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右眼の紅色  作者:
8/21

隠森へ

「・・・・・・・よし」

隠森は緋里の家の裏側に位置していた。緋里は懐の手紙を確かめて、森の中へ一歩踏み出す。

その瞬間景色が一変した。

「えっ、何・・・・・・?」

森の中はひどく暗かった。密集して生えた木々が陽光を遮っており、ほとんど光が射し込まないようだ。

蛍にも似た魂光(からだ)でありながら〝(くろ)〟を名乗るのはどうしてなのかとずっと思っていたけれど、その由来はこの森なのかもしれないと思いながら緋里はそのまま少し進み、辺りを見渡す。

「やっぱり誰も居ない・・・か」

何せ十五年もあの家に住んでいたのに、彼らを見かけたのはたったの数回である。こうして森の中に入ったからといってそう簡単に出くわすはずもなかった。

「でもちょっと小さいかも、ここ」

外から見ていただけでは分からなかったが、赫森の半分ほどしかないように感じる。まあ衰退しているというならそれほど数も居ないだろうし、そもそも肉体を持たない彼らに広い土地は無駄になるだけなのかも知れなかった。

「とにかく誰か探さないと・・・」

ようやく闇に慣れてきた目で、緋里は注意深く森を歩き始めた。


「はあ・・・はあ・・・・・・」

緋里は最早挫折寸前だった。子供の足をどこまで信用出来たものか分からないが、いつだったか灰巌(はいのいわお)に行ったときとは比べものにならない距離を歩いた気がする。いくら体力に自信があるとは言っても限度があるし、ここ五年食糧調達以外ほとんど外へ出ていなかった所為か完全に身体が鈍っていた。

「こんなに探してるのに一人も見つからないし・・・」

暗い中で光を探すのはそれほど難しいことではないはずだが、それでもずっと神経を尖らせているというのはひどく疲れる。それでいていつまでも目当ての物が見つからないのだから尚更だった。

緋里は近くの木の根に腰を下ろした。

「それとも、〝異形〟のわたしが居るのを分かってるから出てこないの・・・・・・?」

出会った数回全てにおいて、彼らは緋里を見つけるとすぐに逃げ出していった。隠族が人を畏れるのだということは紅流から聞いていたが、自分の身で実感してみるとそれはひどく寂しいことだった。

「ねえ、わたし何もしないよ?あなたたちに何か危ないことをするわけじゃない。だから、出て来てよ」

人間だから、〝異形〟だから畏れる。それはあまりにも安直すぎると思った。臆病にもほどがある。

緋里の呼びかけに応えるものは居なかった。もっとも本当に誰も居ない可能性もあったわけだが、緋里には確信があった。

「出ておいでよ。何も怖くない、大丈夫だから・・・・・・」

沈黙。

「わたしだって怖いよ。わたしにとってはあなたたちが〝異形〟だもん。でも、頑張って会いに来たよ・・・」

また、沈黙。

緋里は唇を噛みしめる。握った拳はぶるぶると震えて――

「・・・さっさと出て来いやおらあああああああああ!こんの臆病者共がああああああああああああああああああッ!」

――彼女の怒りを物語っていた。・・・朱音がこめかみを押さえる仕草が目に浮かぶようだ。

「さっきからうんともすんとも言わねえけど聞いてんのは分かってんだぞ!こちとら用があって来てんだ、びくびくしてねえで話を聞きやが・・・」

どうやら無理に矯正した所為で口の悪さに磨きがかかったようだった。緋里ははっと我に返る。

沈黙。

「うわ・・・やっちゃった・・・・・・・」

感情が高ぶると元に戻ってしまう口調は、朱音にもよく注意されていた。もう大丈夫だとばかり思っていたが、こんなところで出てしまうのでは逆に性質(たち)が悪い。隠族たちは完全に逃げただろう。

「これじゃ〝人間が怖い〟っていうのを何も変えられない・・・」

むしろより心証を悪くしただろう。〝異形〟だからと避けていた人間は、本当に恐ろしいものだったと。

とにかくまともに話のできる関係を築かなければ紅那のことを伝えられないのに、このままではとてもそんな状態には出来そうにない。完全にしくじった、と緋里は大きな溜息をついた。

『――用・ナニ』

突然頭の中で声がした。緋里はばっと身を起こし辺りを見回す。

「・・・・・あ」

目線を少し上げた先に、指先ほどの小さな光が浮かんでいた。

『用・ナニ?黒霊(クロレ)、話・聞ク』

黒霊というらしい妖は何やら片言でそう話す。〝用は何?わたしが聞きましょう〟と言っているようだった。

「わたしが・・・・・・怖く、ないの?」

『怖イ。シカシ、クロレ・臆病・違ウ』

どうやら臆病者と詰られたことに気分を害して出て来たらしい。それが出来るなら、確かに黒霊は臆病ではなかった。

一瞬間を置いてから、緋里は満面の笑みを顔に浮かべた。


「クロレさん、〝クロア〟っていう方を知りませんか?」

緋里がそう尋ねると、黒霊は間を置かずに言った。

『クロア・祖母』

「クロレさんのお祖母さんってことですか?」

『ソウ。クロア、今・不在。死ヌ・十年・前』

やはり黒亞は死んでいたようだった。十年前ということは、紅那が死んでから二十年の間、手紙を待っていたのだろうか。

『何故・クロア・探ス?』

黙り込むと、黒霊はいぶかしむ様に身体の周りを一回転した。緋里は本題に入ることにする。

「わたしがこの森に来たのは、そのクロアさんに渡したいものがあったからなんです」

黒霊はすっと動きを止めた。

「クロアさんはアカナさんの・・・赫族の妖の友達だったんです。手紙のやり取りをずっとしていたみたいで・・・」

『以前、父・母・言ウ。クロア、何カ・待ツ・イタ』

思ったとおり、黒亞は紅那からの返事をずっと待っていたのだ。

「アカナさんは三十年前に亡くなりました。ここにあるのは最期の手紙です」

緋里は懐から紅那の手紙を取り出した。

「受け取ってくれませんか?クロアさんの代わりに、あなたが」

そう言うと掌から僅かに手紙が浮き上がり、しかしまたもとに戻る。

『・・・読ム・イイ?』

黒霊は迷っているようだった。人の手紙を勝手に読むことにはやはり抵抗があるのだろう。しかしそれを読まない限り、紅那の最期の意志は黒亞に伝わらない。

「その方が、いいと思います。クロアさんはずっとこのときを待っていたんだから」

『・・・クロレ、理解。読ム』

再び浮かび上がったそれは宙で丁寧に封を切られ、中身が取り出される。三つに折りたたまれた便箋が開かれ、そのまま静止した。どうやら黒霊が目を通しているようだ。

今更のように紅流から聞いた話が本当だったということを認識する。まるで紙が意志を持っているかのようだった。もっとも、黒霊の意志で動かしているのだからそれはあながち間違いでもない。

しかしいつになっても便箋は微動だにしなかった。もうとっくに読み終えてもいい頃なのに、黒霊は一言も言葉を発さない。

「あの・・・クロレさん?」

『・・・手紙・受ケ取ル・スル。緋里、感謝・感謝』

我に返ったように黒霊はそう言い、その場でぐるぐると回った。その様子が妙に可愛く見えて、緋里はふと気になって尋ねる。

「そういえばクロレさんっておいくつなんですか?女の方・・・ですよね、多分」

『十五。尊敬語・不要』

そこで一度言葉を切って、黒霊はもう一度口を開いた。

『・・・・・・クロレ・男。女・違ウ』

片言ながらも憮然としているのが伝わってきて、慌てて頭を下げる。

「ご、ごめんなさい!――あれ、ていうか同い年?」

片言というのは本当に不便だと緋里は思った。声質で判断できなければ年齢も性別も分からない。

「隠族の妖ってみんな片言なんですか?わたしまた失礼なこと言っちゃいそう・・・」

『尊敬語・不要。・・・片言・クロレ・ノミ。何故ナラ・クロレ・意志伝達・・・未熟』

「良かった・・・。でもどうしてクロレさ・・・クロレだけ?」

不思議に思って尋ねると、黒霊は黙り込んだ。触れられたくないことなのかもしれない。

彼もまた、〝異形〟としての悩みを抱えているようだった。

『――緋里』

黒霊はすっと浮かび上がった。

『招待・スル。隠都(クロウド)・行ク』

導くようにゆっくりと飛んでいく。緋里は慌てて立ち上がった。

「ま、待ってクロレ!〝隠都〟ってなに?」

追いかける緋里に黒霊はそのまま語りかける。

『街。隠族・全て・〝隠都〟・住ム。隠森・住ム・者・ナシ』

「隠森には住んでない・・・って、ええッ!?わたしの苦労は一体・・・」

『無駄・違ウ。クロレ・呼ブ・サレタ。手紙・受ケ取ル・シタ』

そうだ、と緋里は思い出した。無事に目的を果たせたのは黒霊が勇気を出して出てきてくれたおかげなのだ。緋里は今更のように彼にお礼を言った。

「・・・ありがとう、クロレ。わたしを、怖がらずに出てきてくれて」

黒霊は動きを止めて、緋里の目線の高さまで下がってきた。

『臆病・不可。ナゼナラ、クロレ・ヤルベキ・コト・アル。シカシ・勇気・ナシ。緋里・勇気・クレタ。感謝・スル』

「クロレの、やるべきこと・・・?」

緋里が首を傾げると、黒霊は再びどこかへ進み出した。

『話ス。隠都・来ル・セヨ』


「――うっわ・・・・・・・・」

緋里はあまりの驚きにそう声を漏らした。

『ヨウコソ、緋里。ココ・隠都』

黒霊に案内されて辿り着いたそこは、〝地下都市〟だった。

光に満たされた空間のなかには白い建物が立ち並び、その向こうをたくさんの隠族たちが飛び交っている。隠森で彼らを見かけなかったわけがようやく分かった。地下に居たのなら見つけられるはずもない。

『隠族、光・浴ビル・不可。因ッテ・隠森・暗イ』

「え・・・そうだったんだ」

緋里は森の様子を思い返す。暗いところで光を見つけるのは容易だが、明るいところで光を見つけることは不可能だ。それと同様に、彼らもまた光と同化してしまうということなのかもしれなかった。

「でも、ここ・・・隠都は明るいよね?」

『隠都・持ツ・光、隠族・作ッタ。浴ビル・可能』

黒霊は誇らしげにぐるぐると回った。

「・・・衰退、だなんて・・・・・・してなかったんだ」

緋里は彼らの技術力に驚かずにはいられなかった。光を作り出すなんて赫族では到底思いつきそうもない発想であり、かつそれを可能にする力も持ち合わせてはいない。隠族は妖部族の中でも、一番技術の発達した一族だったのだ。

「ところで、なんでわたしをここに――」

『――クロレ!』

突然頭の中で、黒霊とは別の声が響いた。

『おまえは一体なんてことをしているのです!他部族の者を隠都に入れるなど・・・』

緋里の視界がやっと、飛んでくるひとつの光を捉えた。するとその妖が一瞬にして動きを止める。

『これは・・・・・・人間ッ!』

彼女は金切り声を上げた。

「え、ちょっと・・・・・・」

『近付かないで!また私たちを陥れるつもりね、そうなんでしょう!?』

「陥れるって・・・何の話――」

その光はめちゃくちゃに暴れまわり黒霊に詰め寄った。

『とぼけないで!・・・ああ、やっぱりクロレは〝異形〟なのだわ、こんな災厄を持ち込んで・・・』

『母、緋里・災厄・違ウ!手紙・受ケ取ル・シタ!』

黒霊は魂光(からだ)の光を強め、その妖に拙い言葉で叫ぶ。

『クロア・待ツ・イタ・手紙。緋里、ソレ・届ケル・シタ』

『お義母さんの、手紙・・・?』

黒霊の母らしい妖は動きを止めた。

「アカナさんの・・・赫族の妖からの、手紙です。わたしはそれを届けに来ただけです、信じてください」

『間違イ・ナシ。クロレ、読ム・シタ』

彼女はしばらくじっと何か考えている風だったが、やがてこう伝えてきた。

『・・・手紙の件は感謝します。しかし、このままあなたを隠都に入れるわけにはいきません』

緋里は頷いて後ろを向いた。

「わかりました、すぐに出て――」

『緋里、出ル・不可』

黒霊が緋里の目の前へと移動する。

『クロレ、用・アル。ダカラ・呼ブ・シタ』

『何を言っているんですクロレ!』

黒霊はまた強い光を放った。思わず目を細める緋里に、彼はこう言った。

『頼ミ・アル。クロレ、戦・止メル・シタイ。手伝ウ・欲シイ』

「え・・・・・・・・・?」

緋里は朱い眼を見開いた。


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