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お姉様とお呼びなさい

作者: 弍口 いく
掲載日:2026/06/28

 数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。

「マリーディア叔母様、待ってください!」

「なんで付いて来るのよ」

「一緒にお散歩しようと思って」

「私は一人がいいのよ」


 私は冷たく言い放って、一人で庭園迷宮の奥へと進んだ。

 庭師自慢の迷宮は、私の身長でも向こう側が見えない、まだ八歳のアイーネは慣れていないから迷ってしまうでしょう。

 ふんっ、付いて来れるものですか。


 私はフレン侯爵家のマリーディア、十八歳の王立学園三年生だ。銀糸のような髪に薄い青灰色の瞳、表情が乏しい私が陰で氷の人形と言われていることは知っている。侯爵令嬢に面と向かって言う人はいないけれどね。


 私に付き纏おうとしているアイーネは姪に当たる少女だ。確かに彼女にとって私は叔母だ、でもまだ十八よ、叔母様なんて言われるのは嫌だわ。

 アイーネは輝く太陽のような金髪に晴れた空のように青い瞳、まだ八歳になったばかりだからお肌もツルツル艶々でピンクの頬が可愛らしい、クルクルとよく笑う感情豊かな、私とは正反対の少女だ。子供だから? 違うわね、私が八歳の時はもう表情筋が死んでいたもの。


 彼女は三カ月前にこの邸に来たばかりだ。それまでは辺境の町で平民として暮らしていたが、両親が流行り病で相次いで亡くなったために引き取られたのだ。


 彼女の父は私の兄オーディンだ。彼女は私から最愛の兄を奪ったあのクソ女にそっくりだ。




 私には年の離れた兄が二人いた。十歳年上の長兄のオーディンと九歳年上の次兄のルーディン、年子で男児が生まれ、跡継ぎが出来たからもういいだろうと両親はその後、子供を作るつもりはなかったらしい。でも、私が生まれてしまった。


 私はいらない子だった。だからずっと両親に放置された。世話は乳母や侍女がしてくれるので、侯爵令嬢として不自由はなかったが、両親の愛情は二人の兄で手一杯、私のところには零れてこなかった。


 そんな私をオーディン兄様はいつも気にかけてくれた。優しい兄様が好きだった。ずっと傍にいたかった。実の兄妹じゃなければお嫁さんになりたかった。

 でも兄様が選んだのは王立学園で出会った同級生だった。平民ながら優秀な成績で生徒会執行委員にも選ばれたのがきっかけで、同じく生徒会にいた兄様と親しくなったらしい。


 学生時代はともかく、侯爵令息と平民の恋など実るはずはない。彼女を侯爵夫人として迎えることは出来ないと両親に反対された。それでも兄様は彼女との愛を選んだ。二人は駆け落ちした、それが十年前だった。


 期待していた長男に裏切られてショックを受けた両親だが、その愛情は次男のルーディン兄様に集中した。オーディン兄様がいなくなって私は益々影が薄くなり、邸では透明人間だった。


 ショック受けたのは両親だけではない、私が一番傷付いたと思う。兄様に見捨てられたのだ。当時私は八歳、その時に私の心と表情筋が死んだ。




 事態が急転したのは二年前、ルーディン兄様が不慮の事故で亡くなったからだ。長男は駆け落ちして行方不明、次男は急死、まだ結婚していなかったので子供はいない。フレン侯爵家の跡継ぎがいなくなったと大騒ぎした時、私の存在が思い出された。


 今まで見向きもされなかった私は、突然脚光を浴びることになった。貴族は血を重んじる、今となってはフレン侯爵家の血を引く直系の跡継ぎは私だけだ。両親は私に目を向けざるを得なくなったわけだ。婚約者も遠縁に当たるアーミッド伯爵家の三男ナルヴィに決まり、王立学園を卒業したらすぐに結婚して、ナルヴィと共に侯爵領地の運営や事業を手伝うことになっていた。


 しかし、卒業まであと半年、というここにきて事態はまた急変しようとしていた。

 それがアイーネの存在だ。


 母はずっと捜していたオーディン兄様の行方を突き止めたが、その時は既に流行り病で夫婦共に亡くなっていた。しかし、忘れ形見であるアイーネを孤児院で見つけた。彼女もフレン侯爵家の血を引いている。



   *   *   *



「こんな所に居たのか、捜したよ」

 人工池のほとりのベンチでぼんやりしている私をナルヴィが見つけて横に座った。ナルヴィは癖のある明るい茶髪に榛色の瞳のちょっと軽そうに見えるが、根は真面目で、学園での成績もよく上級文官の試験に合格している。


 もともと継ぐ爵位がない三男なので将来を考えて勉学に励んでいたと言う。急遽決まった婿入りは彼にとって幸運だったと言えるのかもしれない。


 彼とは六歳の時の夏に一度会っている。オーディン兄様は王立学園に入学していたけど、まだクソ女と出会っていない時だった。私たち兄妹は侯爵領の別荘で過ごしていた。そこへアーミッド伯爵一家も招待されていた。


 アーミッド家は三人兄弟で、私たち六人は一緒に遊んだ。と言っても男の子ばかりの中で私は足手纏いでしかない。同い年のナルヴィが私を押し付けられて、四人はさっさと森へ探検に行ってしまった。ナルヴィもきっと兄たちと行きたかっただろうが、仕方なく私の相手をしてくれた。


 そんなナルヴィを気の毒に思いながらも私は嬉しかった。ナルヴィと過ごした夏は、私にとっては数少ない楽しい思い出だったから。


「アイーネを撒いて来たのよ」

 庭園迷宮を抜けなければここへは辿り着けないのでアイーネは来れない。

「まさか迷路の中に置き去りにしたのか?」

「付いて来るなと言ったから、戻ったんじゃない?」


「もう少し優しくしてやってもいいんじゃないか? まだ子供なんだし」

「八歳よ、私が八歳の時は自分の立場も周囲の状況も把握していたわ、彼女もわかるはずよ、私に嫌われている理由もね」


 ナルヴィは私が心を閉ざした訳を知っている。彼はそんな私を受け入れてくれて、この二年、ゆっくり距離を縮めてくれた。昔のように笑ってほしい、結婚するなら和やかな家庭を築きたいと思っているようだ。でも、十年間も死んでいる表情筋はそう簡単に動かない。


「あの子のせいじゃないだろ」

「そっくりなのよ、あのクソ女に」

「おいおい、淑女の言葉じゃないな」


 私の辛辣な言葉をいつも冗談っぽく流して、私の凍り付いた心を溶かそうとしてくれるのがわかる。でも、もうそんな努力はしなくていいかも知れない。


「あの子はフレン侯爵家の血を引いているの。兄が二人とも亡くなったから仕方なく血筋を絶やさないために私が跡取りになったけど、愛するオーディン兄様に子供がいたなら、その子を跡取りにしようと両親が考えてもおかしくないわ。現にアイーネは愛されている。十八年この家にいた私より、たった三カ月しかいないアイーネを母は優先して可愛がっているわ」


 アイーネが邸に来て以来、母は彼女にベッタリだった。兄によく似ていると――私から見ればクソ女に似ているだが、母には兄似に見えるようだ――それこそ目の中に入れても痛くないほど可愛がっている。


「きっとアイーネを後継者に替えるでしょう。婚約者も挿げ替えられるわ。あなたはアイーネの婚約者になるんだわ」

「バカな、あの子はまだ八才だぞ」

「八歳と十八歳、十歳の年の差は政略結婚では珍しくないわ」


 そうなっても仕方ないと諦めていた。ナルヴィだってきっと婿養子に入れるのなら相手はどちらでも構わないはずだ。

 所詮私は可愛げのない誰からも愛されない人間だもの。



   *   *   *



「アイーネは迷路の中で迷子になって泣いていたのよ! 置き去りにするなんて酷いじゃないの」

 ナルヴィと共に戻ると、玄関ホールでいきなり母に怒鳴られた。


「知らない、私が連れて入ったんじゃないわ」

「あなたを追って行ったのよ」

「それはあの子の勝手でしょ」

「なんて冷たいの、可哀そうにアイーネは泣きつかれて寝てしまったのよ」


 さっさと自室に戻りたかったが、母は簡単には済ませない。

「アイーネは感情豊かな子なのに、あなたは相変わらず無表情でなにを考えているかわからない不気味な子だわ。なんでこんな娘になってしまったのかしらね」


「おば様、そんな言い方は」

 ナルヴィは私を庇おうとしてくれたが被せるように母は続けた。

「あなただって、こんな不愛想な子は嫌でしょ。この際、婚約者をアイーネに替えたらどうかしらね、アーミッド伯爵に相談しようと考えているのよ。アイーネの方が可愛いし、まだ幼いけれどアイーネが十八になった時、あなたは二十八、若く美しい妻を迎えられるのよ、悪い話じゃないと思うのだけど」


 予想した通りだった。アイーネが来てから母は私に難癖をつけて攻撃してくることが多くなった。放置されていた頃の方がまだマシだ。


「なぜいきなりそんな話になるんですか、俺はマリーディアとの婚約を解消するつもりはありませんよ」

「マリーディアが跡継ぎではなくなっても?」

「もちろんです」


 キッパリ肯定したナルヴィの言葉は意外だったが、婿入りは無くなっても婚約を続けると言ってくれたこと嬉しかった。


「あなたは三男、継ぐ爵位はないのよ、婿入りしなきゃ平民になるのよ」

「もともと文官を目指していたんです。上級文官として王宮勤めができれば生活には困らないし、マリーディアに不自由させることはありません」


「でも残念ね、マリーディアと結婚させるわけにはいきません。この子は侯爵家を継がなくても侯爵家の利になる結婚をしてもらうわ、ただの文官などとなんの価値もありませんから嫁がせませんよ」


「なんですって!」

 ナルヴィは拳を握り締めた。母に殴りかかるんじゃないかと怖かった。


 そして今、オーディン兄様が駆け落ちした理由が少しわかったような気がした。この人にとっては家の利益が一番なのだ。きっとオーディン兄様にも同じように言ったのだろう。なんの後ろ盾もない平民の嫁では価値がないと。


 オーディン兄様が選んだ愛する人と結ばれて幸せになることを考えるなら、平民のクソ女を寄り子貴族の養女にしてもらってから迎え入れる方法もあっただろう。彼女は優秀だと聞いていたし、侯爵夫人になる努力も惜しまなかっただろう。


 でもそうはせずに平民女を拒絶した。だから兄様は駆け落ちするしかなかったんだわ。


 ナルヴィは私を連れて逃げてくれる? いいえ、そこまではしてくれない……。

 その時、ナルヴィが私の手をしっかり握ってくれた。

 私の心臓がドクンと跳ねた。握られた彼の手は大きくて温かかった。


「あなたはそうやってオーディン様も追い詰めたのですね」

「なにを言うの! 今、オーディンのことは関係ないでしょ」


「オーディン様ってお父様のことですよね、お父様をどうなさったと?」

 その時、アイーネが現れた。声が大きくなっていたので聞こえたのか、起きてきたようだ。


「アイーネ、もう起きたの?」

 母は表情を和らげてアイーネの元へ寄り添った。

「違うのよ、今、あなたを庭園迷宮に置き去りにしたマリーディアを叱っていたところなのよ」


「えーっ! マリーディア叔母様は悪くないです。言いましたよね、マリーディア叔母様のせいじゃない、私が勝手について行って勝手に迷子になったんだって」

「でも、叔母のマリーディアが幼いあなたの面倒を見るのは当然のことでしょ、本当にこの子は気が利かないし、優しさというものがないのよ。いつも反抗的でニコリともしない無表情で可愛げが無い、アイーネとは大違いね」


 なぜ私がアイーネの面倒を見なければならないの? それにこの年で叔母様と言われるのは嫌なのに、母はわざとそう呼ばせている。


「それは愛情が足りていないからですわ」

「えっ?」

「私はお父様とお母様からいっぱい愛されて育ちました。マリーディア叔母様はそうではなかったのですね。だから、幸せじゃないから表せる感情がないのです」

「あなた、なにを言っているの?」


 母が驚くのも無理はない、八歳の少女とは思えない大人びた発言だ。アイーネは無邪気な顔で、でも凛とした声でハッキリと言った。


「子供は愛された分、よく笑う可愛い子になるんだとお父様とお母様が言っていました。だからアイーネが可愛くなるようにいっぱい愛してあげるよって。もうお父様とお母様はお星さまになってしまいまたけど、それまでいっぱい愛されました。マリーディア叔母様のことはお父様から聞いたことがあるのです、愛されない可哀そうな子だったって」


 なによ、ソレ! そんな話を幼い娘にする? 兄様はそんなに私を憐れんでいたの? そんなのあまりに惨めじゃないの。


 …………違う。

 兄様は私を忘れていなかった、ずっと気にかけてくれていたんだわ。

 目頭が熱くなった。

 兄様の優しい笑顔が思い出された。


「それから、お父様とお母様が侯爵家を出たのは、平民の血を入れる訳にいかないと言われたからだと聞いていました。だから私はこの家の後継ぎにはなれませんよね」


「あなた、どこから話を聞いていたの?」

「最初からです、マリーディア叔母様が戻られるのを、耳を澄ませて待っていましたから」

「なぜ?」

「付き纏って申し訳なかったと謝りたかったからです」


 胸がチクリとした。彼女を置き去りにしたことには違いないのだ、それを責めることもしない優しい子だ。そして大人の話が理解できる聡明な子だ。


「平民の血が半分入っている私が、由緒ある侯爵家を継ぐことは出来ませんよね」

「それを言うならマリーディアだって!」

 アイーネの言葉に母は思わず言い放った。


「えっ?」

 母は青ざめながら慌てて口元を押さえた。しかし口走ってしまったことは取り消せない。私はハッキリ聞いたのだ。


「どう言う意味です、お母様。私にも平民に血が流れているとおっしゃるの?」

 私は侯爵夫妻の実子のはずだ。でも平民の血が混じっていると言うなら……。


 母はフッと息を一つ吐いてから、重そうに口を開いた。

「そうよ、あなたは私の子じゃないわ、夫が平民のメイドと浮気してできた不義の子供なのよ」


 衝撃の告白だった。

 なぜ、今になってそんなことを暴露するのかわからないが、口を滑らせてしまったから後には引けなかったのだろう。


 ああ、そう言うことか……。

 だから母は私を憎んでいたのね。


「なぜ今になってそんなことを……。なぜ庶子を実子のように扱ってきたんです?」

 ナルヴィの言葉には誤りがある、思い起こせば実子のように扱われてはいなかった。いつも私は除者だったのだ。その訳が今、やっとわかった。


「私たち夫婦は世間ではおしどり夫婦で通っているわ。政略結婚で愛のない夫婦が多い中、私たちは周囲もうらやむ愛し合っている夫婦だった……はずだったわ。夫の浮気が発覚するまではね。こともあろうに平民のメイドに手を付けて身籠らせるなんてどれほど屈辱だったか。だから隠したのよ、夫の浮気はなかった、子供は私が産んだことにしたのよ」


 公爵家から嫁に来た母、プライドが高い元公爵令嬢の母、夫に愛され大切にされているはずの母が、平民のメイドに夫を寝取られたなんて屈辱だ、誰にも知られたくはなかったのだろう。


「出産後、メイドにはお金を渡しで出て行ってもらったわ、あなたの母親は大金を手にして、喜んで出て行ったわよ」


 ああ、きっともう生きてはいないだろう。この母が追い出すだけで許すはずないもの、どこかで消されているのだわ。

 じゃあ、母にとって憎いはずの私はなぜ生かされているの? 幼児を人知れず始末するなんて簡単なことなのに、そうしなかったのは私に情けをかけてくれたからなの? 私を見るたびに夫の裏切りを思い出して辛いはずなのに、それでも生かしておいてくれたのね。


 生かされていても辛いことばかりだった。でも、ほんの少し楽しいこともあった。オーディン兄様に可愛がってもらったこと、そしてナルヴィと過ごしたあの夏のこと……。


「こんなところでなにを騒いでいるのだ?」

 もうそんな時間になっていたのか、帰宅した父が私たちを見て呑気に小首を傾げた。


 たった今、あなたの不貞が暴かれたところなのよ。

 この家の歪の元凶はこの人の良さそうな顔をしたフレン侯爵、私の父だ。



   *   *   *



 私は母…いえフレン侯爵夫人の娘ではなかった。半分平民の血が入っている庶子であると知った今、由緒ある侯爵家の後継ぎの座に納まるわけにはいかない。


「侯爵家を出るつもりなのか?」

 ナルヴィが心配そうに言った。

「ええ、卒業まで半年あるから就職活動をするわ」

「侯爵令嬢が?」


「父は黙っていれば露見しないと甘いことを言っているけど、玄関ホールでの会話、使用人の耳に入っていないはずはない、こんな醜聞はすぐに広まるわ、親戚連中も出張ってくるかもしれないし、もうあの家にはいられないわ」


 十年も隠し続けていた母が、なぜあの時、簡単に口を滑らせてしまったのかはわからない。……限界だったのかも知れない。庶子の私が侯爵家を継ぐことで話が進んでいたことが許せず、不満を募らせていて、あの瞬間、静かに爆発した。


「両親に愛してもらおうなんて無理だったのよ、私は不義の子だったんだから、母もきっと辛い思いをしていたのね。もっと早く知っていれば、無駄な期待などしなかったのに」

「言わなかったのはせめてもの思いやりのつもりだったんだろうな」


「あなたには申し訳ないことになってしまったわね、婿入りがなくなってしまって」

「俺は別に婿入りなんか望んでいなかったよ、相手がお前だったから受けた話だからな」

「えっ?」


「子供の頃、フレン侯爵領の別荘で会っただろ、俺はあの頃のお前を知っているんだ、だから……その……なんだ、あの時の笑顔が忘れられなかったと言うか」

「覚えてたの?」

「忘れる訳ないよ、あの夏は楽しかったからな」

「お兄様たちに置いていかれて、私を押し付けられたのに?」


「兄貴たちに虐められるより、お前の相手をしている方が良かったんだよ」

「オーディン兄様は虐めたりしないわ」

「女の子には優しいんだよ、男兄弟の遊びの荒っぽさを知らいないだろ、一番下の俺はいつだって傷だらけだったんだぞ」

 オーディン兄様とルーディン兄様がそろって顔に痣を作っていたことがあったのは、そう言うことだったのね。


「俺たちの婚約はまだ有効なんだぞ。ただの文官の妻になるのは嫌か?」

「婿入りの約束を反故にされてアーミッド伯爵はお怒りなんでしょ? それに私は庶子よ、伯爵が私との結婚を許すとは思えないわ」

「大丈夫、君はなにも知らなかったんだから、父も君に同情しているよ」


「いいの? 私で」

「君がいいんだよ」

 ナルヴィは私を抱きしめてくれた。


 こんなふうに抱きしめられるのは十年ぶりだ。オーディン兄様が家を出て行く前にそうしてくれた。あの時は兄様が駆け落ちするつもりだとは知らなかったから、なぜ抱きしめられたのかわからなかった。そして、兄様がいなくなった時、そのぬくもりを思い出して胸が張り裂けそうになった。


「あなたはどこへも行かない? 私を置き去りにしない?」

「当たり前だろ、ずっと傍にいる」

 私は彼の背中に手を回した。


 心臓の鼓動が聞こえた。

 それは心地よく私を包んでくれた。


 オーディン兄様の気持ちが今やっとわかった。この人と離れたくない、ずっと傍にいたい。フレン侯爵家ではなかった私の居場所が見つかった。兄様も愛する人の傍こそが自分の居場所だと思ったのかしら。


 表情筋がほぐれていくのがわかった。



   *   *   *



 フレン侯爵夫人は病気療養と称して領地の別荘に移ることになった。フレン侯爵は浮気をして不義の子まで設けていた、おしどり夫婦の関係はとっくに破綻していた、あれだけ仲がいいことを自慢していたのに仮面夫婦だったという醜聞が広まったからだ。

 しかし今更離婚して実家に帰る訳にもいかない、それこそプライドが許さなかったのだろう。


 フレン侯爵家は、伯爵家に嫁いだ父の妹の次男を養子に迎えて継がせることに決まった。既に成人して妻子もあり、今までは伯爵家を継いだ兄の補佐とし領地運営に携わっていた優秀な方なので、伯爵家としては引き抜かれるのは痛手だが、本人にとっては侯爵位と広い領地を得られるのだから僥倖だ。


 引継ぎが完了すれば父は事実上引退に追い込まれる。十八年も前の浮気が今更露見してこんな大ごとになるなんて災難だと父は言うけど、恐らくそれ以降も隠れて浮気しているに違いないので自業自得だ。

 引退しても侯爵夫人のいる別荘には入れてもらえないだろう。


 そしてアイーネについては、次期フレン侯爵は従兄弟に当たるオーディンと仲が良かったこともあり、そのまま侯爵家で養育すると言ったが、

「私はお祖母様と一緒に領地へ行きます、王都より田舎暮らしの方が性に合っていると思いますから。お祖母様を一人にするのも心配ですし」


 彼女は侯爵令嬢という肩書には興味がないようだ。


「優しいのね、あなたはお父様似? それともお母様かしら」

 アイーネに対するわだかまりはすっかりなくなっていた。よく見るとオーディン兄様に似ている気もする。あなたのお母様をクソ女呼ばわりしてごめんなさいね。


「両方です、二人とも優しくて、たくさんの愛情をももらいました。お父様は自分の幸せを優先して捨ててきた家族のことを心配していたのです、マリーディア叔母様のことは特に……。でももう大丈夫ですね、ナルヴィ様がいらっしゃるし。だから私はお祖母様の傍にいます」


「そう……あの別荘は自然豊かで素敵なところよ、あなたも気に入るだろうし、きっと侯爵夫人の心も癒されるわ」

「マリーディア叔母様も行ったことがあるのですか?」

「ええ、実はナルヴィと初めて出会った場所なのよ」

「まあっ! じゃあ、是非お二人で遊びに来てください、……いつか、お祖母様のことが許せる日が来たら」


「そうね、それより前から言おうと思っていたのだけど、この年で叔母様と言われるのはちょっと嫌だわ、これからはマリーディアお姉様とお呼びなさい」


   おしまい

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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ルナヴィ?ナルヴィ?
結果的に人生変えるきっかけをくれたアイーネはマリーディアにとって天使でしたね。というか、姪が大人っぽ過ぎて転生者かと疑ってしまった(笑)
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