラシャラボラスの成敗をお願いし……」
言いきる前に、睦朗の言葉は止まった。睦朗は部屋の中を見てしまった。
おばあちゃんのいる部屋を。
美千代はベッドに腰かけたまま、翼のある息子を見ている。
母親と目を合わせたまま、睦朗はバルコニーの中央に立ち尽くしていた。
張り詰めてしんとした空気が、場を覆う。
が。
「やっぱ無理かね。じゃー、ちょっと侯爵成敗してこよーかね」
綾香は父親の後頭部をスパーンとはたいた。
「くくく空気読んでくんない?」
「私は空気読めとか上から目線とかどや顔とか、その手の言葉を用いて他人の積極的な行いを抑えつけるのは卑しいと思うのだ」
「持論を披露しなくていいから! 頼むから黙っててくんない?」
「じゃ、黙って行くとするかね」
「あっ、こらちょっと!」
ヴァラックスは片手を軸にひょいと手摺を飛び越えると、暗闇に消えた。
「ミラフ! 追いかけよう!」
綾香は祖母を振り返った。自分の父親が、睦朗の父親を殺すなんて……。
できることなら、止めたかった。
「ミラフ、父さんのところに……」
「全員で行ったほうがいいな」
ミラフは、霊力でなにかを探っているときの目をしていた。
「どうしたの?」
「おまえら、忘れてねぇか? 侯爵の配下が来てんだよ。たった今、城主のもとに到着。城内各所に配置完了。戦闘態勢。もう簡単にゃ逃げらんねーぞ。――ニケ」
霊々天は睨むように力々天を一瞥した。
「戦えよ」
「止むを得ない場合のみです」
ミラフは大きく舌打ちすると、ホルスターから拳銃を抜いた。
二木先生に抱えられ、綾香が大きな吹き抜けを飛び越えて下向かいのバルコニーに到着すると、広間の中はもう戦場だった。
広間には、百体あまりの悪魔たちがいた。
しかし、彼らは誰ひとり、エドワード・ヴァラックスに手を掛けることができずにいる。
伯爵の周囲二、三メートルに近付くそばから、悪魔たちは血潮を吹き上げて勝手に倒れていくのだ。伯爵の周囲には肉をも斬り裂く暴風が渦巻いていて、無鉄砲に彼に近付くものはすぐにいなくなった。
ヴァラックスは雑魚には興味を示さず、凶暴な空気をまとったまま、まっすぐ城主を目指してすたすた歩いてゆく。
別人のように険しく真面目な表情だった。いつものとぼけた父ではない。
「レッドアウト中。近づくな」
ミラフが小声で言った。
「父さん、傷つけられたの……?」
綾香は傷の痛みであれになるが、ヴァラックスに外傷は見えなかった。
「どういう条件下でレッドアウトするか、それぞれ違うみてぇだぜ。伯爵は家族だとか友人だとか配下だとか、自分の身内が絡むとあれになる」
言いながらミラフは、拳銃を持ってないほうの手のひらを広間に向かって突き出した。次の瞬間、大きな炎のうねりが襲ってきたかと思うと、空気を遮断されたように即座に消えた。広間の中から赤毛の女悪魔が、くやしそうな表情で結界を張ったミラフをにらんでいた。
「くっそ、マジで霊力重い。青島、私は攻撃するから、今からおまえが防御結界張れ」
「い、今の攻撃を防御するレベルの障壁ですかっ?」
「当然」
「そんなの五分しかもちませんよう!」
「十分もたせろ」
ミラフは広間に飛び込んでいった。




