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第五章 ⑥

 屋敷の東端、睦朗の部屋。朝の日光が入って、この家にしては明るい部屋だ。

 「なにがあったんだ」と問うミラフを無視して、睦朗は二木先生に冷ややかな視線を向けた。

「先生が天使ねぇ……。敵なんじゃないですか?」

「睦朗~」

「敵かもしんねーな。微妙」

「ミラフ~」

「霊々天のほうも、僕は味方だと認識してないからな」

「貴様の傷を塞いでやったのは私だぞ」

「睦朗、信じることも大切だよ!」

「こいつが信じるに値する人格だと思えない。二木先生のことは、僕はなにも知らないし」

「睦朗~」

「……やっぱこいつ、ほっとくんだった」

「ミラフ~」

「睦朗君。敵味方の判断はひとまず置いて、現状の理解をお願いします。綾香さんも危険にさらされる可能性がおおいにある、という現状です。紀香さんとヴァラックス氏は、ミラフを信頼して綾香さんを任せている。ミラフは私を……まあ信頼して、協力を求めてきました。あなたに関することはともかく、綾香さんに関することにおいては、我々を信用してもらえませんか」

「……」

(うーん。さすが先生ってかんじ……)

「……ひとつ根本的なことを訊いていいですか、先生」

「なんですか、睦朗君」

「天使と悪魔って敵同士なんじゃないですか?」

「あなたたちは人間です。血筋はどうあれ」

 綾香と睦朗は担任教師の顔をまじまじと見た。やさしいまなざしの、琥珀色の瞳。

「どこまでを悪魔とし、どこまでを人間とするか、天界でも意見が分かれるところではありますが……。魔の者と人との交配は少なくないのです。人との交配以外でも、人の形をした魔物は生まれます。古着屋の女の子に会ったでしょう? 彼女は人界生まれですが、生粋の魔族です。人界では半分だけ悪魔の者も、全く人の血を持たない者も、人の顔をして大勢生きています。だけどね、私は彼らをみんな人間だと思っていますよ」

「どうしてですか?」

「人界を必要としているから。生きていく上で人との関わりをなくてはならないものにしているならば、悪魔でも地霊でも、人間だと思っていますよ。綾香さんと睦朗君にどんな血が流れていようと、あなたがたは人の中で生きることを必要としている。だから私は、綾香さんと睦朗君は人間だと思っていますよ」

「先生……」

 綾香は感動で心がふるえた。けれど睦朗は冷静だった。

「先生。僕たちのことではなく、質問の答えをください。天使と悪魔は、敵同士ですか?」

「利害関係の歴史をたどれば、そういうことになっています……」

「それなら、天使はやっぱり僕の敵だ。僕は人界を捨てる。魔界に行くつもりだから」

 睦朗は、以前しつこいスカウトに遭ったときと同じ、心を閉じ込めた無表情だった。

「睦朗、そんな!」

「ミラフが言ってただろ。翼を発現したら成長が遅くなるって。僕はもう人界で過ごすのは限界だろうって」

「翼、出たの……?」

「親父は僕に翼を出させるために痛めつけたんだ。僕を縛り付けて切り刻みながら、さっさと翼を出せ、力を発現させろって言ってた……。でも親父はやり方が下手だ。僕は翼を出せないまま気を失いかけた。倉の戸が開いてお袋が入ってきて……やめろとでも言ってくれるのかと思ったら、『あなた、お客様です』だってさ。あなた、お客様です! 夫が息子を血塗れにしてるときに言うことか!」

「……なにそれ……ひどい……」

「今にはじまったことじゃない。いつものことだ。その後、親父がどうしたのかは覚えてない。僕は気を失ったから。次に気がついたときは、まだ倉の中だった。親父もお袋もいなくて、知らない男がいた。誰だったのかな、あれは。もしかして『お客様』? 親父なんかとはくらべものにならないくらい残酷なお客様がいたよ……。お客様は僕の目の前で……怯える天使の羽をもいだ」

 ニコル。片翼をもぎ取られた天使。

「意識が朦朧として、悪夢を見てるんだと思った。それでも心臓がバクバクいった。怖かった。心底怖かった。天使は苦痛に顔を歪めて、叫びたくとも叫べないほどダメージを受けてた。自分が苦痛を受ける顔は見えないけど、他人のは見える。苦痛の最中にいるより、苦痛を目前に見るほうが怖い……。背中が熱くなった。出そう、と思った。でも、まだ翼は出なくて……」

 無表情の殻が破れた。睦朗は、眉間にきつくしわを寄せ、目を閉じた。

「その『お客様』は凄まじくやり方が上手い。彼は動かなくなった天使を放り出すと、次に気絶した森田さんを……」

 綾香はごくりとつばを飲んだ。

 森田さんは、死のすぐそばにいたのだ。

「……翼は出た。確認するか? 僕はもう悪魔だ……」

「翼を出してもらう前にひとつ訊くぜ。『お客様』の特徴を言え」

「西洋人に見える若い男だ。身長は二木先生くらい……。髪は明るい金か、銀。顔立ちは……整ってるって言うんだろうけど、シャープで硬質な印象だ」

「フィル」

 ミラフが言った。

「なに?」

「フィル・グラシャラボラス。おまえの兄貴だ」 

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