眠らせ姫
「──痛っ」
指に走った鋭い痛みに目を遣れば、その先で赤い雫がぷっくりと盛り上がっていた。私はそれを、咄嗟に口に含む。……うぇ、苦い。
暫くそうしてから指を戻すと、痛みは一瞬のものだったらしく、空気に触れると少しジンとするぐらいにまで治っていた。加えてそれも、意識さえしなければすぐに忘れるようなもの。私は指から視線を離して、目の前に生い茂ったいばらにもう一度向き合った。
『──森の黒いばらには近付くな
見れば幻、触れればたちまち夢の中
眠れ、眠れ
おまえの心はいばらの虜
眠れ、眠れ』
「……わ、懐かしい」
帰り道の途中、子供達と共に脇を駆けて行ったのは、馴染み深いわらべ歌だった。あーそうだ、そんな感じの歌詞だった。すっかり忘れてたなぁ、子供の頃は無意識に口ずさむくらい好きな歌だったのに。
「……森の黒いばらには近付くな」
──まるで、その頃のように。私はいつの間にか、その歌詞を諳んじていた。
そういえば、昔は気にした事なかったけど、森の黒いばらって何の事なんだろう?私が育った村の近くの森には無かったし、四年前に越してきた此処でも、それらしき植物は一度も見た事がない。まぁ私が住んでいるのは割と大きな街だから、見た事がないのも頷けるけど。
「見れば幻、触れればたちまち夢の中」
触れれば……って事は、いばらの棘に刺さるってことなのかな。じゃあ夢の中って言うのは、それで気絶するってこと?うーん、棘が刺さっただけで気絶する人なんているかなぁ?
──あ、そうだ。棘といえば、さっき薔薇の棘が刺さって指から血が出たの、すっかり忘れてた。別に気にするような事でもないけど、一応帰ったら洗っておこう。飲食店で働いている身としては、いつでも清潔で居なきゃいけないもんね。
「眠れ、眠れ」
所で今、一体何時ぐらいなんだろう。確かお店を出たのはお昼の書き入れ時の後だったから、そう長くは経っていないはずだけど……。でも、このままじゃ夕方の仕込みには間に合っても、その前にお店にこの薔薇を飾る時間はないかもしれない。……うーん、放っておいたら、絶対すぐに枯れちゃうよねぇ。仕方ない、少し急いで帰りますか。
「おまえの心はいばらの虜」
それにしても、春のこの時間帯ってポカポカしていて、本当に気持ちがいい。きっとこういうのを小春日和って言うんだろうなぁ。私にとってはお昼寝日和の方がしっくり来るけど。ああ、早く帰って干したての布団でまふまふしたい。まふまふ。
「眠れ、眠れ……」
「──あの、今の歌は……」
ドサッ
「…………え?」
突然、肩を掴まれ、知らない声に呼び止められた。
──と思ったら、次の瞬間には人が倒れていた。
「……えええええええ!?」
「ふっ、副隊長おぉぉぉぉ!!」
えっ、副隊長!?
声に驚いて顔を上げると、其処には私と同じ様な驚愕の表情を浮かべた男性が一人。カッチリとしたその制服の胸元に光るのは、我が国の紋章を象った金色の刺繍。──騎士服、だった。
ギギギ……と、まるで油を差していない機械のような動きで、私の視線が戻される。
"副隊長"の着ているそれも、同じ制服だった。
「おい、あんた!」
グイッと、今度は胸倉を掴まれる。ひいぃお兄さん、暴力はダメ、絶対!
「副隊長に何を……」
「すみませんすみません許してくださいすみま……えっ?」
ふっと、体が楽になった。同時に、怒りを孕んだ彼の声がピタリと止む。えっ、何々どうしたの!?まさか、マジで殴られる五秒前!?
……だが、五秒待っても何の変化もない。
不思議に思い、私は恐怖からキツく閉じていた目を開ける。が、そこにあったのは。
「……いっ、ぎゃあああああ!!」
力無く積み重なった、二体の屍でした。
*
「彼等は大丈夫だ。少し眠っているだけだから」
手を強く握りしめて祈る私に、軍医らしい初老のおじさんが声を掛ける。
「そ、そうですか……よかった」
ホッと息を吐いて、胸をなで下ろす。そうか、眠っているだけだったのか、あれ。脳内では今丁度勤め先の店主に辞表を書き終わって、生まれた村にある修道院へ入ろうとした所だったけど、どうやらその心配は要らないみたいだ。お店に騎士をのした従業員がいるなんていう不名誉な噂が立つ事も、きっとないだろう。……あれ、でもそれは事実なのかな?
「それで、彼等が起きるまでに話を聞きたいんだけど、今いいかい?」
「あ、はい」
軍医のおじさんが、私の向かいに腰を下ろす。と、そこで私は、今更ながらこの部屋には簡素な机と椅子が二つある以外に特に何も置いていないという事に気付く。……え、まさか、取調室?そ、それとも、ごうも……いや、やめておこう。自分で自分を追い詰めてどうするのよ、私。
「じゃあまず、何があったか教えてくれないか?」
人の良さそうな笑みを浮かべ、おじさんは優しく尋ねる。この役目が彼以外の厳つい人じゃなかった事に、私の胸には安堵と感謝の思いが広がった。
「そう、ですね……。あの、私よく、お昼休憩の時間……あ、お昼休憩って言うのは雇って頂いているお店の空き時間の事なんですけど、そこで散歩に行くんです。この街は広くて、まだ知らない所もいっぱいあるから」
「へぇ、じゃあ出身は別の場所なのかい?」
「はい。ここから少し遠くにある村で、成人になるまで過ごしました」
因みにこの国では、成人である十六歳までを親元で暮らし、その後は出稼ぎのために大きな街へ行く人が多い。そして大抵はそこで結婚して、新しく居を構える。
と言っても中には、故郷の為に身を粉にして働き、仕事一筋のまま里帰りしたらもう行き遅れになっていた、という落涙を禁じ得ない境遇の人もいるけれど。……え、私?私は違うよ?だって身を粉にしてっていうほど仕事人間じゃないもの。ああ、でもだからと言って、勿論サボっている訳ではない。この街の店主だって、その前に五年勤めていた先でだって、仕事ぶりを注意されたことは一度もないんだからね!…………はい今計算した奴、正直に手を挙げなさい。今ならまだ、鉄拳二発で許してあげないこともないから。
「それでさっきの続きですが、その散歩、今日は北の方を歩いたんです。暫くうろうろしてから、その道すがら見つけた薔薇を一本摘んで、それからお店に戻ろうとしました。そしたらその途中で、あの二人に会ったんです。いえ、会ったというか……呼び止められた、というか」
「呼び止められた?」
「はい。突然その、副隊長さん?に肩を掴まれたので振り返ったんです。ですが何故か彼はいきなり倒れてしまって、それで怒ったもう一人の方が、私の胸倉をこう、掴んだんですけど……気付いたら、やっぱり地面に倒れてました。その後は皆さん知っての通り、駆け付けてきた他の騎士の方達が私を取り押さえようとする度に、どんどんその屍の数が増えていき……」
「死んでないけどね」
……あれは、正しくカオスだった。思い出しただけで冷や汗が出てくる。
そして結局最後は、倒れた仲間を背負う面々に囲まれながらこの騎士団駐屯地まで誘導されましたけどね。道行く人達の異質な物を見るような視線が、本当に辛かった。
「そうか……。とにかくその貴女に無礼を働いた騎士については、後でしっかりと謝らせるとして、今は私の方から謝罪するよ。申し訳なかったね」
「い、いえっ!特に何かされたわけではないので!」
「ありがとう」
いえいえそんな、お礼なんて。……まぁ、何かされそうにはなってましたからね。
「それで今の話なんだけど、どうして自分が呼び止められたのか、心当たりはある?」
「心当たり、ですか」
騎士に呼び止められる心当たりとな。如何にも怪しい人相だったとか?挙動不審だったとか?いやぁ、それは流石に違うと思うけど。……違うと、思いたいけど。
「どんな小さな事でもいいんだ。例えば何かを持っていたとか、何かを口にしたとか」
更に言い募るおじさんに、貢献できないのも何だか悪い気がした私は、必死に頭を回転させて記憶を探る。
「うーん、持っていたのはこの薔薇だけですし……それ以外だったら、わらべ歌を口ずさんでましたけど……」
余談だが、私の摘んだ薔薇は今、この取調室に飾られている。この騎士団駐屯地に着いた時には既に萎れかけだったのを、それに気付いたおじさんの助手が、花瓶代わりの薬品瓶に入れてくれたのだ。あの薔薇は、この取調室を華やいだものにする為献上しようと思う。きっとその可憐な姿に、この部屋でごうも……取調を受ける人達も勇気付けられることだろう。
「わらべ歌?」
気付けば、目の前の彼は真剣な顔で何か考え込んでいた。やばい、もしかして『わらべ歌だと?ふざけてんのかコノヤロォ』とか思われてるのかな。確かにどうでもいい情報だったけどさ!でもおじさんが言ったんじゃん!なんでもいいから教えてくれって!
だが、次に彼の発した言葉は予想外のものだった。
「よければ、その歌を聴いてみたいな」
「……えっ」
ま、まさか此処で歌えと!?
「そんな、とてもお聴かせできるようなものでは!」
「もしかしたら、今回の事に繋がりがあるのかもしれないんだ。頼むよ」
「うっ……」
そう言われると、断り辛い。説明しろと言われてもできないのだから、あれを歌って少しでも原因解明の助けになった方がいいのかな。……解明、出来そうにないけど。でも、まぁ……これで疑いが晴れるなら……仕方ない、かな。
躊躇いつつも、私は口を開く。
──その時だった。
「森の黒いばらには近付くな
見れば幻、触れればたちまち夢の中
眠れ、眠れ
おまえの心はいばらの虜
眠れ、眠れ」
部屋の入り口から、私のでもおじさんのでもない、耳に心地よい低い声が聞こえてきたのは。
「ああ、目が覚めたんだね」
「はい」
おじさんが微笑みかけたその人の、整った顔で美しく光る翠の瞳は、此方をひたと見つめていた。その視線にかち合った瞬間、私の脳裏にあの光景が蘇る。
ああ、やっぱりそうだ。あの時は横顔しか見えなかったけど、この人は多分──
「ロラン・ディアスと言う。先程は、お見苦しい所をお見せしてすまなかった」
──あの、副隊長さんだ。
……ま、マジですか。確かにあの時も横顔キレイだな、とは思ってたけど、まさかこんなにイケメンさんだったとは。……あの場でよくそんなこと思えたな、自分。
え、っていうか彼、副隊長なんだよね?ひえぇ、そんな人に謝られてるよ、私!大体あの時だって、見苦しいどころか、私としては寧ろ目の保養で──
「此方こそ、すみませんでした!」
なんて言うか、本当、煩悩だらけで!
「ロランは、一月前から此処の副隊長代理をしていてね」
見た事ないかな?と、軍医のおじさんに尋ねられ、私は首を横に降る。
「……あ、でもそういえば、近所の女の子達が騒いでいるのは聞いた気がします。なんでも、王都から来た副隊長代理がすっごい美形だ、って……」
……ん?王都?
「へぇ、よく知ってるね。確かに今は訳あってこの街にいるけど、元々ロランは王都勤めの騎士なんだよ」
「えっ、そうなんですか!?」
「ああ」
今までそういう類いの噂話は右から左へ聞き流していたから、全く知らなかった。そうか、都会人なのか、副隊長さんは。なるほどそれで、街娘たちがこぞって彼のお嫁さんの座を狙う訳だ。結婚したら憧れの王都暮らしだもんね。しかも相手は花形職だし、美形だし。……理想を追って現実を逃した少女たちが、私の仲間になる日もそう遠くはないな……ふふふ。
それにしても、これと言って特徴のないこの街に、一体彼は何の用があるというのだろうか。
「本題に戻っても?」
「ああ、あの歌のことだね」
あの歌、というのは例のわらべ歌の事だろう。そうそう、さっき副隊長さんが歌ったやつ。わらべ歌を歌う美形騎士……うん、なかなかにシュールです。
一人頷く私に、おじさんが向き直った。
「ねぇ、……えーとごめん、名前は?」
「リナです」
「リナさん、君はあの歌を何処で知ったんだい?」
「地元の村ですよ」
「それは、どんな所にある村かな?」
「どんな所に……」
言われて直ぐに浮かぶのは、我が家でも森でもなく、古びた修道院の建物。ああ、まるで心の弱い出家未遂者を逃すまいと、甘い言葉で刈り取る捕食者のようだわ。私はぶるっと首を振って、修道院からの魔の手ならぬ神の手を振り切った。
「特徴のない、何処にでもある小さな村ですよ。……でも、そうですね、一つ挙げるとすれば、国境に近かったです」
「その国境は、もしやフロレスタンとの?」
「あ、そうです」
おじさんの言葉に頷くと、彼は再び考え込んでしまった。部屋に、沈黙が落ちる。
「──リナさん」
「はいっ!何でしょうか!!」
予想外にキレのいい私の返答に、おじさんは吃驚したご様子。だって仕方ないじゃないですか。三人しか居ないこの部屋で、しかもそのうち二人は初対面な状況で、長く続く沈黙の居心地の悪さよ!
……うん、副隊長さんは、アレなんだね。寡黙なお人なのね。きっと多くの世の女性達が、彼の無言の圧力に己の心根の卑しさを突き付けられるに違いない。……決して経験談とかじゃないのよ?
「き、気を取り直して。リナさん、隣国フロレスタンのある奇妙な噂を知ってるかい?」
「噂?……いえ、特には」
「そう。じゃあザッと話すから、よく聞いていてね」
──そして私は、衝撃的な事実を知る事になる。
*
……ええ、本当に衝撃的な事実でしたよ。そりゃあもう、吃驚して立ち上がって、姿勢を崩してそれを助けようとしてくれた副隊長さんに思わず凭れ掛かっちゃうぐらいには。しかも、結果それが事実を裏付ける証拠になるだなんて。
そう、それは正に、信じられないようで本当にあった神の悪戯。ああ、何て事。まさか、そんな──
「私に触れたら、眠ってしまうなんてっ!」
案の定、その後副隊長さんは二度目の仮眠室行きとなりましたとさ。
そして、悲劇はさらに続く。
「──リナ殿?どうかしたか?」
「あっ、いえ、何でもないです!」
心の声が漏れただけなんで!
首をぶんぶんと振ってそう答えると、副隊長さんは少し考えるようにしてから口を開いた。
「此処はまだ目的地までの四分の一に過ぎないが、無理をして急ぐことは無い。何かあれば、その都度言ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
どうやら気を遣わせてしまったみたいだ。確かに、何か……あると言えば、あるけれども。貴方が此処に居る事が寧ろ一番の悲劇なんです、って。でもねぇ?そんな事、幾ら何でも言える訳無いじゃないですか。思っては居ますけど。
一先ずこれ以上心配させてしまっても悪いと思い、私は話題を変える事にした。
「……それにしても、随分辺鄙な所に住んでいるんですね。魔法使いというのは」
──魔法使い。
それが、今私達の訪ねて行こうとしている人物だった。何故、そんな怪しげな人の元へ行くのか。それは偏に、その人が私にかかった『眠りの呪い』というものを詳しく知る、唯一の人物だからに他ならない。その事を教えてくれたのは軍医のおじさんで、そして彼の言っていた噂とは次のようなものだった。
昔、フロレスタンには呪いをかけられた一人の王女がいた。その彼女にかけられた呪いとは、百年間眠り続けるというもの。そして実際その通りになり、更には国中の誰もが同じ様に眠りにつき、彼女達の周りはツタやいばらが覆い尽くしてしまった。だが月日が流れ、たまたまフロレスタンを訪れた王子が眠る王女に一目惚れして口付けると、なんと彼女も国民も皆目を覚ました。そしてフロレスタンは再び国として動き出し、人々は幸せに暮らしたそうな。
──しかしこの話には続きがあって、なんと当時のいばらがその呪いの効力を持ったまま、今でも存在しているというのだ。なんでもそのいばらの棘に指を刺された者は、同じ様な眠りの呪いを掛けられるのだという。
……はい、皆さんお解りでしょうか?ええ、そうです。実はこの前私が指をぶっ刺したあのいばらの棘、なんと噂の代物だったんですねー。……え?じゃあ私は眠るんじゃないかって?うん、そうだよね、普通そう思うよね。いやでもそれが、実はそうじゃなかったのよ。驚くことなかれ、なんと、花をつけているいばらは別物だったらしい。その効力は、刺された人を眠らせるんじゃなくて、逆に刺された人が触れた人を眠らせるっていうものなんだって。
……泣いても、いいかな?
「魔法使いというのは、珍しい存在だからな。それだけに、癖のある輩も多い」
「へぇ、そうなんですね」
ちゃんと逸らされてくれた副隊長さんに安堵しつつ、私は思った。私にとっては、貴方も十分癖のある厄介なお人ですよ、と。
──『リナさん、君のその呪いを解けるのは、恐らくその魔法使いしかいないだろう。仮にダメだったとしても、何か手掛かりは掴めるはずだ。だから如何かな?彼を訪ねてみては。大丈夫、道のりは長いけど、共にロランを付けるから。それに元々ロランは、呪いの噂を危惧した王都の騎士団から、その調査の命を受けて、一番フロレスタンとの国境に近くてそこそこ大きいこの街にやって来たんだ。だから貴女は何も心配しないで、彼を連れて行って来なさい』
以上が、軍医のおじさんのお言葉だ。
最初にこれを聞いた時、私は二つの事を心に決めた。
一つは勿論、一刻も早くその魔法使いの元へ行く事。だって触れた人がみんな眠ってしまう呪いとか、この上なく不便だもの。私が働いている限り、いや人と接する限り、寧ろ生きている限り、誰かと触れ合うのは当然だ。唯一の救いが、昔の呪いなお陰で眠り続けてしまう程ではないことだけど、それでもやっぱり突然眠らされたら誰だって困るだろうし、というかそうなるのを防ぐ為に誰も私に寄らなくなるだろう。嫌だ、それだけは嫌だ!このままでは真性のぼっちになってしまう!
そして二つ目は、呪い以上の悲劇とも言えるこの豪華なお供を、何としてでも阻止する事。──え?理由?そんなの勿論、
「ちょいとそこのお兄さん!如何だい?うちの店、寄ってかないかい?」
「男前な人ねぇ、お安くするから寄って来なよ〜」
「いや、先を急ぐので、失礼する」
「…………」
──目立つからに、決まってるでしょ。
通り過ぎる際に頭を下げると、特に熱心に誘っていた女性達にギロリと睨まれた。
ひいぃぃっ、だから嫌だったのに、この人と歩くの!いえね、これがまだ女盛りの可愛らしい、若しくはお綺麗な女性だったらいいと思うのよ?ごめんなさいね、平凡顏で。ごめんなさいね、行き遅れで!大体私は、元々一人で行こうと思っていたのだ。それを……この騎士様が、当たり前のように街の外で立っていたから……目が合った瞬間に「行くか」とか言い出すから……。日にちも時刻も、集合場所だって何一つ話さなかったのに、何故バレたのか。
「……本当に、魔法使いには碌な奴がいない」
ふと聞こえた吐き捨てるような呟きに視線を上げると、副隊長さんが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。わー、この人こんな顔もするんだ。今まで無表情しか見たことなかったから、何だか新鮮な気分だ。因みに出発してから今日で五日目なので、それで副隊長さんの寡黙さが分かっていただけると思う。
「何か、魔法使いに嫌な思い出でもあるんですか?」
「……知り合いに、いるからな」
「えっ、魔法使いが!?」
驚く私の声に、副隊長さんはコクリと頷く。ひぇー、流石王都の騎士様は違うなぁ。魔法使いなんて、この世界に両手で足りる程の数しか居ないって言われてるのに。
「厄災を絵に描いたような人物だ」
……よ、よほど変わった性格の人なんだろうか。いやでも、十分凄いですよ。だってそんな人が知り合いな副隊長さんからしたら、私の交友関係なんて皆町民にカテゴライズされちゃうんですから。
*
私達の旅路は、中々に苦労の絶えないものだった。
目的地が人里の無い国境スレスレの山奥であったこともそうだけど、それ以上に大きな問題だったのが、移動の面である。というのも、移動手段が全て徒歩なのだ。
勿論最初は、私も副隊長さんも馬を使うつもりだった。だって、歩けば数十日はかかる道のりを、誰が好んでそうすると思う?そりゃ馬に乗るのが苦手な私だって、諸手を挙げて大賛成しますよ。
でもそこで、私達は一つ重大な事を見落としていたことに気付いたのだ。──そう、私に掛けられた呪いの事を。さて、ここで思い出してみましょう。この呪い、どんな効力がありました?……はい、そうですね、触れたものを眠らせてしまうのでした。と、言うことはつまり?つまり──寝ちゃったんだよね、お馬さんが。いやー、あれはびっくりしたわ。何せ背に乗ろうとして手をかけた瞬間に、あり得ないほど静かになったんだもの。本当に、ピタッと。……ああ、あの時の副隊長さんの驚いた顔も、今思えば随分レアだったなぁ。
とまぁそういう訳で、呪いの所為で徒歩を強いられた私達は、長い道のりをゆっくりと、順調と言えば順調に進んでいた。偶に私と、副隊長さんを含めた他の人が接触するという事故が起こって足止めを食らったりもしたけど、それはご愛嬌ってことで。
そして、そんなある日のことだった。
「──リナ殿」
「はい、何でしょう?」
一歩先を進む副隊長さんが、ピタリと足を止める。私もそれに続いて立ち止まれば、やけに真剣な顔をした彼が此方を振り返った。
「今夜の事なんだが」
「?、はい」
そう言われて、空を見る。太陽は丁度天辺で燦々と輝いていた。何故、このタイミングでそんなことを?
「まだ早いが、先に言っておく。……すまない、今夜から暫く、野宿になると思う」
深刻な表情で、そう言った彼。私はそれに、思ったままの事を伝えた。
「……何だ、そんな事ですか」
そうそう、最近副隊長さんの表情が何となく見分けられるようになってきたんだよね。実はそれが、ちょっと嬉しかったり。そして今彼は、この前茂みから飛び出てきた蛙を踏みそうになっていた時にしていたのと同じ、驚きの表情を浮かべている。
「そんな事……とは」
「だって、私達が目指してるのって人里の無い山奥なんですよね?それなら、野宿は当たり前じゃないですか」
……お、この顔も見たことあるぞ。確か最近、お店で鶏肉を炙って味付けした料理を頼んだのに、何故かじっくり煮込んだお野菜のスープが間違えて出された時に、この顔をしていた。因みにそのスープは、私が頼んだフライドポテト付きソーセージと交換で、美味しくいただきました。旅の資金はほぼ持って貰っているので、その細やかなお返しとして。
「だが、俺とリナ殿しか居ないのだぞ?」
「?、ええまぁ、そうですね。……あ!」
そこで、私はふと気付いた。彼の言わんとすることに。
「安心してください、副隊長さんを襲ったりなんてしませんから!」
そう言えば、出立してから今朝に至るまで、泊まった宿は全て各々で一部屋だった。ずっと「この高所得層め」としか思っていなかったけれど、今やっとその理由が分かった。
きっと、彼は何度も身の危険を感じるような、そういう経験をしているのだろう。何せこれ程の美形だ。世の女性、とりわけそっちの方面で強かだと聞く王都の女性が、彼を放って置く訳が無い。そして恐らくその所為で、副隊長さんは用心深くならざるを得ないに違いない。……王都、コワイ。
「いや、そっちではなく……」
「それに、忘れたんですか?私の呪いの事」
「……ああ、それもそうか」
私の言いたい事を察した彼は、あっさりと頷いた。そりゃあそうでしょうよ、だって私が指一本でも触れたら即お休みタイムだもの。厄介な呪いも、偶には役に立つのね。
そして、夜。
「──あれ、寝ないんですか?副隊長さん」
辺りが暗くなって来たところで夕食を済ませると、既に焚き火の明かりなしでは歩けない程にまで暗闇が満ちていた。これ以上起きていても意味が無いと思い、私は木の根元に毛布代わりの外套を敷く。が、そうしたのは私だけで、副隊長さんは依然焚き火の前に座ったままだった。
「ああ、リナ殿は先に寝ていてくれ」
「……でも」
「俺はもう少し此処にいるから」
「…………」
まだ、眠くないのだろうか。私なんて一日中歩き続けたら、立っててもいつの間にか目を閉じてしまうぐらい疲れるけどなぁ。……決して年の所為とかじゃないからね?職業柄、慣れ不慣れってあるでしょ?
結局、私は渋々ながら彼の言葉を聞き入れた。色々気を遣ってもらってるから、沢山休んで欲しいんだけどなぁ。でも副隊長さんは幾ら私が言ったところで考えを変えるような人では無いから、仕方がないか。
「それじゃあ、お休みなさい」
「ああ」
そして横になった私は初めての野宿にちゃんと寝られるか不安だったにも関わらず、数分後には夢の世界へ旅立っていた。
──んなぁーお……
──なぁーう……
遠くで、何かが鳴いている。その声に手繰り寄せられる様にして、私の意識は浮上していった。
「んなぁ」
「…………」
まだしっかりと働かない頭のまま目を開ければ、ボンヤリする視界はやがて、此方を見降ろす一匹の黒猫の姿を捉えた。
「如何してこんな所に、猫が……?」
不思議に思って手を伸ばし、ふとその動きを止める。──ああ、そうだ。今の私が触ったら、この子は眠ってしまう……。
「……目、覚めちゃった」
顔の横に座る黒猫から目を逸らし、呟く。焚き火は既に消えていて、辺りを照らしているのは月明かりだけだった。
「──あれ?」
上半身を起こして凝り固まった体を伸ばそうとした私は、その時あることに気付いた。昨夜の焚き火の跡に蹲ってる、黒い影。あれってもしかして……副隊長さん?
ゆっくりと、音を立てないようにその場へ近づいて行く。その後ろからは、黒猫もついてきていた。
「まだ、起きてたんですね」
「……リナ殿?」
山道を歩き出すには、今は早過ぎる時間だ。予想通り、副隊長さんは驚いた顔で此方を振り返っている。私は自分の眉間にシワが寄ってしまうのを感じつつ、彼をジッと見据えた。
「あの、副隊長さん」
「何か?」
「まさかとは思いますけど、このまま一睡もしないつもりですか?」
片膝を立てて、剣を支えに座っているその姿は、とてもこれから眠る様なそれには見えない。あの時彼は、もう少しと言っていなかったか。
僅かに責めるような口調になってしまった私の問いに、しかし副隊長さんは当たり前のように頷いた。
「見張りが必要だからな」
この辺は、偶に盗賊の類いが出るのだ、と。そういえば、前に何処かでそう聞いた事があった気がする。彼も、それを聞いて危惧していたのだろうか。
「まだ夜明けまで時間がある。リナ殿は寝ておいた方がいい」
副隊長さんは、それだけ言うとくるりと私に背を向けた。多分私がこの場から去るのを望んでいるのだろう。そんな事は、分かっている。……でも。
「副隊長さん、交代します」
このまま彼にだけ任せて、それで安心だなんて。そんな事、思いたくないんです。
「……な、」
目を見開いた副隊長さんの顔が、再び私に向けられる。そこから発せられそうになった彼の言葉を聞く前に、私は一気に捲し立てた。
「大丈夫です!もう疲れは取れたので!」
「いや、だが」
「それに起きたら目が冴えちゃって、もう寝られそうにないんです!」
「しかし」
「……ああ、もうっ!」
両者一歩も譲らず、言い合いは平行線を辿り続ける。なんて頑固なんだ、このお人は。そりゃ一般市民を護るのがお仕事だからなんでしょうけど、今は違うと思うんですよ。だって私、そこいらに居る普通の町娘とは違いますもの。いや、娘じゃないとか、そういうんじゃなくて。
──とにかく、こうなったら私にだって考えがあるんだから!
「そんなに遠慮するなら、もう良いです!」
私がそう言った途端、ホッとした様子で息を吐く副隊長さん。その目が伏せられた瞬間を、私は見逃さなかった。
「──くらえ!必殺、ボディタッチ!!」
「っ!?」
弾かれたように顔を上げる副隊長さん。
その肩へ迫る、私の両手。
「ひ、きょう……だ…………」
ドサッ
「──ふぅ、作戦成功!」
かいてもいない汗を拭う様に、腕を額に当てる。副隊長さんはそう言ったけど、全く卑怯なんかじゃありません。これは正しく、計画的戦略なのです!
その場に崩れる様にして眠ってしまった副隊長さんに、外套を持って来て掛けてやる。これできっと、彼は朝までぐっすりと眠る事ができるだろう。私は副隊長さんの隣に腰を降ろして、ボンヤリと木々の隙間から溢れる月明かりを見つめた。
「んなぁー」
静けさが辺りを包み込む中、背後から突然聞こえてきたその音に、私はビクッとして振り返る。
「……あ、お前、さっきの」
そこには、あの黒猫がいた。
ああ、そういえば、いつの間にか居なくなっていたなぁ。副隊長さんとの言い争いに気を取られて、今の今まですっかり忘れていた。
「……って、こらこら!」
気付けば、いつの間にか彼……彼女?は、私の膝に今にも乗らんとしている所だった。呪いによる第二の犠牲者を出すまいと、私はそれを咄嗟に避ける。一人目は、不可抗力だったんです。
「しゃーっ」
……歯をむき出しにして威嚇された。えぇー、怒るほど避けられるの嫌だったの?それとも、そんなに人の膝で寝たいのか。半信半疑のまま、試しにもう一度脚を横にして座ってみる。すると黒猫はピタリと反抗的な態度を収め、喉を鳴らして膝の上に登ってきた。
そして、言わずもがな。猫にしたって早過ぎるスピードで、眠りについてしまった。
「あーあ、だから避けたのに……」
文句を言いつつも手は素直で、その柔らかな毛並みを撫で始めていた。野良にしては、なかなかいい艶を出している。
「……あったかい」
口からは、思わずそんな呟きが溢れていた。うぅ、夢にまで見た、この命の温もりよ。
──結局私は夜が明けるまで、手を休めることなく黒猫を撫で続けた。
*
そしてその日からは、私の強い希望もあって、夜の見張りは交代でやるという結論に落ち着いた。初めは渋っていた副隊長さんだったけど、私が困ったなぁと言いつつなんとなく両手を胸の高さまで挙げて、なんとなく彼の方をチラッと見たら、すぐに了承してくれた。うーん、なんでだろうね?
で、それから今日までに数回夜が明けたんだけど、何故かその度に決まって狐やらリスやら、何かしらの動物が私と一緒に座っていてくれた。偶にうつらうつらしてからハッと気付くと、大抵その子たちが代わりのようにジッと周りを見ているのだ。不思議だなぁとは思うけど、私には彼等の言葉を理解する事は出来ないので、考えても仕方ないやと思ったら気にならなくなった。……いい?こういう強い精神が、例え誰に心無い中傷を浴びせられても決して屈することのない、私のような人間を育てるのよ。せいぜい真似しないことね。
──とまぁそんなこんなで、昼は少しでも距離を稼ぎ、夜は細心の注意を払いつつ、私達は森の中を進んでいた。次第にあの寡黙な副隊長さんからも話しかけてくれるようになって、僅かながら信頼関係らしきものすら生まれつつあった、そんなある日。
陽が傾きかけた、しかし夕方と言うにはまだ早い時分に、それは起きたんだ。
「──なぁ、そこのお二人さん」
本来ならば嬉しいはずの、数日ぶりに聞く私達以外の声は、しかしとてもじゃないけどそんなものではなくて。私は視界の隅で静かに剣の柄に手をかけた副隊長さんを確認しつつ、声の方を振り返った。
カーキ色の外套を羽織り、その中に両手を隠した状態でいる数人の男達。その顔は、何と言うか、こう……如何にもって感じの面構えだった。そんな雑多に集まっていた彼等の内、額に傷のある取り分けガタイのいい男が一人、此方へ一歩進み出る。そして威圧感を与えるその顔に、さらに酷薄そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「命が惜しけりゃ、大人しく金目のモンだけ置いて行け」
ヒヒヒ……と、人を馬鹿にしたような笑い声もその後に続く。……どうでもいいけど、もっと他に笑い方は無かったのだろうか。
「…………」
カチャ、と、近くにいる私にしか届かない様な音が、背後の副隊長さんから発せられる。息を呑む程の緊張感が、空気を伝ってひしひしと感じられるようだった。
「リナ殿」
「はい」
小声で呟かれたその言葉に、私は視線を男から逸らさないままで答える。
「俺から、離れないように」
「……はい」
音を立てず、ゆっくりとした足取りで、副隊長さんが私の前まで移動する。……私も、緊張しているのだろうか。心臓は、さっきから痛いくらいに鳴っていた。
「──先を、急いでいる。此処を通してもらえないか」
淡々と言い放つ副隊長さんに、男はニヤニヤしながら答える。
「ああ、いいぜ。ただし置いてくもんがあればの話だ」
「……これを」
そう言って彼が取り出したのは、街でよく見た巾着。そしてそれを男に投げて渡し、向こうの反応を待った。
「……これだけか?」
「そうだ」
副隊長さんの答えに男はふぅんと呟きながら顎に手を当て、何かを考えている様子。もしかして、金額が足りなかったのだろうか。いやいやまさか、そんなはずは……だって、泊まった宿も食べたご飯も、何れも上等なものだったよ?
だがやはり、男は満足していなかったらしい。再びあの捕食者のような笑みをその顔に浮かべ、目を細めて此方を見た。此方……というか寧ろ、何というか……私の方を、見ているような……?
「じゃあ、そっちの女も付けろ。そうすりゃ通してやるよ」
──ぎゃあああああ!!ほっ、本当に私だったあああ!!えええ嘘でしょ、あの人本気!?何で売っても若い子の半分、下手したらその四分の一くらいの値にしかならないような私を置いて行かせる訳!?私なんかより、こっちの騎士様の方がよっぽど綺麗だよ!?
その時、あまりの事に内心慌てふためいていた私は、全く気が付いていなかった。辺りを包んでいた緊張感が、その濃度を一気に増した事に。そして、その原因が一番近くにいたことに。
「──その提案は、却下だ」
その、地に轟く様な低い声が、一瞬誰のものなのか分からなかった。でも、確かにそれは私の近くから聞こえて、そして其処にいるのは一人しかいなくて。
「……副隊長、さん?」
「ああ?テメェ、今の状況分かってんのか?」
しかし私の呟きは、彼の言葉によって刺激された男に遮られてしまう。が、彼も負けてはいなかった。
「……それは、お前達の方だろう?」
えっ、ちょ、副隊長さーん!!?貴方そんな、挑発するようなお人柄でしたっけー!?
「なっ……!!ふ、ふざけやがって!!」
ああもう、ほらぁ!あちらさん、滅茶苦茶ご立腹じゃないですかぁ!
が、それでもやはり、副隊長さんは動じない。……彼の心臓には、毛でも生えているのでしょうか。
「あの男を殺せぇ!」
遂に痺れを切らした男は、手下に向かってそう叫んだ。すると待ってましたと言わんばかりの勢いで、六人ばかりが一気に私達の方へ走って来る。……が。
「──もう、終わりか?」
「……ッ」
瞬殺、だった。
一人をのしたと思ったら、既に地面には三人の体が横たわっていて。一体何が起きたのだと目を見張った時には、六人目が倒れて行く正にその瞬間だった。……それ、人間の動きですか?
「……う、あああああっ!!」
どうやら彼のその人外レベルな強さに動揺したのは、私だけではなかったらしい。雄叫びを上げながら、男が大刀を振り上げて副隊長さんに襲い掛かってくる。
「弱い」
己の剣の二倍の太さは有りそうなそれを、しかし彼は軽々と弾く。……いや、ですから強すぎますって、副隊長さん。
その後も勢いを削がれたことで怯んだ男を、副隊長さんがさらに追い詰めて行く。そしてこれが最後の一撃になるか、と思った、その時だった。
「──っ危ない!!」
視界の端で、居るはずのない影が動くのを見た。その影が、誰なのか。そしてその手に持つものが、何なのか。分かっていた事なんて一つも無かったけれど、私の体は気付いた時にはもう、動き出していた。
何も考えず、只ひたすらに突っ込んで行く。望んだ手応えは感じたものの、しかし同時に望まぬものまで襲い掛かってきた。
「〜〜〜っ!」
肩が、焼けるように熱い。これは、火傷?
「……リナッ!?」
──ああ、違う。この紅は……
*
「…………」
「あ、起きた?」
「あと、五分……」
「──ん?」
聞き覚えのない声に、まだ寝足りないと訴える頭さえもが瞬時に覚醒する。バッと勢いよく体を起こせば、左肩に僅かにピリッとした痛みが走った。
「ああ、左肩の傷は、俺が治しておいたから」
でもまだ動かすと危ないよ、と頭上から声が掛かる。右手で肩を抑えながら視線を上げれば、太陽みたいな金色の瞳と目が合った。
「じゃあ、俺はロランを呼んでくるから」
彼はそう言うと、私の返事も聞かぬままに何処かへ行ってしまった。
そんな状態で後に残された、私はというと。
「…………えっ、今の誰!?」
結局何一つ分からないまま、副隊長さん達が来るのを待つ事しか出来なかった。
「──だから、リナちゃんはロランが盗賊の一人に不意を突かれそうになった時、咄嗟にそいつにタックルをかまして眠らせたんだ。でもその時に彼が手に持っていた剣で運悪く肩を怪我しちゃって、気を失っちゃってたって訳」
「は、はぁ……」
そうか、そんな事が起きていたのか。ああ、今だけ心からこの呪いに感謝できるよ……。
「リナ殿」
と、その時。重々しく切り出された声に振り向くと、其処には深々と頭を下げている状態の副隊長さんがいました。
「……ええ!?」
「俺のせいで貴女に怪我をさせてしまった事、本当にすまなかった」
「え、と……取り敢えず、顔上げてください!」
「いえ、俺は護衛の任に当たっていたにも関わらず、その対象であるリナ殿を傷付けてしまった……」
「そーそー、ロランは反省すべきだよなー」
「ええ!?そんな事……っていうか貴方誰なんですか!?」
ナチュラルに会話に入ってますけど、私貴方の名前すら知りませんよ!?
「ん?俺はね、ロランの上司だよ」
「えっ」
驚いて副隊長さんの方を見ると、彼は物凄く嫌そうな顔をしていた。しかし否定はしないので、どうやらそれは事実らしい。でも、如何してそんな人が此処に?
「……以前リナ殿に話した、俺の知り合いだ」
すると、副隊長さんがそう話す。そういえば確かに、少し前に厄介な知り合いの魔法使いがいる、って……
「じゃあ、魔法使いなんですか!?」
「あ、そーそー」
この人が、副隊長さんの言う『厄災を絵に描いたような人物』なのか……うーん、イマイチ分からないけれど、副隊長さんの顰められた表情を見る限り、よほど振り回されてきたんだろうなぁ。
「俺は怪我の治療も出来るからね。普段は滅多にそんな事しないんだけど、可愛い部下に泣きつかれちゃったからね〜」
「……隊長っ!」
「おー怖。まぁ、俺がいるのはそういう訳だから」
分かってもらえた?と訊かれ、私は頷く。そうか、私はじゃあ、この人に助けられたんだ。この、隊長さんに。
「ありがとうございました、隊長さん。それに、副隊長さんも」
改めてお礼を言うと、お二人共頷いてくれた。
「ああ」
「貸し一だよ、ロラン」
……隊長さんの笑みが大変楽しそうだったことには、気付かなかったことにしておこう。
「じゃあ俺は戻るよ。リナちゃん、お大事にね」
立ち上がった隊長さんは、そう言って私の方を見る。その足元は黄色い光が取り巻いていて、魔法と言うものを初めて見る私は興味津々でその様子を見つめていた。
「リナ殿、あまり近付くと危ないぞ」
「……はぁい」
が、副隊長さんに注意されてしまったので私は渋々その光に触れようとしていた手を引っ込める。うう、これを逃したら一生お目にかかれないだろうから、もっと近くで見たかったのに。
「それじゃあロラン、帰ってくるのを待ってるよ」
「待たなくていい」
おお、副隊長さんが珍しく仏頂面になっている。
「そうだリナちゃん」
「はい?」
「今度は呪いが解けた後に来るから、また膝の上で寝させてね」
「……は?」
「隊長、一体どう言う……!」
隊長さんの謎発言に、私と副隊長さんが声を上げるも、既に彼の体は其処には無かった。す、凄い、これが魔法……。なんて便利な力なんだ。って、いやそうじゃなくて。
隊長さんの言葉の意味を考えていた私は、ふとあの夜のことを思い出す。じゃあ、もしかして……
「あの時の、黒猫?」
「……猫?」
「あ、はい。少し前に私が見張りをしていた時に黒猫がやって来て、確かに膝に乗せたんです。魔法でそんな事って、出来たりするんでしょうか?」
そう言って、副隊長さんの方を伺う。あの人と付き合いのある彼なら、分かるかもしれない。
「……その猫、金色の瞳だったか?」
「うーん、確かそうだったと思います」
「隊長だ……」
あ、やっぱりそうなんですね。──あれ?そういえば、他の動物達も皆、金色の瞳だった様な……。もしやあれも、隊長さん!?私はその事も訊こうと、隣を見る。が、
「あの人は、俺の居ない時ばかり狙って……!」
……これ以上隊長さんの話題に触れるのは、どうやら得策ではないようだ。そう察した私は、言葉を呑み込んだのだった。
「──所で、もう体は大丈夫なのか?」
隊長さんへの怒りから我に返ったらしい副隊長さんが、私の左肩に目を遣りながらそう尋ねてくる。
「はい、もう平気です!」
本当は、動かすとまだちょっとだけ痛いけど。まぁ敢えて言う程のものでもないし。
「それより、もうすっかり夜になっちゃいましたね……」
辺りを見渡せば、パチパチと爆ぜる焚き火以外、どこもかしこも暗闇に包まれていた。あの強盗と出会ったのがお昼の後だったから、随分此処で時間を使ってしまったみたいだ。
「すみません、私がもっと早く目覚めてたら……」
「いや、気にしなくていい。……俺の方こそ、本当に今日はすまなかった」
さっきも謝ってくれたのに、副隊長さんはまた頭を下げる。うーん、止めてもきっと、聞いてくれないよなぁ。
それにきっと彼は、穏便に済ませようとしていたのだろう。だってあんなに強かったのに、最初は大人しくお金を渡してたもの。
でも、副隊長さんは怒ってくれた。それが私の為だったなんて言わないけれど、それが、少し嬉しかったんだ。
「……副隊長さん、ありがとうございました」
唐突にお礼を言った私を、彼は不思議そうに見る。
「私、初めてだったんです。誰かにあんな風に守ってもらった事も、自分が誰かを守りたいと思った事も。……不思議ですよね、呪われて誰かと触れ合うことの出来ない今の私が、何故かこれまで会ったどんな人よりも、副隊長さんを近くに感じてるなんて」
「……リナ殿」
「あ、いえ勿論、副隊長さんの事がよく分かるだとか、そんな厚かましい事を言うつもりはなくて!その、ただ……私にとっての貴方が、他の人とは違うと言うか」
適切な言葉なんて見つからない。私の口からは、要領を得ない気持ちばかりがポロポロと溢れていくばかりだった。
「だから……」
「リナ殿」
と、その時ふいに副隊長さんが私の名前を呼んだ。私は言いかけていた言葉を喉に押し留めて、彼を見上げる。
「何ですか?」
「一つ、確かめたい事がある。貴女にかけられた、その呪いの事で」
「……え?」
何を言うかと思えば、その内容はまるで私の言葉と関係がなかった。えええ、嘘でしょ。今私、結構真面目な話してたよ?私にしては珍しく、ちょっとくさいなって思う様な事も言ったんだよ?……いかん、思い出したら小っ恥ずかしくなってきた。
火照った顔を冷ますように手でパタパタと仰いでいると、再び副隊長さんが口を開いた。
「あの童話を、覚えているか?」
「あー、えっと確か、昔フロレスタンにいた王女様のお話……でしたっけ?」
「そうだ」
それならば、比較的最近聞いた話だからちゃんと思い出せる。流石にまだ、ボケとかそういうのはないからね。
「それでその、『確かめたい事』というのは?」
何か童話と、関係がある事なのだろうか。だったら、うん。確かめてみることは必要かもしれない。
と、そう思ったのだが。
「いや、その前にあと一つ聞いておく」
「……」
副隊長さん。貴方、いつからそんな頓珍漢なお人になったんですか?この流れで、普通話逸らします?
私は副隊長さんの突然の奇行に、自分の表情が胡乱なそれになっていくのを感じていた。
──だが、それで終わりではなかったらしい。
「王都に、住む気はあるか?」
これまでにない程真剣な表情で、副隊長さんがそう口にする。
その意味を理解して、たっぷりと十秒は経ってから。
「……はい?」
私は今の精神状態でできる、最高の返事を彼に返した。
が、しかし。副隊長さんは私の語尾にある疑問符に気付いていないのか、何かに納得したように「そうか」と頷いた。
……いやいや待ってよお兄さん。貴方本当に、あの寡黙で冷静な副隊長さんですか?何だかお人が変わってません?っていうかそもそも、何故急にそんな事を?
そうだ、その理由を聞かなければ。と、そう思った私は口を開こうとする。だがそれは、一歩先に発せられた副隊長さんの言葉によって、遮られてしまった。
「ではリナ殿の承諾も得た所で、一つ目の話に戻るが」
──何なんですか、貴方はもう!いくらなんでも、話飛躍しすぎでしょ!脈絡が無さ過ぎるし、それに私、貴方の質問に承諾した覚えありませんからね!?
……ああ、昼までは確かに近くに感じていた筈の彼は、一体何処に行ってしまったのか。もういい、もう知らない。意味なんて考えないで、ただ質問に答えよう。
そう決めた私に、副隊長さんは更に問う。
「あの童話で、呪いは何をすれば解けていた?」
「何、って……えぇと、確か……王子様の、」
と、そこまで言った時だった。
「!?」
「──そういう事だ」
グッと、二人の距離が一瞬で縮められる。
翠の瞳には、驚きで目を見開く私の姿が映っていた。
「確かめる価値は、ある筈だ」
潜められた低音が、耳に届く。
そして────……
*
ある国に、一人の平凡な町娘と、皆の憧れである騎士がおりました。
百年の眠りに就いたわけでも、
いばらに囲まれた城に辿り着いたわけでもありません。
そんな二人が出逢い、どんな道を歩むのか。
それは、これからのお話──……