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右眼の紅色  作者:
9/21

異形の黒霊

黒霊は、生まれつきある障害を持って生まれた。

物を動かすことも思考も問題なく出来ていたが、他者への回路が正しく繋がっていないらしく意志を他人に伝えようとすると単語ごとにばらされて伝わってしまうのだ。黒霊は普通に話しているつもりでも、断片的にしか伝わってこない言葉を大抵の妖は理解できずに会話が成立しない。そのため黒霊は意志を伝えるとき出来るだけ簡単にするか多くの単語を加えて話し、言わんとすることを相手が導き出しやすいようにしなければならなかった。それには出来るだけ多くの単語を理解し、そして扱えるようになる必要がある。黒霊は隠族が有している数多くの書物のほとんどを読み込み、そのとき語学だけではないあらゆる専門分野の知識を得た。中でも黒霊の興味を惹きつけたのは歴史学であった。過去に持ち込まれた人間界の書物に記されているもの、それをもとに隠族が独自に記したものと様々であったが、黒霊は妖達、そして人間たちが辿ってきた歴史を好んで学んだ。

隠族の妖はおよそ七百年前隠森から地下の隠都に移り住んだのちも時折赫森や銀森を観察しに外へ赴き、その歴史を記し続けてきていた。それによれば二百年前の赫族の独立をきっかけとして赫と銀、若い妖とその親の世代である妖たちとの諍いが頻繁に起こるようになったようだった。しかし危うい均衡をなんとか保ちつつ、彼らは一応平和に生きていた。それが崩れたのは、今から五年前のことだった。赫族の族長赫空が倒れたことで両族の外交がうまくいかなくなり、戦争にまで発展したのだ。

記された歴史の全てにおいて、隠族は沈黙を守っていた。対立する赫と銀、黙認する隠。これは二百年もの間続いてきた関係であり、戦争が始まったからといって覆るようなものではなくその必要もないと判断されているのだろう。

この事実に黒霊は憤慨し、そして失望した。七百年前隠森を出た経緯についてはどの歴史書にも詳しく記されていなかったが、ただ人間を畏れて逃げてきたのだということは分かった。しかしそれ以前に人間から持ち込まれた書物の量を見ればかなり深い親交があったことは間違いなく、その人間を畏れるということは何かしらの事情があったのだろうと推測できる。

とはいえそのことと他部族、特に親交のあった銀族との交流を絶つこととは別の問題であるように思えた。隠族の妖は一族の黒霊から見ても度を越して臆病であり、また無責任であった。知識欲を満たしたいがために他の森を訪れ、そのくせ彼らの問題に自分たちは関係ないと知らん顔を決め込む。当然の論理であると言ってしまえばそれまでだが、黒霊はそれを冷血だとしか思えなかった。他人の感情を省みないような、そんな一族を自分と同じ妖とは思いたくなかった。

あるいは、自分は〝異形〟だからこんなことを思うのだろうかと黒霊は思った。他人との会話さえ満足に出来ない自分こそ、彼らからすれば異形なのだ。おかしいのは自分の方で、彼らこそが正しいのかもしれなかった。


戦争はそれから五年経ってもまだ続いているようだった。

やはり隠族は黙認していて、相変わらず地下に籠ったままだ。黒霊はもうそれに対して怒る気力すら失くしていた。もう諦めていたのだ。彼らの態度が変わることなどないのは見えていた。

そろそろ将来進む道を考えなくてはならない時期に来ていたが、黒霊は父の仕事である建築の仕事は継がず、歴史学者になる道を選んだ。障害のある自分に無理に仕事を継がせはしないだろうと思えたし、紙の上で筆を走らせるだけなら黒霊にも出来る。また、たとえ干渉は出来なくとも外の世界を見てみたかったというのもあった。結局は自分も知識欲の塊らしい。

幼い頃から歴史書を読み込んでいた黒霊は、試験の成績では常に首位を維持していた。会話力さえちゃんとあれば全体でもそれを狙えるほどだったが、気にしてはいなかった。実習免除の権利は与えられないが、黒霊は逆に喜んだくらいだったのだ。

三日間外に出て赫森での出来事について記し、帰ってきてからそれをまとめ提出する。卒業試験を兼ねたその課題に取り組むため、黒霊は地上へと赴いた。


出てみて、驚いた。森の中に人間の少女が居たのだ。同じように課題をしにきた仲間たちは一目散に逃げていったが、黒霊はその場から動けなかった。いや、動かなかったのかもしれない。

「誰か、居ませんかー?」

びくっと反応してしまったが、幸い身体はないので物音が立つこともない。しかしどうにも気になって、黒霊は用心深く身を隠しながら彼女を追った。

しばらくして彼女は疲れたのか座り込んだ。黒霊はその樹の背後で耳を澄ませる。

「――ねえ、わたし何もしないよ?あなたたちに何か危ないことをするわけじゃない。だから、出て来てよ」

『ッ!?』

また反応してしまった。見つかった様子はないので彼女の独り言らしい。

「出ておいでよ。何も怖くない、大丈夫だから・・・・・・」

出て行けるわけがない。人間は恐ろしい存在だと、父と母に教わって育ったからだ。

「わたしだって怖いよ。わたしにとってはあなたたちが〝異形〟だもん。でも、頑張って会いに来たよ・・・」

しかしどうして恐ろしいのかは教えてくれなかった。七百年も前の話だ、語り継がれているわけでもないのに歴史書にも残っていないことを知っているはずもない。それなのにどうして畏れるのか。

〝人間は怖い〟というその言葉だけが独り歩きをし、それに怯えて生きている隠族はひどく滑稽だった。

そう思ったとき、少女が突然叫び始めた。

「・・・さっさと出て来いやおらあああああああああ!こんの臆病者共がああああああああああああああああああッ!」

〝臆病者〟。黒霊ははっとした。

ついこの前まで同族の妖達に激怒していた自分はどこへ行った。いつのまにか黒霊も、それを受け入れて同じ〝臆病者〟へと成り下がろうとしていたのだ。

違う、自分は臆病者なんかじゃない。臆病でいてはいけないのだ。

――赫と銀の戦争を止めるために。

一族の皆に分からせてやるのだ。ありもしない昔の影に怯えて生きることがどれだけ滑稽であるかということを。

自分が〝異形〟であり、それを正しいと思っているのなら、周りのほうを染めてしまえばいい。皆が〝異形〟になればそれはもはや〝異形〟ではなくなる。

黒霊は樹の背後から飛び出し、緋里に語りかけた――

□■□

『戦を・・・止める?』

『ソウ。クロレ・銀森・行ク。緋里・一緒・行ク』

魂光(ひかり)を放つ黒霊に、彼の母は猛然と詰め寄った。

『何を・・・ふざけたことを!クロレ、あなた学者になるってあんなに頑張っていたのに――』

『諦メル・違ウ。シカシ、スベキコト・スル。・・・母』

黒霊は片言ながらも強い口調で言った。

『父・会ウ・シタイ。話・スル。緋里・一緒・来ル・セヨ』

その固い意志に気圧されて、緋里はただ頷くほかなかった。


『いいですか、この部屋から勝手に出ることは許しません。仕事が終わり次第ここへ来させますからそれまで待ちなさい』

「は、はい・・・」

『了解』

曖昧に返事をする緋里とは対照的に、黒霊は上下に大きく動いてみせた。

『もし約束を破るようなことがあれば、いくら恩人だとしても即刻追放します。クロレもただでは済まないと思いなさい』

黒霊の母が部屋から姿を消すのと同時に、緋里はその場にへたり込んだ。

「あー、びっくりした・・・・・・」

『何故』

もとの光にもどった黒霊がふわふわと浮かびながら尋ねる。あれほどの強い意志を持っているようにはとても見えなかった。

「いや・・・嫌われてるのは分かってたけど、まさかここまでとは思ってなかったっていうか・・・。ちゃんと言葉にされるのってすごく、痛いね」

手の甲を額につけて、壁にもたれる。自然と溜息が漏れた。

隠族は緋里が〝異形〟だから畏れているのではない、〝人間〟だから畏れているのだ、と分かった。だとすれば、自分と彼らとの溝は想像していたよりもずっと深い。

『隠族・人間・畏レル。理由・不明。クロレ・思ウ、理不尽』

「クロレ・・・」

『隠族・マタ・無責任。何故ナラ・戦、黙認』

黒霊がそれに憤っているのが伝わってきた。

「だから・・・クロレが自分で、戦を止めようと・・・?」

『ソウ』

緋里は壁から身を起こした。

「でも、どうしてわたしを?」

『・・・何故ナラ・勇気・クレタ。緋里・一緒・来ル・スレバ、頑張ル・可』

たどたどしく紡がれる言葉にじっと耳を傾ける。

黒霊の言葉は拙い分一字一句に集中して聞かなくてはならなかった。しかしそれほど脳を働かせなくても意味を理解できるのは、彼の言葉にそれだけの力があるからだ。

『一緒・来ル・欲シイ。緋里、戦・止メル・シタイ?』

戦を・・・終わらせる。

〝わかった・・・・・・俺も、ちゃんと帰るから・・・・・・だから待ってろ・・・約束だ〟

紅流の最期の姿を思い出す。

ずっと紅流の帰りを待つと決めて、そして彼は確かに家へと帰って来た。でも、本当の意味で紅流が帰ることが出来るのはいつだろう。紅流が帰る場所はあの家であり、緋里や朱音の元であり、そしてかつての日常なのだ。

「アカルは・・・戦を終わらせたいって思うかな・・・?」

『アカル?』

「わたしの・・・わたしを、育ててくれた妖。アカナさんの息子だよ。戦で・・・五年前に」

『既知。手紙・見ル・シタ。・・・亡クナル・シタ、不知』

黒霊はゆるゆると高度を落とす。

「アカルのことを考えたら・・・戦は止めるべきなんだろうって思う。こんなこといつまでも続けるべきじゃないっていうのも分かる」

背中に伝わるひんやりとした石の感触。それが頭さえも冷やしてくれるような錯覚を覚えた。

「でも・・・今わたしの家族はアカネさんで、アカルじゃなくて。だからアカネさんの方をどうしたって優先しちゃうから」

『・・・・・・緋里?』

「必ず帰るって、約束したの。だから、本当はすぐにでも帰りたいの。帰ってアカネさんを安心させてあげたいの」

黒霊が何か言いかけるのを遮って首を振る。

「・・・ううん違うね、アカネさんのためなんかじゃない。本当は全部私のためなんだ」

戦が始まったから緋里は彼女と出会うことが出来た。それがなかったらきっと、こんな関係が築かれることはなかった。

紅流も朱音も大好きで、それに変わりはないけれど。けれどやはり、今生きている朱音の方が緋里には大事だった。彼女を失ってしまったら、今度こそ自分には何も残らない。

「戦が終わったら・・・アカネさんが居なくなっちゃう気がするの。戦が始まる前の関係に、戻ってしまう気がするの。それが怖いからわたしはアカルを殺した戦を止めることが出来ない。止めたいと思えない」

今の暮らしはいいとは言えないけれど、でも命を落とすようなことはない。

「だからごめんね。わたしには、クロレみたいな勇気はないから」

『・・・緋里・臆病』

「・・・・・・そうだね」

詰る資格なんか、どこにもなかった。〝臆病者〟なのは自分の方だった。本当は黒霊よりもずっと。

『仕方・ナシ。クロレ、怖イ・思ウ。同ジ』

黒霊は緋里の目の前でその魂光(からだ)を揺らした。

『怖イ、皆・思ウ。シカシ、恐怖・破ル・意志、大事』

「・・・思ってるだけじゃ駄目なんだよ!それだけじゃ何も変わらない!」

黒霊の言うことは正しくて、でも綺麗事だった。緋里は勢いよく立ち上がる。

『・・・ソレ、答』

黒霊もそれに合わせて浮かび上がり、緋里と目線を合わせる。

『思ウ・スルコト、立チ向カウ・意志。ソレ、勇気』

勇気は、誰でも持っている。それを奮えるかどうかが重要なのだ。

「・・・でも、わたしは・・・・・・・」

『側・居ル・欲シイ。結果、クロレ・勇気・奮ウ・可』

再び黒霊が強い光を帯び始めた。

『父・説得・スル・間・ノミ。一緒・居ル・欲シイ』

視界を包む黒霊の白い光。自分が必要とされている、それに浸るのはとても心地よくて。

気がつくと緋里は、頷いていた。


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