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二〇二号室  「一人で二人の話」

 あの……、あの人、本当に、ここに来るんですか? ……ええ、そうですけど。でも、なんだか、信じられなくて。私、あの人には、とっくに見捨てられてると思っていたから……。この子が生まれたら、結婚しようだなんて……、奥さまとは別れるだなんて。まだ信じられない……。でも、嬉しい……、私、嬉しいです……。


 あの人、婿養子なんです。今の病院も、もともとは奥さまのお父さまのものだったんです。もちろん、奥さまと別れるなんてことになれば、地位も名誉も水泡に帰してしまうでしょう。だから、私とのことは、絶対に秘密だったんです。最初から、結婚できるはずなんてなかった。わかっていたけど、……あの人が好きだったから、そばにいられるだけでよかったんです。でも、この子を身ごもってしまって……。あの人は、こう言いました。子供を堕ろせ、それが嫌なら君とは縁を切る、って。


 私は、悩みました。あの人を愛していましたし、離れたくなんてありませんでした。あの人もそれをわかっていたようですし、私との関係を続けたいようでした。だからこそ、あんなことを言ってきたのでしょう。私が子供を捨てて、あの人を選ぶと信じていたのです。


 でも私は、悩みました。あの人の望みなら何でもしたいと思いましたが、それでも悩みました。……私も医療に携わる者です。命を救うための職に就いていましたし、誇りもありました。それなのに、この小さな命を、切り捨ててしまってもいいのだろうかと――殺してしまっても、いいのだろうかと――。


 たしかに、法律には触れないことです。もちろん、犯罪になどならないでしょう。でも、これは間違いなく殺人なんです。だって、私がこの子を殺すんですから。そうでしょう? ……ええ。私は、この子を殺すということよりも、自分が人殺しになってしまうことを、その重荷を背負ってしまうことを恐れたのです。その重荷と、彼への愛とを、秤にかけて悩み続けたのです。


 でも、あるとき――ふと気づいたんです。自分の子供さえ簡単に切り捨てるあの人ですもの、他人の私なんて、もっと簡単に切り捨てるだろうと。考えてみればあたりまえの話です。私は、自問しました。いつかはあっさりと捨てられる、それでも私はあの人のそばにいたいのかと。答えは、……否でした。


 もちろん、先のことに不安はありましたけど、でも、……この子はあの人の子供ですもの。私はきっとこの子を愛せる……、この子のそばにいられれば、きっと生きていける。そう思ったんです。


 だから、あの人がこの子のことを……、そして私のことを、許してくれたことがとても嬉しいんです。奥さまには、悪いことをしたかなとは思いますけど……。ああ、……私、あの人が来てくれたら、いちばんにこう言いたいわ。――ありがとう、愛しているわ、って。

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