第七章 ①
「お願いです。武器を持たせてください」
「だから、必要ないって言ってるだろう? 君は犯人と対面する必要もない。犯人が公園内に入る前に、警察が取り押さえるから安心しなさい」
警官の声には苛立ちが混じっていた。
覆面パトカーの後部座席に座る綾香は、となりにいる警官に聞こえないようにため息をついた。
最初「武器を持たせてください。できればナイフを」と申し出たとき、彼は懇切丁寧に武器を持つことの危険を諭してきたが、綾香がしつこいのでついに「あの女の子、大丈夫ですか? 頭おかしくないですか?」と上役に言っていた。
これ以上武器を要求したら、身代金受け渡しの任を解かれてしまう。それだけは避けなくてはいけない。
(美里……)
今ならわかる。睦朗が「魔界に行く」と言った気持ちが。
「誰も巻き込みたくない」と言った気持ちが。痛いほどに。
(美里……ごめんね。こんな目にあわせて)
にわかに警官たちの動きが慌ただしくなった。
「そんなバカな! どこから入った?」
「それが、あらかじめ展望台付近に潜んでいたとしか……」
そんな会話が聞こえた。
犯人は警察の包囲網をかいくぐってきたのだろうか?
綾香は眉をしかめた。霊属性を持たないフィルは、瞬間移動ができないと天使たちが言っていたのに。
(フィルじゃない? ダンなのかな……。けど、たとえ敵が誰でも)
綾香は決意を秘めた険しい目をして、窓の外を見た。
(美里は助ける。必ず)
覆面パトカーがゆっくり動き出す。
綾香は拳を固く握りしめた。
海があって、柵があって、眼前には白いコンクリートが広がっていた。
空は夕焼け。
茜色の空を背負って、黒いニットキャップに黒いロングコートの背の高い男がいる。サングラスをかけているが、定規で引いたようなシャープな顎のラインに見覚えがあった。
やっぱりフィルだ。
フィルは布で目隠しした美里を片腕で抱えて、その場に長い影を落として立っている。
美里に怪我はないようだった。すこし安心する。
綾香は身代金の入った鞄を持って、フィルに向かって一歩踏み出した。
警官たちは、展望台には逃げ場がないという理由から、仲間が海から船で来る可能性を考慮し、海側の警戒も厳しくしている。
(絶対に美里を一緒に行かせない)
美里を巻き添えにしようとしたら、そのときは戦うときだ。戦って、警察に四方八方から監視されているこの場であれになったら……レッドアウト……自分ももう、人界にはいられない。
覚悟する。それでも美里を救う。
決意する。なにがあっても美里を救う。
フィルとの距離が徐々に縮まる。
「綾香……?」
美里がかすれた声で言った。
大丈夫。任せて。わたしはあなたを助ける。
綾香は左腕を伸ばして、鞄をフィルに突き出した。
鞄ではなく腕をつかまれたとき、来た!と思った。美里を抱えているフィルの左手、その甲の骨を狙い、するどく拳を入れる。
力が緩んだのを見計らって、フィルに体当たりする。
美里が離れた――もう大丈夫――どこにでも連れて行け!
走り出てくる大勢の警官が目の端に映った途端、体が宙に浮いた。
瞬間移動かと思った。けれど違った。
落ちた。
展望台から、海へ。フィルに抱きかかえられながら。
海面に、夕日のせいとは思えない、かっちりした人工的なフォルムの赤い光の輪が映っていた。
(なにこれ――)
綾香はフィルとともに、その輪の中心めがけて落下した。




