第三章 ③
「説明しろ!」
上目づかいに天使を睨みつけ腕組みをして、睦朗は高飛車に言った。
(睦朗って結構こわい……っていうか、意外と男っぽい)
あのパンチの繰り出し方などを見るに、けんかの経験はそこそこありそうだ。大変意外。
「天使にものを訊く態度か? それが」
「なにが天使だ! 気持ちに余裕がないんだよこっちは! ここはどこだ! あの化け物はなんだ! 『扉』ってなんだ! 『天使』とかほざくおまえは一体何者だ!」
「それ、全部順番に答えるのかあ?」
「答えろ!」
「へいへい……。ここは魔界です。あの化け物は魔界の生き物です。扉は人界と魔界を繋ぐ通路です。私はミラフっちゅー、天界のそこそこえらい天使です。以上」
「魔界?」
「『魔界』って言い方が、今の日本では一番しっくりくんじゃねぇの?」
「昔で言ったら、鬼の国……?」
「それでもいいけどな。『魔界』『人界』『天界』。さしあたってその三区分でよろしく。宗教的構造じゃなくて、異次元空間的な解釈で理解よろしく」
「異次元?」
「そ。異次元。魔界には魔界人がいて、天界には天界人がいる」
「……父さんは魔界人なの?」
「そーだ。『悪魔』『人間』『天使』の三区分で言うところの『悪魔』。おまえらの父親、両方とも悪魔な。ま、『鬼』でもいいが。用語編・基礎の基礎、以上。すげえ簡単だろ?」
綾香と睦朗は顔を見合わせた。
父親は悪魔……。
化け物との戦闘を経験しなければ、納得はありえなかっただろう。
「母親はふたりとも人間だから、おまえらは半人半魔の『人魔』になるわけだけどな、通常の『人魔』とはワケが違う。母方の血筋に問題ありだ。現代の言い方で言うと遺伝子か。その上おまえらの父親は魔界最強クラスだ。トランプの札で言ったら絵札だと思えばいいぜ。ヴァラックスも、グラシャラボラスも」
「グラシャラボラス? 僕の父はグラボスだ」
「魔界での通り名はグラシャラボラスっつーんだよ。ヴァラックスは伯爵、グラシャラボラスは侯爵。でも魔界の爵位に序列はねぇよ。強い悪魔についた通称みたいなもんさ。絵札的な悪魔には、よくこのくだらない通称がつく。悪魔は人界の様式が好きだからな。さて、おまえらが両親から一枚ずつもらった手札二枚のうち、一枚は絵札の魔界札だが、もう一枚は人界札だから手札としては弱えー……はずなんだけどな、人界札の中には曲者があるんだ」
「曲者?」
「『赤ノ倉』の血筋は曲者札さ。ある決まった札と組むと、手札の意味を一変させる効果を持つと思え。『赤ノ倉』が効果を発動する相手札は『グラシャラボラス』だ。『赤ノ倉』と『グラシャラボラス』が揃うと……」
ミラフは睦朗を指差した。
「おまえになる」
「……僕?」
「おまえはおそらく『特別』だ。私がおまえらを魔界に蹴り入れたのは、確認のためだ。綾香には魔族の力がどの程度あるのか。それと、睦朗が本当に『特別』かどうか」
「『特別』ってなんだよ……」
「異物だ。あの化け物ども……動物型の雑魔は、魔界の免疫機構だ。魔界の生物の存在意義は戦いに勝つことにあるけどよ……でもな、ふつう勝算のない相手に自分から戦いを仕掛けたりしねぇのよ。本能上位の動物型は特に。そこを玉砕覚悟で襲って来るんだからな。誰かやんなきゃこりゃ全滅だみてぇな、異常な感覚を雑魔にもたらすんだよ。おまえの気配は」
「……」
睦朗はしばらく絶句していたが、ふと気付いたように口を開いた。
「また来るのか? 雑魔とかいう動物型は」
気遣うように血まみれの綾香を見やる。
「私の周囲五メートル圏内にいればこねえよ。結界だ。気配を閉じ込められる」
「もしかして、異物の僕がいなければ大丈夫なのか? 綾香だけなら……」
「大丈夫だな。綾香の気配は魔界になじむ。しかも強え。雑魔は綾香を襲わない」
(あれ、でも……)
綾香には思い出したことがあった。
「雑魔相手に一緒に戦ったことなかったっけ、ミラフ?」
「んー。ああ……」
ミラフはばつが悪そうに目をそらした。
「そう言えばミラフ、あのとき倒れてたような。わたし、助けようとしたんだ! 確か」
「思い出すんじゃねえよ」
「ミラフのまわりに雑魔がうじゃうじゃいて……。あ、若い男の人もいて」
「思い出すんじゃねえっつってんだよ!」
「ミラフはあの男の人にやっつけられたの? あの人、わたしが行ったらどっか行っちゃったよね。鳥みたいな雑魔はいっぱいいたけど……。大変だったよねー。ミラフ、カラスの化け物に襲われてて。拳銃持ってなかったね、あのときは。…………あれ?」
綾香はミラフの少年的な顔を見つめた。
どう見ても、あのときと同じくらいの歳に見える。
「わたしは三歳くらいだったと思うんだけど……ミラフって、今何歳?」
「おまえの母ちゃんと一緒」
「……! うそっ!」
「翼を発現すると、成長が遅くなる。天使でも、悪魔でも。両翼って呼ばれる翼のある種族は、寿命が長げぇんだ。……だから睦朗、おまえそろそろ限界だろう。人間として過ごすのは」
「へ? 翼? そんなのないでしょ、睦朗には」
「……普段はな」
睦朗はぼそりとつぶやいた。