まだ生きている
死にたい
寂しい
死にたい
寂しい
「まだ生きてんの??」って
君に言われたい
(Yer Blues/詞 ジョン・レノン 訳詞 吉井和哉)
ドッスン!!
身体が一瞬浮いた。かと思った次の瞬間、ハルは長椅子から床に転がり落ちていた。
「いってぇなぁ……」
後頭部を押さえながら床から起き上がろうとすると、今度は床と天井がゆらゆらと揺れる。どうやら眩暈が生じたようだ。直後、頭が殴られたようにガンガン痛みだし、一気に気分が悪くなる。
(……そういや、昨夜は泥酔するまで飲んだ気が……)
痛む頭を床に押し付け蹲っていると、「ボス!今の音は一体何なんすか!?」と、従業員のランスロットがハルのいる奥の部屋へ慌ててすっ飛んできた。
「……何やってるんすか??……」
「……見りゃ分かるだろうが……」
不機嫌極まりないとばかりに、ハルは唸るような低い声で答えた。
「しょうがねぇ人だなぁ……」
ランスロットは肩で息をつくとハルの腋に両手を差し入れ、彼の身を起こしてやる。ハルはこめかみを押さえながら、ゆっくり長椅子に座る。
「……悪いな、ランス」
「いーえ。まぁ、昨夜のボスの泥酔振りからして、どうせまた店に泊まり込んでいると踏んで、いつもより早めに店に来たのは正解すね」
「……うるせぇ、クソガキ」
ハルは金色掛かったグリーンの瞳に凶暴さを湛えて、ランスロットを睨む。
「はいはい。水持ってきたんで、それ飲んで落ち着いたらボチボチ身支度してくださいよ??」
ハルの寝起きの悪さと二日酔いの酷さに慣れているランスロットは、他の者であれば怖気づくであろうハルの態度を物ともせず、適当にあしらう。
「……お前は、俺の女房か……」
「勘弁してくださいよー。俺、そっちの趣味ないし。ボスも三十三なんだから、いい加減、所帯持てばいいのに」
ランスロットから渡されたカップに口を付けると、ハルは一気に飲み干す。
「俺は一人の女に縛られるのはご免なんだ」
「…………」
空になったカップを受け取るランスロットが何か言いたげな、複雑な表情を浮かべている。おそらく、『八年前に死んだ恋人を未だに引きずり続けているのに??』とでも言いたいのかもしれない。
もしランスロットがその台詞を口にしたならば、軽く拳骨を食らわせてやるところだが、彼も馬鹿ではないので言葉にすることは絶対にない。ただ、嘘をつくのが下手な性分ゆえ、否が応でも表情に滲み出てしまうのだ。
「ランス。水、ありがとうな」
ハルが礼を述べると、ランスロットは奥の部屋から店へと戻って行った。
アダの不慮の死から一年後、ハルは娼館の店主となったがすぐに娼館を廃業し、一年掛けて大衆酒場へ改装した。ラカンターという名のハルの店は昨今の不況にも関わらず、開店から六年経った今も繁盛している。
ランスロットは、ハルの知人であるギター弾き、ダニエルの一人息子で五年前からラカンターで働いている。ハル以上に背が高く、やや癖のある赤毛と鳶色のどんぐり眼、頬に残るそばかすが特徴的な十九歳の青年で、喧嘩が滅法強いことから用心棒にもなってくれる。
更に、半年前からランスロットの友人でマリオンという、女性と見紛う中性的な容姿の青年が週に三日、手伝いに来てくれている。
ハルは厳しいながらも、この二人の若者を年の離れた弟のように可愛がっていた。
(……ん??)
そう言えば、八年前にアダの墓前に現れた若い巡査は、容姿といい性格といい、どことなくマリオンに似ている様な……。
彼は今頃どうしているだろうか。
あんな気が小さくて純朴な性格じゃあ、出世とは無縁だろう。もしかしたら、過酷な仕事に耐えられなくて辞めてしまったかもしれない。
結局、アダを殺害した犯人は捕まらなかった。
正確に言えば、警察が証拠を掴み、令状を持って犯人の家に押し入る直前に服毒自殺を図って死んだのだ。
だが、ハルは犯人が逮捕されようが自殺しようが、もうどうでも良くなっていた。
何をどうしようと、アダは二度と帰って来ないという事実は変わらない。だから、あの巡査が犯人逮捕が云々と述べた時、冷めた目をしていたのだ。
アダに一目でいいから、会いたい。
欲を言えば、彼女の笑顔が見たい。思い切り抱きしめてやりたい。
ただ、それだけだ。
(……おっと、昼日中から、何を感傷的になっているんだ、俺は)
ハルは頭を切り替えるきっかけを作るように、煙草に火を付けたのだった。