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右眼の紅色  作者:
19/21

紅流

生まれたときから、何故か右眼が悪かった。

身体の調子や天候で視え具合が変わる気まぐれな右眼は、紅流にとって鬱陶しいものでしかなかった。


二十歳になったばかりのころだっただろうか。たまたまよく視える日が続いていて、もしかしたらやっと弱視が治ったのかもしれないという期待が生まれていた。朱音にも教えてやりたくて、幼い紅流は木の上を駆け回った。

「見ろよアカネ!ちゃんと登れてるだろー?」

「本当だ、やったじゃないかアカル!」

朱音が木の下から笑って見上げてくるのに得意になって、もっと見せてやろうと思った瞬間、視界が歪んだ。周りの景色全てが二重にずれていく。まずい、この感覚はいつもの・・・と気付いたときにはもう遅い。

紅流は足を踏み外し、その下には運悪く――朱音が居た。


朱音の命に別状はなく、大した怪我ではないと言われたが、紅流は自分を責めずにはいられなかった。

「くそッ!何でアカネが・・・!」

樹の幹に拳を叩きつける。手の皮が擦り剥けるのを感じたが、彼女の感じた痛みはこんなものではなかったはずだ。

「今度こそ・・・視えるようになったと思ったのに・・・」

期待しては裏切られて、その連続で。終いには朱音まで傷付けた。

中途半端に視力が残っているから、期待を捨てきれないのだ。それならいっそ、こんな右眼は。

紅流は落ちていた木の枝を拾って真っ二つに折ると、尖ったその断面で縦に右眼を抉った。

「こんな右眼、要らねえ・・・!」

失われた右眼から血を流し、紅流は満足げに倒れこんだ。


紅流の右眼には、縦に深い傷跡が刻まれた。

怪我の治った朱音が以前と変わらず接してくることには面食らったが、表向きはかつての日常を取り戻しつつあった。

「いい天気だね、アカル」

「・・・ああ」

彼女が決まって紅流の右側を歩くようになったのには気付いていた。その度にちくりと胸が痛んで、罪悪感が心を浸していくような感覚を覚える。

朱音はこんなに歩調が遅かっただろうか、最近木に登らなくなったんじゃないか、無理をして笑ってはいないだろうかと考えれば考えるほど、自分が朱音に怪我をさせたことに罪悪感を持っているのと同じように、彼女もまた紅流の右眼が失われたことに引け目を感じているのではないかと思えてならなかった。

紅流は足を止める。

「・・・なあ、アカネ」

「ん?」

「・・・何か、気ィ遣ってねえか?」

朱音は朱い眼をこちらに向ける。

「何言ってんだいあんた。そんなよそよそしい仲でもないだろう?」

彼女はそう言って笑ったが、紅流は笑えなかった。

「ああ、俺はそんなよそよそしい関係にはなりたくねえんだ」

朱音は怪訝そうな顔をした。

「あたしたちは何も変わらないじゃないか」

「違う」

紅流にずいっと迫ると、朱音はその顔を覗き込む。

「・・・何が違うっていうんだい?何も気にすることはないだろう」

「気にしてんのは、お前の方だろ!」

紅流は朱音の肩を掴むと、近くの幹に追いやった。

「俺の右眼のことをそんな風に・・・憐れむんじゃねえよ!」

当たっているだけだ、と気付いた。思い通りにならない自分の身体に苛立っているだけだ、自分は。

朱音は戸惑う様子もなく溜息をつくと、紅流の頬へ手を添えた。

「悪かったよ。そんな風に思っていたなんて知らなかった」

「・・・謝んなよ。お前が悪いんじゃない」

心底情けなくなって目を逸らすと、朱音の指が瞼へ伸びた。

「頼むから、気を遣わせてくれよ。あたしは、ただ」

親指が右眼の傷跡をなぞる感触がする。

「・・・あんたの右眼に、なりたいだけなんだ」

朱音はそう言って微笑んだ。


彼女を意識し始めたのはいつからか、と問われれば、決定打となったのは間違いなくあの瞬間だった。紅流の中でそれほどに大きな一言であり、あれがなければきっとこうして生きてこられなかったとそう思っている。


年月を経て紅流の中で朱音の存在がますます大きくなっていく一方で、彼女は見違えるほど綺麗になっていき、男受けのする大人の女へと成長していった。一族に女が少なかったことが災いして、一番上玉の朱音は当然のように奪い合いになった。

それでいて全く昔と変わらない朱音の態度に紅流は戸惑うばかりで、幼馴染という一番近い位置にいながら、いや近いからこそ、紅流は彼女と一定の距離を保つようになった。

〝あんたの右眼に、なりたいだけなんだ〟

きっと結婚してくれと言ったなら、朱音は頷くのだろう。それは彼女の優しさにつけ込むようで嫌だった、というのは建前で、結局は紅流に意気地がないだけなのかもしれなかった。


来るのが遅いので気になって家の前に出てみると、ちょうど朱音がやってくるところだった。表情からまた男に絡まれたのだと分かり、半ば強引に家へ連れ込む。

必死に隠してはいたが、紅流はざわつく胸を抑えきれなかった。

朱音に意中の男が居ないのは幸いだったが、かといって真面目な彼女は遊びで男と付き合えるような女でもなかった。相手の想いがどうであれ告白されれば丁寧に返事をしたし、上手くあしらえずに紅流を頼ってくることもあったが、結局誰一人彼女の心を捕えた者はいなかった。

「で、明日はどうするんだい、アカル?」

〝高嶺の花〟と囁かれつつも、今でも彼女に言い寄る者は後を絶たない。紅流は胃の痛くなる思いがしたが、それをおくびにも出さずに答える。

「いつもと同じでいいだろ。日が暮れたらここへ来てくれ」

「・・・わかった」

明日は紅那の命日だった。毎年この日になると朱音がこの家にやってきて、ふたりで一夜を過ごす。

朱音を見送った後、壁に凭れて紅流は溜息をついた。

何が起こるというわけでもなかった。何かしたいとは思ってもただ紅那の思い出話で夜が明けて、結局何も出来ないまま終わる。明日もきっと同じになるのは見えていた。

もう一度深く溜息をつくと、紅流は軽く首を鳴らしながら森へと出て行った。


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