第四章 ③
つい三十分前まで洗面所に籠ってべそかいてたんだけど。
美里のために、綾香は紅茶を淹れている。
紅茶のお共はナッツ入りのチョコレートケーキ。なんと、美里の手作り。
美里はケーキのほかにも、がさつな綾香にはもったいなさすぎる、かわいいキャミとショーツのセットをくれた。
キッチンから、リビングのソファーに座った美里に顔を向ける。気配に気付いて美里も綾香のほうを見る。「えへへ」と笑い合う。香りのいい紅茶のあたたかな湯気。おいしそうなチョコレートケーキ。しかもワンホールまるごと!
「自分の誕生日なんてすっかり忘れてたよ」
切り分けたケーキと紅茶をローテーブルに置きながら、綾香は言った。
「無理ないよ。……大変だね、お母さんのこと。井田先生にきいて、びっくりしたよ」
「今は安全な場所にいるってわかったから……大丈夫」
美里には、キリコさんたちにしたのと同じ説明をした。母に執着しているストーカーがいる、危険だから母は父の知り合いの家に隠れている、と。
「そんなことがあったのも知らないで、あたしってば。ごめんね、綾香。ほんとに」
「ううん。わたしが無神経なのは本当だもん。実はきのう、ひとり怒らせた」
「あらら」
「ちょっと反省しないと、友達片っ端からなくすかも……」
「大丈夫だよ。綾香は怒らせても、恨まれないよ。邪心がないもん……。反省が必要なのはこっちのほうだよ。妬んでばっか。もういや。自分が。あたし綾香のこと妬んでたんだよ……。綾香ってあんまりまわりのこと気にしないで、やりたいようにやって、やってのけちゃうじゃない? 郷田川の瓦割りコンテストのときもさ……。ほかに女の子は誰も出場してないのに、『やれそう!』って言って乗り込んでって、優勝しちゃうし! あのときあたし、綾香には絶対かなわないって思っちゃったんだ。綾香が郷田川の生徒にウケてるの見て、妬ましかったの。それずっと引きずってて……。真理が綾香にむかついてるのに乗っかっちゃった。最低。あたし」
「美里……」
「でも綾香と離れて、ほかの子といてわかったの。みんなから飛び抜けるのをためらわない友達と、みんなから飛び抜けないように気を使ってる友達と、あたし自身はどっちが好きなのかって。どっちと一緒にいたいのかって。……あたし、悪口言う女の子より、悪口言われてドア蹴り飛ばす女の子のほうがずっと好きだわ」
美里はそう言って、にっこり微笑んだ。
親友が戻ってきてくれたのがうれしくて、笑いかけてくれるのがうれしくて、綾香も笑い返そうとしたけれど、こみあげてくる涙に顔を歪めてしまった。
「やだ……泣かないでよ綾香」
「うれしいんだもん。わたしも、美里が好きだもん」
「……ありがと。今までごめんね」
「わたしこそごめん」
「ねえ、歌おっか? 誕生日だし」
美里はケーキを前に、愛らしいウィスパーボイスで「ハッピバースディ♪トゥーユー♪」と歌ってくれた。
そのあと、お互いの高校の話とか、好きな漫画の話とか、「理想の初デート」だとか、たわいのない話をいっぱいした。
綾香は不思議に思った。
くだらないけど楽しい話をしていると、気持ちが落ち着くのはなぜだろう。
真剣に明日を考えるより、今を楽しむと前向きになれるのはなぜだろう。
暗くなりかけたころ、美里は帰った。空いたお皿とティーカップを片付けていると、電話が鳴った。
キリコさんからだった。
〈しめきりーっ。無事ーっ。終了しましたーっ! オールアップ! わお!〉
「ずいぶんハイテンションだけど、なに?」
〈居酒屋いきます! 打ち上げです! 綾香隊員も参加すべし!〉
「もう飲んでるんじゃないの?」
〈脳に糖分がまだ届いてなくて、正常に機能してませーん。綾香隊員、後方支援さんきゅーでした! 差し入れのドーナツがなかったら、カナ隊員ともども低血糖で倒れてたよ〉
「それはお役に立ててなにより」
店の場所をきいて、綾香はいそいそ出かける支度をはじめた。
居場所がある。
わたしには人界にちゃんと居場所があるじゃないか。
綾香はくすぐったい気持で、こみあげるうれしさを味わった。




