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第七章 ⑧

          ***


 睦朗がいるのは、舞踏会でも開けそうな大広間だった。

 細かなバロック様式の壁面装飾に、豪奢なシャンデリア。けれど、この舞踏の間には、舞踏曲はおろか話し声すら聞こえない。

 ヴァラックスに連れてこられたこの広間には、この城の城主ただひとりしかいなかった。

 戦いになる前に、睦朗は父と話したかった。だから、父と一対一で戦う気などなかったけれど、嘘を言って伯爵には出ていってもらった。

 睦朗は相手に目線を固定したまま、ゆっくりと歩み寄った。大理石の床がコツコツと鳴る。

 ダン・グラボスは――グラシャラボラスは、錆色の軍服姿だった。長身で胸板の厚いこの男には、いつものビジネススーツよりこのほうが似合っていると睦朗は思った。

 軍服の背には、黒い大きな翼がある。

「おまえも翼を出したらどうだ?」

 息子が自分の翼を見ていることに気付いたのだろう。ダンが言った。

 言われるままに、睦朗は翼を開いた。最初に翼を出したときは背中が焼けつくように痛んだのに、二度目からは息を吐くように自然に現すことができる。そして現れ出た翼の分だけ、身体が大きくなった感覚がある。

 ――けれど、それだけだ。

(僕にはまだなにもできない)

 最強種などと言われても、いまだなんの力もない。雑魔から身を守ることさえ、綾香にやらせてしまった。綾香を血塗れにして……。

「立派な翼だ」

 父の言葉に、睦朗は否定的に首を振った。

(翼なんかほめられたって。僕が努力して得たものでもないのに)

 自分が努力して勝ち得たものは、父にとってはいつも不足だった。

「あんたは……僕になにを望むんだ? 僕にどうなって欲しいんだ?」

「人界に影響力を持つ存在になることを望む」

「……偉くなれってことか。なんで悪魔がそんなことを望むんだ。人界でのし上がるつもりか?」

「人界でのし上がるつもりはないが、人界を動かせる優秀な手駒は欲しい」

「なんのために? 魔界で、もっとのし上がるために?」

 息子の言葉をグラシャラボラスがせせら笑う。

「なにがおかしいんだよ」

「悪魔たちは、世界の広さを知らない。天使たちもな」

 グラシャラボラスは、来いと言うように顎をしゃくり、バルコニーに出た。

 石造りの広いバルコニー。城の中心を貫く闇に向けて開いたその場所に、睦朗も続く。

「上部は扉になっている。四羽山の上空に出る」

 睦朗は暗い空間を見上げた。

「下部も扉になっている」

「下も? どこに出るんだ」

「『別世界』だ」

「『別世界』? なんだそれは」

「天界でも人界でも魔界でもない、もうひとつの世界だ」

 グラシャラボラスは、喉の奥からくぐもった笑いを漏らした。

 今まで冷静だった顔が、ぎらついた欲望に歪んだように見えた。

 いつだったか、天使が言っていた。――自己の拡大が悪魔の本能だと。

「あんたがのし上がりたいの場所は、その『別世界』? 僕はそのための手駒か?」

「おまえはもともとあちら側だ」

「どういう意味だ?」

「赤目は、あちらの世界から来た。魔族の特性を備えているように見えても、この魔界にとっては異物だ」



 ――異物。

(ミラフにも言われたな……)

 強者に歯向かわないはずの雑魔が、死を覚悟してまで襲ってくる。睦朗は自分に向けられた雑魔たちの強い排除の意志を思い出していた。

 雑魔に限ったことじゃない。

 思い返せば、今までまっとうな居場所があったことなどなかった。ありのままに、自然に存在できる場所などなかった。

 子供のころは、いじめられるか守られるか。いつも自分のまわりには好悪どちらかの感情が渦巻いて、摩擦が働いて……。

 一生一緒にいたいと思った友人は、自分のせいで死んで。

 悪魔とののしられて。

(本当に悪魔でさらに異物で)

 睦朗はバルコニーから下を覗いた。大きな吹き抜けのような穴は暗くてなにも見えないが、建物の高さから察するに、ずいぶん深いのだろう。

「……僕、飛べるのかな。――――試す!」

 睦朗はバルコニーの手摺を乗り越えた。

 父の手が伸び睦朗をつかまえようとしたが、振り払う。

 賭けだった。

 墜落して死んだら、それまでの存在。

 けれど、もしも飛ぶことができたなら――――。

 翼を動かす。

 空気を上手くとらえることができない。落下の速度が空気の抵抗になって、顔が痛い。

 駄目かな――と思ったとき、脳裏に浮かんだのは綾香だった。

 思い浮かんだ綾香は、いつか見たタイトな水色のドレスを着ていて……。

(意外と似合ってた)

 と、思った途端、翼が風をつかんで暗闇に浮いた。

 想像の中のドレスの綾香が、にっと笑ったような気がした。

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