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第六章 ②

 綾香がピザの空き箱十箱分をたたんで縛ってベランダに置きに行くと、睦朗が夜風に当たっていた。ミラフは入浴中だ。

「見てよこの箱! 三人で食べる量じゃないね、まったく」

 翼を発現すると基礎代謝が大きくなるそうで、カロリーをたくさん必要とするミラフと睦朗の食べる量はすごいことになっている。翼のない綾香も、つられて食べ過ぎた。

「あんたたちと一緒にいると普通の量がわかんなくなる。あー太りそう」

「箱、廃品置き場に置いてこようか?」

「いいよ明日で。すぐそこでもひとりになったら危ないかもしれないし」

「何人か天使がついてるって話だけどな。……いつまでこんな籠の鳥みたいな生活が続くんだ」

「うーん……」

「はやいとこ親父と兄貴ぶち殺して自由になりたい」

 睦朗は淡々とそう言って、夜空を見上げた。

 東京の夜空に、星は数えるほどしか見えない。綾香も睦朗と並んで星を見上げる。見ているうちに目が慣れて、小さな星をもう何個か見つけることができた。

 睦朗に、お父さんのことをそんなふうに言わないでとは、もう言えなくなってしまった。

 綾香の家のリビングには、家族の写真がいくつか飾ってある。笑顔のエドワード、笑顔の紀香、ふたりに両側から抱かれた笑顔の綾香。その写真にじっと見入っていた睦朗。

 ……胸が痛い。

 いまさら写真を隠すのもわざとらしいから、そのまま飾ってあるけれど……。

 睦朗にだって、親子で仲良く暮らしたい気持ちはあると思う。おばあちゃんにだってその気持ちはあると思う。そうじゃなかったら、合格発表の日に寒椿の前で記念写真を撮ったりしないだろう。

(あの日、睦朗とおばあちゃんのツーショット、結局撮りそびれちゃったな……)

 綾香はしばらく睦朗と一緒に、貧しい星空を見上げていた。こんな星空でも、見ていると魂を吸いこまれるような、おかしな気持ちになった。自分が自分でなくて宇宙人だとでもいうような、それはそれで構わないとでもいうような、不思議と開放的な気持ちに。

「四羽村はもっといっぱい星が見えるね」

「そうだな」

「魔界は星、ないよ……」

 睦朗はまだ、魔界に行く気持ちを捨てていない。綾香は行かせたくなかった。郷田川理事長だって味方になってくれるのだ。人界にいることはできるはずだ。

「星なんか見えないほうがいいよ。アメリカの全寮制学校は荒野にあったから、四羽村なんか目じゃないくらいすごい星空だったけど、僕はもうあの空を思い出したくない」

「……」

 綾香は森田さんの話を思い出した。睦朗はアメリカで、大切な友達を亡くしたのだ。

「僕は人界にいちゃいけないんだ」

「赤目に凶暴性はないって、理事長が言ってたじゃない。大丈夫だよ」

 睦朗は首を振った。静かな表情だった。

「……凶暴性がなくとも、人を死なせる。ダンともフィルとも関係なく」

「どういうこと?」

「一生ついていこうと思ってた友人を死なせた。……僕のせいで」

「睦朗のせい? まさか」

「僕のせいなんだ。彼は天才だったのに……。頭も抜群によかったし、奉仕精神にも富んでて、尊敬してたよ。落ちこぼれの僕の勉強もよく面倒見てくれた。彼がいたから、慣れないアメリカでやる気になれたんだ。彼みたいにはなれなくても、がんばって将来は彼の助手くらいやれるようになりたいと思った。生まれてはじめて将来に夢が持てた。彼の研究を手伝いたいって。彼の仕事を手伝うことで人類に貢献するんだって。なのにさ……」

「……」

「突然避けられはじめて、どうしていいかわからなかった」

「え?」

「……なにか気に障ることでも言ったかと思った。彼は厳格な家庭に育ったから、保守的で道徳に厳しかったし。だから、僕に悪いところがあったら言ってほしい、なおすからって、彼を問い詰めた。そうしたら……いきなり、唇にキスされて」

「ええっ……?」

「そのあと泣きながら、『俺の目の前からいなくなってくれ。おまえといるとおかしくなるから』って言われて。ああ、そうかって、はじめて気付いた。僕のせいなんだ。僕の、この、容姿のせい……」

「そんな……」

「彼の気持ちを受け入れられたらよかったのかな……。でも無理だった。彼のことは好きだったけど、恋愛対象には考えられない。こっちからも避けるようになって……。勉強を見てもらえなくなって僕の成績はみるみる下がったけど、あっちはもっと酷かったみたいだ。彼はだんだん荒んで……。寮を抜けだして、街へ出て悪い連中とつきあうようになった。ついにドラッグに手を出して、オーバードース。中毒死さ」

「睦朗……。でも、それ、睦朗のせいじゃないでしょ……?」

「彼が保存してたデータの中に、僕を隠し撮りした写真が何百枚もあったそうだ。寮へ遺品整理に来た彼の母親に、僕はおもいきりののしられた。『おまえが息子を狂わせたんだ、この悪魔!』って。僕が現れなければ、息子には輝かしい未来が待ってたのにって。僕が殺したようなものだって」

 睦朗はベランダの手摺から身を乗り出すように下を見た。

 反射的に、綾香は睦朗の腕をつかんだ。

 ここは七階だ。

「……飛び降りたりしないよ」

 そう言われても、綾香は手を離さなかった。睦朗も、ふりほどこうとはしなかった。

「彼を狂わせたのは僕だ。僕は悪魔だ。……僕のこの顔と、体は」

「睦朗のせいじゃないよ。睦朗の見た目が綺麗なのは、しょうがないじゃない」

「容姿だって僕の一部だよ。正直言えば、容姿で得することだって多かったんだ。僕はいじめられることも多かったけど、熱心に守ってくれるクラスメイトもいた。『かわいいから』って。だから、自分の容姿に甘えてる部分もあった……。こんなしっぺ返しが来るとは思わなかった。大切な友人を狂わせるなんて思わなかった。あと何年、僕はこの顔なんだ? 翼があると成長が遅いんだろ? 誰かに想われたって、想いを返すこともできない。僕は人間と同じ時間の歩みができないんだろ? 僕の一生は長いんだ」

「だから……だから、魔界行くの?」

「ああ」

「わたし……守るのに」

「僕は綾香とも同じ時間の歩みはできない。綾香は普通の人魔だから、翼は出ない」

「……ごめんね」

「なんであやまるんだよ?」

 睦朗はさみしい笑顔を作って、腕をつかんだ綾香の手に、もう片方の手を重ねた。

 睦朗の手は手首から上を裏切って、綾香の手より大きく、骨張っていた。


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