第一章 ①
「158番、158番……あ、あった! あったーっ! あったよーっ!」
連れはいなかったけどつい声が出た。
でも、まわり中「うおー!」とか「ぎゃー!」とか歓声と悲鳴の洪水だったから、誰も綾香のひとりごとなんかきいちゃいない。
しんどかった受験生活もついに終わり。あとはこころ晴ればれ、自由を満喫すればよし。
(う、うれしいいいいいっ!)
合格発表の混雑をすり抜けて、さっそく母さんに連絡しようと、綾香はスマートフォンを取り出す。
つながらない。かけなおす。
……やっぱりつながらない。
ざけんなこら。
(合格発表の時間、わかってるはずじゃん! 親だったら普通さあ、今か今かと待ち構えて、ワンコールも待たずに出るはずじゃないの!? くっそぉぉぉ)
喜びがむなしさに変わる。母に裏切られたような気分になった綾香は、すがるように父の番号を表示してみるが、発信はやめた。
無駄無駄。あいつはどーせ出ない。今まで父親の携帯にかけて、話せたことがあった?
電話はあとにするとして、先に入学手続きの書類をもらってこようと、事務所に向かう。合格者らしき人たちはみんな晴やかな顔で、同行の保護者と語らっている。
なんでうちはこう、放任なんだ……。孤独だ……。
誰でもいいから合格を喜び合いたいと、綾香は知った顔はいないかと周囲をきょろきょろ見回した。おなじ中学の生徒で、ここ郷田川高校を受けた生徒の数は多くない。知った顔は……。
いた。
いたけど、おなじ中学でもないし、知り合いでもない。こっちが一方的に顔を憶えているだけの相手。
その人物は白い花をつけた寒椿の前で、母親らしき和服のご婦人にカメラを向けられていた。苦虫を噛み潰したような表情でシャッターが切られるのを待っている人物に、綾香は確かに見覚えがあった。
日差しに天使の輪を輝かす艶やかな黒髪。わずかな刺激で破れてしまいそうな、うすく透き通る白い肌。伏し目がちなのに存在感のある真っ黒な瞳。びっしりと生えた長いまつげが影を落として、白い肌とのコントラストがますます強まっている。小粒の果実を思わせる唇、品良くとがった小さな鼻。自然な桃色に紅潮したやわらかそうな頬。
文句のつけようのない美少女パーツが文句のつけようのないなめらかな輪郭の中に文句のつけようのない配置で収まり、その文句のつけようのない顔が文句いっぱいありそうな険しい表情をしている。
そして、詰襟の黒いガクランを着ている。
ガクランのおかげで美少女ではなくて美少年なんだとわかり、美貌の価値がさらに倍増。
間違いない。入試会場で見た麗しの美少年君だ。可憐なんだけど、清らかなんだけど、どこか魔性系の。
(合格記念写真かなー? お母さんはりきってんのね)
それに引きかえ我が家は……とため息が出たとき、そのお母さんに声をかけられた。
「すみません、シャッター押していただけませんか?」
「あ、はい」
年齢は結構いってそうだけれど、物腰やわらかで上品で、美少年君のお母さんとして「うん、合格!」とうなずける雰囲気のご婦人だった。鶯色の和服がいい。
「ここを押すだけですから……」
ぼとっ。
渡そうとして手がすべったのか、デジタルカメラはご婦人の手を離れ、地面に落ちた。幸い下はコンクリートではなく、枯葉の積もった土の上だったので、どこか割れたりしたような音はしなかったが。
「わ! 大丈夫ですかっ!?」
綾香はカメラを拾い上げて、ご婦人に渡そうとした。
彼女は綾香の顔をじっと見つめて固まっていた。カメラを受け取ろうともしない。
「あのー……。もしもし?」
「お袋」
美少年君がはじめて口を開いた。想像通りの、男くささのないアルトの声。
息子の声で我に返ったのか、ご婦人はやっとカメラを受け取った。手が震えていた。
「壊れてないといいですね」
「あなたお名前は? お名前を教えて」
綾香の言うことにはうなずきもせず、ご婦人は目を見開き、一方的に言った。なんだか気味が悪かった。
「……赤ノ倉綾香です」