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第二章 ⑦

「わたしみました。そのひと。ここじゃないよ。したのへんなふくやさん。ベージュのコート、ぎんいろのかみのけ、くちひげ、せいたかのっぽね。まちがいないね」

 日本語教室の受付のおばさんに綾香が質問していたところで、ちょうど入ってきた中国美人の生徒さんに教えられ、綾香と睦朗は階段を下りた。

「なんだ。ただの日本語教室だったのか」

「残念そうに言わないでよ。それよか古着屋だよ。あんなあやしい服に父さんがなんの用だろ……」

「お父さん、そういう趣味の人?」

「ちがう……と信じたい」

 綾香は「Sumera」のドアを開けた。

「いらっしゃい」

 店員の女の子が着物をたたむ手をとめ、こちらを見た。まだ十代の雰囲気があるものの、化粧が濃い。眉の見える位置で厚く切り揃えた前髪と、太く弧を描いた眉と切れ長の目が印象的な、くせのある顔立ちだ。彼女の濃紅の着物には、金糸銀糸で髑髏の絵柄が浮き出ていた。

 彼女は入ってきた綾香と睦朗の頭のてっぺんからつま先まで、無遠慮に眺めまわした。服屋の店員の、客に対する態度ではない。綾香はすこしムッとした。

「あのー……」

「扉の客か」

 ハスキーな声で店員は言った。

「きのうここに銀髪口髭の西洋人が来ませんでしたか? ベージュのトレンチコートで、四十代後半の細くて背の高い……」

「彼になんの用だ」

 店員の表情に警戒の色が浮かぶ。

「……娘なんですけど」

「娘? 伯爵の? ……はーん。どおりで。そっちは?」

 店員が睦朗に視線を向ける。

「……わたしの叔父なんですけど」

「伯爵の親族か。……扉なら奥だが、通行料は片道一回五千円だ。ふたりで一万、外のやつも合わせるなら三人で一万五千円」

 綾香と睦朗は顔を見合わせた。

 扉?

 通行料?

 外のやつ?

「外のやつって……?」

「なんだ、連れじゃないのか? 金がないなら、今回だけ伯爵につけといてもいいが」

 店員はそう言って、レジ奥の細いドアを開けた。ドアの向こうの小部屋には、ダンボール箱やハンガーラックが並んでいる。一見、ただの倉庫部屋だ。

 綾香はパーカーのポケットに手を突っ込み、母が消えて以来ずっと持ち歩いているアウトドア用ナイフの存在を確認した。

 睦朗が小声で「入る気か?」と訊いてきたので、こくんとうなずく。

「睦朗は来なくていいから」

「ここまで来て帰れるかよ」

 ふたりして店員に続き、倉庫部屋に足を踏み入れる。雑然とした部屋の中、ダンボールに埋もれるようにアンティークのチェストがあった。店員の女の子は帯の間から鍵束を取り出し、その中の一本を最上段の鍵穴に差し込んだ。

 チェストの引き出しから出てきたのは、銀色のリモコンがひとつ。

「ちょっとさがってろ。……電子制御の扉は、はじめてか? 未使用時は塞いどかないと、都会じゃ扉なんてあぶなっかしくてな」

 ヴン……と電子機器が作動するときの音がした。

 天上と床を繋ぐように、薄暗い部屋の上から下に一筋の青白い光が走る。光の筋は綾香と睦朗の顔をほのかに照らしてから、エレベーターの扉が開くように左右に分かれた。

 左右に別れた光の筋の間に、突如として現れた別空間。

 SF映画のような光景に「なにこれ」とつぶやこうとしたけれど。

 綾香の口からこぼれた言葉は「なつかしい」だった。


 倉庫部屋の空中に、天井から床へ垂れ幕のように四角く細く、赤紫の空が開けている。

 空には、薄い紫からこっくりした紫、赤味の強い紫、青味の強い紫、様々な色調の紫の雲が、ジェルでできているかのようにぐねぐねと流れている。

 湿っぽい空。黒い森。

 森の中、遠くに見える尖った影は……城の塔。

「この扉は地上から高さがある。翼がないなら着地に注意だ」

 店員の言葉に睦朗が振り返った。

「なんだここは」

「人馬宮二十九・三一度になるが。目的地から遠いのか? 伯爵の城に行くなら、ここが一番近い扉だが?」

「なに言ってんだよ……おい、綾香!」

 綾香は細長く切り取られた空間に頭を突っ込み、眼下の黒い森を見つめていた。

「……睦朗は待ってて」

「おい! 入る気か!?」

「大丈夫。はじめてじゃ、ないから」

「ちょっと待て! 説明しろ! このSFじみた仕掛けはなんなんだ!」

「ごちゃごちゃ言ってねぇで入るなら入れよ。行きゃあわかるんだよ、行きゃあ」

 最後の言葉は知らない声だ……と綾香の意識にのぼったのは、背中を蹴られて黒い森に落下してゆく空中でのことだった。


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