第五章 ⑦
四羽村の春は東京より遅かった。東京の桜は満開を過ぎたけれど、赤ノ倉本家の庭の桜は、まだ五分咲きだった。
睦朗は生け花用の鋏で、桜の枝を一本切って、綾香に渡した。
「もっと切る?」
「いいの?」
「いいさ。何本だって」
大きな桜の花束を抱えて倉に行った。ニコルは二木先生の手によって白いシーツに包まれていた。綾香と睦朗は、ニコルの周りに桜の枝を散らした。
雑魔の死骸も黒いビニール袋にまとめられていた。綾香はその上にも一本、桜の枝を置いた。天界の祈り方はわからないので、仏教式に手を合わせて、倉を出た。
天使の亡骸が天界からの迎えを待つ倉は、春の陽光を白く反射していた。
「睦朗、ほんとに魔界に行く気?」
「ほかに行き場がない」
「……先生は、睦朗は人間だって言った。いいじゃない、人界にいても。大丈夫だよ……。成長の遅い子なんていくらだっているよ。何年かおきに引っ越すって手もあるし」
「駄目だ。そういう問題じゃない。僕はもうここに……人界にいちゃいけない」
「どうして?」
「誰も巻き込みたくない。綾香ももう、僕に構うな」
「やだよ」
「頼むから、もう構わないでくれ」
「そうはいかない。だって睦朗、絶対魔界無理だもん。性格的に無理。クールそうに見えて非情になれないタイプでしょ? わかるって、そのくらい。あんたのお父さんみたいのとか、あんたのお兄さんみたいのが、うじゃうじゃいる魔界で暮らせるもんですか」
「僕の性格をわかった気になってるなら、余計に行かせてくれ。まわりの人を巻き込みたくないんだ。森田さんが無事だったのは、僕の翼がタイミングよく出たからだ。出てなかったら森田さんだってニコルみたいに……。もう嫌なんだよ。わかるだろ」
「わかるけど、行かせない」
「……わかってないじゃないか。君のことだって巻き込みたくないんだよ!」
「わたしがおとなしくやられると思う? 魔界で一緒に戦ったの忘れたの?」
「クソ親父とクソ兄貴は雑魔より強いぞ!」
「だったらわたしも強くなってやろーじゃないの! ダン・グラシャラボラスはエドワード・ヴァラックスが怖いんでしょ!? わたしはヴァラックスの娘ですっ! 素質はあんの! 鍛えてやろうじゃないの。睦朗も鍛えなさいよ。最強ユニット作らなきゃ!」
「最強ユニットって……」
「わたしは睦朗と睦朗のまわりの人をダンとフィルから守るし、睦朗だってわたしと母さんをやつらから守ってよ。あんた最強の悪魔なんでしょ? 協力しようよ!」
「……」
「わたしは睦朗と一緒に戦える。睦朗と一緒に戦う気があるの。そのことだけは、よーく覚えといてよ」
「……覚えとくだけでいいなら、覚えとくよ」
「それに睦朗、魔界行ったところで住む場所ないでしょ。どうしても行くって言うなら、うちの父さんの城に居候するしかないんじゃない? そういうわけで、わたしが睦朗に関わらないわけにはいきまっせーん! 構わないわけにはいきまっせーん! 放っておくわけにはいきまっせーん!」
「……まったく。君には負けるよ」
睦朗はくるりと後ろを向いた。
「どこいくの?」
「ついてくんな」
睦朗が速足で綾香から遠ざかる。
(睦朗の意外なとこ、もういっこ発見した)
……結構、泣き虫。




