夢から覚める
宿の部屋に入ってすぐ、ハルはアダが脱いだ上着をクローゼットのハンガーに掛け、自身の上着とショールもハンガーに掛ける。その後、アダの方に向き直ったハルは思わず絶句してしまった。
ハルが後ろを向いている間に、アダはブラウスとスカートを脱ぎ捨て、ビスチェとドロワーズだけ、要は下着姿になっていたからだ。
どうしてこいつは、普段は大人しい癖に、時々俺の予想の範疇を越える行動に出るんだ。
「……ちょっと待て、アダ。やる気になってくれているのはいいんだが……。こういうのはムードってもんがあるんだよ……」
ハルはフーッと大仰に溜め息をつくも、すぐにネクタイを引き抜き、シャツのボタンを半分まで外してベッドに腰掛ける。そして、どうしていいか分からず、立ち尽くしているアダに隣に座るよう、手招きする。
アダがおずおずとベッドに腰掛けると同時に、壊れ物を扱うかのようにハルがそっと抱き寄せ、優しく唇にキスを落とす。更にアダの耳に唇を近づけ、軽く甘噛みをしながら、「お前が好きだ」と何度も囁く。甘い痛みと言葉責めにより、アダは今まで感じたことのない快感に、思わず息を漏らしたのだったーー。
事が終わった後も、ハルはアダを抱き込むようにしてベッドに横たわり、彼女の髪や頬、唇に時々キスを落としていた。
本来のハルは事が終わり次第、サッサと背中を向けて眠ってしまうような淡泊な男で、べたべたとくっつかれる事が大嫌いなはずだったのに。
「なぁ、アダ」
「何??」
「もう一回したい」
「…………」
アダは開いた口が塞がらないとばかりに、呆気に取られた顔をしている。
「駄目か??」
「駄目じゃないけど……、これで三回目よ??」
「したいもんはしたいんだから、しょうがねぇだろ」
言うやいなや、ハルはアダの身体の上に覆い被さり、アダも黙って彼を受け入れる。このまま夜が明けなければいい、そうすればずっとこうしていられるのに。
しかし、幸せな時間は無情にも過ぎて行き、朝になり部屋を出る時間が訪れた。
宿から辻馬車に乗る。先にアダのアパートに向かい、その後、歓楽街の適当な場所でハルを降ろしてもらうことになった。
馬車の小窓に差し込んでくる朝日の眩しさに、二人は思わず目を細める。自分達の未来もこのように明るいものであって欲しいーー、ハルは密かにそう願っていた。
アパートの前に着き、アダが馬車から降りて行く姿にハルは言い知れぬ寂しさを感じたが、また来週になれば会えるから、と思い直し、平静を取り繕った。
「ハル」
地面に降り立ったアダがハルに向き直る。ひどく悲しそうな顔をしているのは何故なんだろうか。
「ハル」
アダがもう一度、ハルに呼びかける。
「貴方の事を誰よりも愛しているわ。でも、もう貴方とは二度と会わない」
一瞬、ハルは何を言われているのか理解できず、普段は冷静な彼からは考えられない程動揺していた。そんなハルに構わず、アダは更に続ける。
「今までありがとう。さようなら」
「……ちょっと待てよ!」
バタン!!
ハルがようやく口を開いたところで扉が閉まり、馬車が動き出す。
今までに感じたことのない幸せな一夜の後で、一気に地獄へ突き落とされたような絶望に襲われ、ハルは茫然自失のまま、ただただ馬車に揺られていたのだった。