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右眼の紅色  作者:
10/21

決意と再会

『出なさい』

黒霊の母からそう声が掛かったのは、それからどれほど経ったころだったろうか。

太陽のないこの地下都市で、時間の流れを把握するのはとても難しいことだった。

『父』

呼びかける黒霊の先に居たのは、彼と全く同じに見える小さな光だった。

『君は外しなさい』

『えっ、でも・・・』

『いいから』

渋る黒霊の母を宥めて、黒霊の父は彼女を部屋の外へ追いやった。

『――さて』

黒霊の父は緋里の視線の先で静止する。

『緋里さん、といったかな?まずお礼を言っておこう。手紙を届けてくれて、ありがとう。母もきっと感謝していると思うよ』

「い、いえ」

黒霊に少し似た声だった。片言でないためかより穏やかに聞こえる。想像していたのとは違って緋里は少しほっとした。

『・・・いいかい、読んでも?』

「ええ、是非」

『コレ』

黒霊が手紙を父の元へ飛ばす。彼の前で便箋が開かれ、静止した。

覚えのある、長い沈黙。やがて便箋が丁寧に畳まれた。

『・・・本当にありがとう。よく、届けてくれた』

黒霊といい、彼の父といい、一体紅那の手紙には何が書かれているのだろう?手紙の相手である黒亞ではなく、その子孫が読んでここまで感ずるところがあるものなのか。

しかし緋里には、その手紙を読む権利はなかった。紅流と、そして紅那と家族でない緋里には。

『それで、クロレ。用件はこれだけではないんだったね』

手紙を机の上にそっと置いて、黒霊の父はそう切り出した。

心なしか黒霊の気配が強張る。穏やかながらも厳格さを感じさせる口調に緋里も思わず姿勢を正した。

『父。・・・銀森・行ク・シタイ』

『・・・なぜ?』

『クロレ、戦・止メル・シタイ』

おそらく黒霊の母から聞いてはいたであろうその用件に、彼は黙り込んだ。

『・・・クロレ。この手紙は、読んだかい?』

うなずくように上下に動く黒霊に、黒霊の父は話を続ける。

『なら、私がどう返事をするかも分かるね?』

『・・・・・・』

一人話を呑み込めないでいる緋里は、所在無く黒霊の方を見やった。

『・・・父』

『私には、君を無事に育て上げる義務がある。そして、それは母の願いでもあると今分かった。あの厳しい母が、こんなにも私たちを想ってくれていたのだということがね』

「・・・あの、アカナさんの手紙ですよね?どうして、クロアさんの・・・・・・」

堪えきれずに緋里はそう尋ねた。

『君はアカナさんのお孫さん、だったかな。読みたまえ。君にもその権利はある』

黒霊の父はそう言うと手紙を緋里の眼前へついっと飛ばした。緋里は慌てて首を振る。

「い、いえわたしは孫じゃなくて・・・。そもそもわたし、人間ですよ?」

『まあ妻が随分と騒いでいたようだが・・・。だが、君からは僅かだが妖の気配を感じる』

「え?」

『その頬の筋が何よりの証拠だろう。君には確かに、赫族の血が流れているよ』

ひゅう、と喉の奥から声にならない声が漏れた。

『大方、アカナさんの息子が人間と交わったが故に君が生まれたのではないかと思うが。だとすれば、君はアカナさんの孫に違いあるまい』

視界の中の黒霊とその父が景色の中に溶けていき、その景色さえも暗転する。

「わたしが・・・アカルの娘・・・・・・?でも、そんなはずは」

〝俺はお前の親父じゃねえ〟

暗転した景色の中でそう諭す紅流の顔は、あのときどんなだっただろう。嘘を吐いているような顔をしていた?

何度も言われ続けた台詞は嘘で。紅流は自分の父親で。

・・・本当にそうであったら、どれだけいいだろう。

「・・・多分、違うと思います」

下唇を噛んで、緋里は朱い眼を伏せた。

「アカルはずっと、わたしの父親は別にいると言っていました。アカルがそんな、わたしを傷つけるだけの嘘を吐くとは思えません。他人を傷つけるための嘘だけは、吐かない(ひと)でしたから」

紅流の嘘はいつだって誰かを守るための嘘で。それは十年間側にいたからよく分かっている。

『・・・そうか。だが、君が彼の側で過ごした年月は変わらない。君たちは家族同然だ。読んでもいいんだよ、君は』

「・・・・・・・・ッ」

胸がつまりそうになるのはどうしてだろう。

それは許しであった。紅流と家族になってもいいのだという、彼からは一生もらうことのできなかった許しを緋里は受けたのだ。何の関わりもない黒霊の父から。

それでも、こんなにも嬉しいと感じてしまうのはどうしてなのだろう。

緋里は震える手で便箋を受け取ると、それをそっと開いた。


『この手紙が無事に届く頃、あんたはまだ元気でいるんだろうか。お互いもうそれなりの年齢だし、どちらが先に逝ってしまってもおかしくはねえだろうさ。覚悟はしてる。無事でいることを祈って手紙を書くよ。


紅流がもう四十になるよ。まだまだ頼りねえけど、ようやく一人前ってところかね。あのバカ息子がこれだけ立派に育ったんだと思うと、誇らしい反面寂しくもあらぁな。

黒亞のとこのは今三十くらいだったか?もうすぐ孫も生まれるって聞いて嬉しかったぜ。あたしはもう拝めそうもないからねえ・・・。まあ、紅流を産んだのが遅かったから仕方ねえけどな。けど後悔はしてねえよ、あいつを産んだこと。黒亞もそうだろ?大事な息子だもんな、後悔なんてするわけねえ。きっとお前のことだから息子と同じように、孫のことも絶対甘やかしたりしねえんだろうけどな。

ま、ババアってのは素直に出来ちゃいねえのよ。あたしらは正にその典型ってわけさ。ま、あたしはあんたほどにはひどくねえと自認してるつもりなんだけどな。あんたから見たら大して変わんねえのかもしんねえけど。


ああ、今日はお日様があったけえな。隠族のあんたには太陽の光なんて厄介なものでしかねえんだろうが。

あったかいと気持ちよくなってつい眠くなっちまう。そろそろ終わりにするよ。

どうかこの手紙が、無事にあんたの元へ届きますように』


豪気な言葉とは裏腹にその文字は弱々しく、死の間際にあった紅那の姿を想像できるようだった。

そして厳しい母であり、祖母であったらしい黒亞の不器用な一面も垣間見えた。これは紅那が書いた手紙だけれど、確かに黒亞の想いも籠められている。ちゃんと血で繋がった家族の絆が、籠められている。

自分と紅流との関係とは、やはり絶対的に違うのだ。

「・・・やっぱり、行っちゃだめだよクロレ」

『緋里?』

「クロアさんはこんなにクロレのこと思ってたんだもん、多分クロレが危険な目に遭うことなんて望んでない。傷ついたりしたらきっと悲しいよ、お父さんと同じように」

クロレの父がああ、と相槌を打った。

『それが私の想いであり、母の想いだ。お前が居なくなってしまったら、私には何も残らない』

黒霊は何も言わない。

「戦争は・・・いつか、止めなくちゃいけないんだろうけど。でもそれをクロレがやる必要はないんじゃないかな」

そう言った瞬間、黒霊は一瞬にしてその目映い光を放った。

『止メル・スル・者・ナシ!クロレ・ノミ!』

緋里は思わず目を瞑った。先程までとは比べ物にならない。本当に目も開けていられないほどの強い光だった。

『クロレ、そんなことはない!我々を信じろ!』

『信ジル・シタ!シカシ、止メル・スル・者・ナシ!』

部屋中を満たす真っ白な光の中で、緋里は懸命に朱い眼を開いた。

それは強い憤りであり、絶望であった。隠族の妖が行動を起こすとはとても考えられないのだ、今までの彼らを思えば。

だが黒霊ならばそれが出来る。いや、そう信じたいのだ。不甲斐ない一族の妖たちと同類であると思いたくないのだ。

例え臆病者であったとしても、勇気を奮いたいと願う気持ちがあるのとないのとでは全く違う。臆病者のままでいたくないと思う気持ちが、黒霊を突き動かしているのだ。

「・・・クロレ」

流されていてはいけない。臆病者であってはいけない。

〝お願い。・・・この手紙を、届けさせてください〟

あのときの勇気を、忘れてはいけないのだ。

「――わたしも、行くよ」

『君!』

「臆病者でいたくないんだ。わたしやクロレは確かに異形かもしれないけれど、でも異形にしか出来ないことがある」

『異形・ノミ・・・?』

「〝第三者〟になることだよ」

落ち着きを取り戻して元の光へと戻っていく黒霊を横目で見ながら、緋里は続ける。

「どちらの側でもない全く別の存在になれるんだよ。わたしやクロレが間に入ることで、部族同士の境界は曖昧になる」

『そんなものが何の意味を持つというんだい?君たちがただ新たな一族として生まれるだけのことじゃないか』

「いいえ、わたしは赫族だし、クロレは隠族です。それに変わりはないけれど、戦争をする意志はない、つまり」

『赫族でありながら戦を止めようとする者、隠族でありながら戦を黙認しない者の存在を知らしめるということか』

「ええ。戦を止めるまではいかなくても、戸惑いを生むことは出来る。自分が今戦っている相手も、もしかしたら交戦の意思を持たないのかもしれないという一瞬の逡巡が生まれるんです」

その一瞬だけで充分だ。戦をしている事実に疑問を持たせることが出来ればそれでいい。

『父』

改めて、黒霊が語りかけた。

『・・・確かにそういうやり方であれば危険も少ないだろう。だが絶対じゃない』

『父!』

『最後まで聞きなさい。反対は、しない。認めよう。だが君たちに危険を及ぼすことは出来るだけ避けたい』

黒霊の父はそう言うと、戸棚から一枚の紙を引っ張り出した。

『大昔のことだが、隠と銀に深い親交があったことは知っているかい?』

「親交、ですか?」

黒霊は頷く。

『シカシ・七百年前、隠族・交流・絶ツ・シタ』

『ああ、その通りだ。理由は我々にも伝わっていない。それ故に本当に親交があったのかどうかさえ定かではないとされている。形の上ではね』

黒霊の父はその紙を机の上に広げた。

『だが、証拠はこうしてここにある』

「これは・・・・?」

『隠森と銀森を繋ぐ地下通路の地図だ。私たちの家系に代々受け継がれていてね、クロレ、お前にもいずれ話すつもりだった』

横道のないほぼ一直線のそれは、森の行き来以外の用途がないことをはっきりと示していた。それだけのために作られたのだろう。

『こちら側の入口は隠森にまだ残っている。潰す理由も無いことだし、向こう側にもおそらく残っているだろう』

「つまり・・・ここを通れば安全に銀森まで行けると?」

黒霊の父は大きく頷いた。

『父・・・』

『入口までは私が案内しよう。・・・構わないね?』

二人で驚いて振り返った先に居たのは黒霊の母だった。

『母!』

『・・・好きにしてください。全く、あなたといいクロレといい・・・』

黒霊の母はぶつくさ言いながら奥へ引っ込んでしまった。黒霊の父は苦笑する。

『除け者にされたんでむくれているのさ。元々、この件に関して反対はしていなかったんだ』

「え?でもあんなに・・・」

『そりゃあ最初はね。でも、初めてクロレがはっきりと主張したことだから、認めてやりたかったんだろう』

黒霊の母も他の妖と全く変わらない、息子の想いを遂げさせてやりたいと願う母の心がある。

その気持ちに初めて触れて、そして思い出したのは朱音のことだった。

「あ、わたし・・・アカネさんにこのこと伝えなくちゃ・・・・・・」

『君の家族かい?いくら道のりが安全とはいえやはり命の危険はある。一度戻ったほうがいい』

『クロレ・待ツ・イル』

黒霊は手を振るように左右に揺れた。緋里がしていたのを真似ているのだろう。

「・・・ありがとう、クロレ。じゃあ、行ってくる」

緋里は黒霊の父に一礼すると、隠都の入口へと急いだ。


それは偶然で。そして必然で。

ある小さな要因が積み重なって起こった偶然はある意味必然と呼べるものであって、しかしお互いに意図していないその出会いは偶然と呼んで差支えないものかも知れなかった。

しかしそんなことには関係なく、二人は出会う。

『――〝あかり〟、なのか・・・・・・?』

あの日の答を見つけるために。


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