第五章 ①
先日に比べて今日はずいぶん爽やかな着物を着てるんだなと思ってよく見たら、彼女の着物は花柄ではなく虫柄だった……。
古着屋「Sumera」。
店員の女の子の正体は「妖怪」だそうである……。
「人界と魔界の境界にはよく穴が開く。湖とか樹海とか鍾乳洞とか、自然の力が凝る場所に穴が開くんだが、人的エネルギーの溜まる都会にも多い。人里の穴は人間が入り込みやすくて厄介なんで、扉に仕立てて番人がつくようになったんだ。番人は大抵、『地霊』がやる。地霊っつーのは人界に湧く魔物の総称で、妖怪か妖精か幽霊だと思えばいい」
雑居ビルの近くの路地裏に跳んで、徒歩で店に移動しながらミラフは説明してくれた。
(湧くんだ……妖怪)
世の中を見る目が変わってしまいそうだと綾香は思った。いやもう変わったか……。
「四羽村への最短距離?」
虫柄振袖の古着屋従業員は、レジでノートパソコンを開きながら、ミラフに訊き返した。
二木先生はまだ来ていない。力々天は跳べないから、普通の交通手段で来るのだ。
「ここの扉から行けるぞ。天使殿」
検索した画面を見つめて振袖が言う。
「お。ラッキー」
「人馬宮二十九・三一度から水晶宮零・二四度へ移動。そこから扉で渋川に出る。伊香保へ移動……温泉宿「福蔵」敷地内に扉。水晶宮十・六零度に出るから十・六四度に移動、扉で四羽山。あとはすぐだろう。所要時間は、移動をすべて瞬間移動で済ますなら十分かかるまい」
「ふたり抱えなきゃなんねーからなるべく跳ぶのは避けてぇなあ……。体力温存だ」
「ふむ。ならば渋川周辺のタクシー会社の電話番号はこれ。『福蔵』の所在地と敷地内の扉の位置はこれ。水晶宮にある扉の案内図はこれ。天使殿の登録フォームに送った。魔界では見られないから、プリントアウトもしよう」
「頼む」
「では、扉四つ利用×三人で六万円だ」
「……カードで」
「駄目だ」
ダイヤ型の窓のあるドアが開く。こんな毒々しい店には全く不似合いな、麗しい白人青年が警戒しながら入って来た。
「ニケ、六万」
ミラフが手を出す。
「……魔界を通る許可は取っていません」
「いらねーって、そんなもん! のんきに新幹線で行って睦朗になんか起こるのと、魔界通ったのがバレて始末書書くの、どっちがいいんだ?」
新潟へ赴いた睦朗を見張っていた天使が、連絡を断ったそうだ。
睦朗は今日、日の高いうちは近隣の山や雑木林を歩き回り、夕方からは倉に籠って先祖の残した帳面や古文書を調べていたらしい。状況が緊迫してきている現在、睦朗の行動は一時間おきに、見張りの天使から二木先生に報告が入る……はずなのだが。
二木先生が時間を確認した。午後八時。
「ニコルからはもう三時間、連絡なしです」
四羽山の裾野に、村の家々の明かりが見える。
さっきまで建物が密集した東京の街中にいたのに、今は村を見下ろす山の中腹だ。
淡い月明かりしかなく、スマホのバックライトがなければほぼ真っ暗なせいで、木々にのしかかられるような息苦しさを感じる。闇夜を知らない都会育ちの綾香には、魔界のほうが薄闇で視界が利くぶん、まだ不気味ではなかったような気がした。
「村の集落からちょっと離れてんのが睦朗んち。明るかったら庭の池が見えるぜ。でっかい錦鯉がうようよいる池が。平屋の和風豪邸だ」
「おぼっちゃんだって言ってたもんなあ……」
「この村は初代の赤目が開いた土地ですから。戦後の農地改革で農地はだいぶ失いましたが、今でも広大な土地を所有しているはずです。この山も赤ノ倉のものです」
「天界で暴れてみたり、人界で大地主になってみたり、なにがやりたかったんだ赤目ってやつぁ……」
「赤目も悪魔の一種ですから、戦いと自己の拡大は本能のようなものです。より多くを従えたい」
「魔界でやれよ。自分のフィールドで」
「あなたもね。あなたのフィールドは天界です」
ミラフは二木先生の言葉に舌打ちを返した。
「おまえが大好きな天徳公申様も、近頃フィールドから外れてらっしゃるぜ? 郷田川高校。あれなに」
二木先生はまっすぐ険しいまなざしをミラフに向ける。
「公申様には公申様のお考えがあります」
「天界が敵だらけでさみしーから、人界に申様ファミリーでもつくるんか?」
(仲悪いなあ、このふたり……)
綾香は半ばあきれて、星空を仰いだ。どっちかがなにか言うたびに険悪な空気が流れる。勘弁してほしい。
「はやく行こうよミラフ。睦朗が心配だよ」
「ちょっと待て。まず睦朗の気配を探る」
「……この距離で霊力同調が可能なのですか?」
「誰に向かって訊いてる? それは青島レベルに向ける質問だぜ……。やば」
「やば、ってなにが?」
「睦朗が死にそうだ」




