第七章 ④
ミラフに連れられ、石造りの広い回廊に着地した。
建物の外側をぐるりとめぐるバルコニーのような回廊で、建物内の廊下よりは視界が利いた。紫の空が薄明かりをくれる。
「重っ」
霊々天がしんどそうにつぶやいた。着地でつんのめる勢いが小さいところをみると、大きな距離は跳んでいない。綾香もだんだんわかるようになってきた。
「重かった? ごめん」
「おまえじゃない。空間が重い。でっかい結界が近くにある影響だ」
「助かりましたぁぁぁ!」
青島君は床に手をつき、肩で息をしている。
ミラフは回廊から外を見ていた。綾香も石の手摺から下を見てみる。建物が建っているのは崖の上で、下を見ても薄紫の靄ばかりで地面が見えない。
断崖絶壁にそそり立つ巨城だ。
「青島、おまえがここにいるってことは、ヴァラックスも来てると考えていいんだな?」
「はい……」
「よくやった、と言いたいとこだけどよ、おまえにしちゃ手際が良すぎるぜ? どんなトラブルがあったか言え」
「あう……。ミラフ様に言われた古着屋へ行ったら、伯爵と鉢合わせして……」
「父さんと?」
「赤ノ倉さんがフィル・グラシャラボラスにさらわれたから、伯爵に知らせに行くところだったんですって言ったら、ちょっと待ってなさいって言われて。そのまま五分くらい古着屋で待ってたら、伯爵が……ええと……」
「ヴァラックスがなんだよ?」
「……睦朗をつかまえて戻ってきて」
「はああっ!?」
「この子もグラシャラボラスに恨みがあるようだから手伝わせるのだとかなんとか……」
「ああああんのバカ親父ぃ……っ!」
綾香は怒りで体がわなわなと震えるのを感じた。
睦朗をつかまえた? 睦朗を連れてきた?
何故あのバカ親父は、いちいち話をややこしくするのか!?
「ったくあのバカ……。ニケはどうした? 睦朗はニケが見張ってたはずだろ」
「わかんないっす! じたばた暴れる睦朗をウサギかなんかみたいにひっつかんで戻ってきたんですよ、ものの五分で! なんなんですかあの方は!? おれも無理矢理連れて来られちゃうし! つか、ここどこですか? フィルの屋敷っすか? 来た途端に牛の化け物が出てくるし! さあ戦うのだとか言われて置いてかれるし! ひーっと思ったら赤ノ倉さん出てくるし! もうわけわかんないよう~。ひーん!」
「泣いてろ。睦朗はヴァラックスと一緒なんか?」
「知りませんよう!」
「ミラフどうしよう、ここに睦朗がいるなんて! ダンやフィルになにされるかわかんないじゃない。もうもうもうっっ! あのバカ親父っっ! ミラフ、睦朗どこ? この前みたいに気配読めない? スコープしてよ!」
「人使い荒いぞおまえ! なるべく体力温存しときてぇんだよ。……おい、青島、おまえがやれ。睦朗の気配探せ」
新米識霊天は、城の中心部に顔を向けた。束の間、壁に視線を固定させる。
「……建物の真ん中辺っすね。モヤってて、いまひとつわかんないすけど。大きい結界が城内にあって、霊力がうまく届きません」
「巨大結界も睦朗がいるあたりか?」
「結界はもっと下です。地下にあるみたいですねぇ」
「便利だなあ。霊力って!」
感心する綾香に、ミラフは底意地の悪い表情を向けた。
「私らは便利属性。おまえひとりが野蛮属性。敵が来たらおまえの番だかんな。戦えよ」
「げっ!」
「戦闘が嫌なら、敵が湧いて出る前にとっととずらかるってのはどうよ?」
「ずらかるって……だって、睦朗は?」
「ほっとく」
「嫌」
綾香は拒絶とともに、天使にきついまなざしを向けた。
そんな綾香を見て、ミラフはあきらめたように嘆息をもらした。
「絶対そう言うと思った……」
「青島君も力を貸して。一緒に睦朗を人界に連れて帰ろう!」
「えーっ!」
「お願い! わたしもう、睦朗をつらい目にあわせたくないの。ここにいたら、父さんとグラシャラボラスの戦いに巻き込まれる。睦朗にとってダン・グラシャラボラスはお父さんだよ……あんなお父さんでも……。睦朗とダンを戦わせたくない」
「魔界じゃ親子の殺し合いなんてよくあることだよ。ふつうだよ」
「青島君、なんでそんなこと言うの。あんたお父さんお母さんいないの!?」
「いるけど、会ったことないし、誰だか知らない」
「えっ……?」
「別に天界じゃふつうだよ。天界とちがって人界では『愛情』を基盤に家庭を築くってのは、ちゃんと知ってるよ。知識として」
綾香は助けを求めるようにミラフを見た。えらい霊々天は助け舟を出す気はさらさらないようだった。無言で様子を見ている。
綾香はあきらめて青島君に向き直った。
「……一緒に睦朗助けようよ」
「おれ帰りたい」
「天界の出世事情は知らないけど、睦朗を無事に連れ帰ったら天徳公申様からほめられるんじゃない? 公申様は睦朗を有効利用したいらしいから!」
やけくそのように綾香は言い放った。情が通用しないなら、野心をくすぐったらどうかと咄嗟に思ったからだ。
青島君の表情が微妙に変化した。
「公申様、睦朗に期待してるって言ってたもん。貴重な手駒を失いたくないんじゃない?」
「そうだとは思うけど……」
「でも嫌ならいいよ。あんたが嫌でもわたしはここに残るけどね!」
「綾香が残るなら私も残るぜ」
ミラフがようやく口を開いた。
「ちょ、ちょっと待って! えっ、ミラフ様は赤ノ倉さんを連れ帰らないんですか? ミラフ様も赤ノ倉さんのボディーガードですよね?」
「ボディーガードだからだよ。公申の命令じゃなくて、私の意思でやってるボディーガードな」
ミラフは綾香の頭を愛しそうにくしゃっとなでた。
綾香は頭をなでられながら、目に涙を溜めて青島君をにらんでいた。




