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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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温泉地に近づいた。白い煙のように、ゆっくりと空へ昇っている湯気が見える。

私は馬上から、それを見つめた。


列はゆっくりと進む。

やがて、木柵と簡素な門が見えてきた。その前に、数人の男たちが並んでいる。

中央に立つのは、年配の男だった。衣服は質素だが、手入れは行き届いている。

私が近づくと、一歩前へ出て深く頭を下げた。

「お待ちしておりました、殿下」

声は落ち着いている。

「王家よりこの地を預かっております、管理役にございます」

私は馬を止め、軽く頷いた。

「ご苦労」

短く返す。男は顔を上げた。

「館の整備、浴場の維持、滞りなく進めております」

「後ほど見る」

それだけ言うと、男は再び頭を下げた。その脇から、もう一人が進み出る。日に焼けた顔の男だった。

「村をまとめております、長にございます」

声は少し硬い。緊張しているのだろう。

「この地にお越しくださり、恐悦に存じます。これよりは殿下の御領として、力の限りお仕えいたします」

私はしばらくその男を見た。

「無理はするな」

短く言う。

「これまで通りでいい。……ただし、乱れは許さん」

村長は深く頭を下げた。

「畏まりました」

列はそのまま中へ入る。温泉地は、すでに一つの形を持っていた。だが、統一はされていない。

やることは、多い。


王家の別館に入ると、さらに人が並んでいた。侍従、料理人、掃除係。皆、一様に頭を下げている。私は歩みを止めた。

「顔を上げろ」

ゆっくりと視線を巡らせる。

「今日より、この地は私の領となる」

誰も声を出さない。ただ静かに聞いている。

「これまでの働きは、そのまま続けてよい。だが、これからは変わる」

短く言い切る。

「命じたことは守れ。働いた分は払う。怠れば切る」

それだけ言って、歩き出す。

……余計な言葉はいらない。

その後は、休む暇もなかった。役人を呼び、帳簿を確認する。財政は、領地の根幹だ。

「……何も急がなくとも」

控えめな声が上がる。私は視線を上げた。

「今日見るべきものを、明日に回す理由はない」

私は帳簿に目を落とした。収入、支出、入湯客の数。数字そのものは揃っている。だが。頁をめくる。同じ日の記録でも、宿ごとに徴収額が違う。湯銭の名目も統一されていない。

ある宿は「入浴料」、別の宿は「滞在料」、さらに「寄進」として記されているものまである。

……曖昧だ。

私は指先で帳簿を軽く叩いた。

「この“寄進”は、どこへ流れている」

役人が一瞬、言葉に詰まる。

「……近くの教会にございます」

「ではこれは」

別の行を示す。

「その……村の維持費として」

さらにめくる。

「では、これは誰だ」

「それは……以前より、この地を取り仕切っていた家の者で……」

私は頁を閉じた。

……なるほど。

口には出さない。だが構図は見えた。湯は一つ。だが金の流れは三つ、四つに裂けている。教会。村。旧来の有力者。そして王家の取り分は、その隙間に置かれている。

……抜かれているな。

私は静かに息を吐いた。

……前任は、見ていなかったのか。あるいは、見ていて放置したか。どちらでもいい。今は、私の領だ。顔を上げた。

「すべて書き出すように」

低い声で言う。

「湯に関わる金の流れを、一つ残らずだ。名目も、人も、量も」

役人たちが緊張したように姿勢を正す。

私は続けた。

「誰が取っているかではない。どこを通っているかを見る」

役人達を見た。

「湯は一つだ。ならば、流れも一つでいい」

私は帳簿を閉じた。

だが、今度ははっきりと声が上がった。

「……殿下」

村の長だった。

「それでは、これまで教会に納めていた分は……」

「止める」

短く言う。長は一瞬、言葉を失った。だが、すぐに続ける。

「しかし、それでは教会との関係が――」

別の役人も口を挟んだ。

「村の維持費もございます。道や水路の修繕は、その金で……」

さらに低い声が混じる。

「……急に変えれば、反発が出ます」

私は彼らを順に見た。誰も、間違ったことは言っていない。だからこそ、面倒だ。

私はゆっくりと言った。

「なくすとは言っていない」

一同がわずかに顔を上げる。

「流れを変えるだけだ」

帳簿を指で叩く。

「すべて一度、王家に集める」

静かに区切る。

「そこから配分する」

空気が張り詰めた。

「……殿下、それでは」

長が言いかける。私は遮った。

「誰が、いくら必要か」

視線を合わせる。

「説明できるか?」

言葉が止まる。

「できないなら、今までが曖昧だったということだ」

沈黙。私は続けた。

「教会には払う。村にも払う。だが、額は私が決める」

それだけだった。長く、重い沈黙が落ちる。

やがて、村の長がゆっくりと頭を下げた。

「……承知いたしました」

他の者も、続いて頭を下げる。完全に納得した顔ではない。だが、従う顔だ。

それでいい。



次に、住居の割り振り。

兵は門と外周へ。書記官は別館の一角へ。

医官と薬草担当には、風通しの良い建物を優先的に与える。

商人には、宿の一部を仮に使わせる。空いている建物は限られている。足りない分は、天幕だ。

「三日で整えろ」

誰も反論しない。できるかどうかではない。やるのだ。

気が付けば、日が傾いていた。私はようやく息を吐いた。

……疲れた。

定時で終わらせてはいる。無理はしていないはずだ。だが、疲労が抜けない。頭が重い。

私は湯殿の方角を見た。


……温泉で、癒されよう。

ふと、思い出す。以前、この地に来た時、命じたことがあった。


――それが守られているか。

私は足を向けた。湯殿の戸を開ける。

白い湯気が、静かに流れ出た。中へ入る。

石の湯溜まり。

そこに満ちた湯は、濁りが少ない。

縁からは、細く新しい湯が流れ込んでいる。

……綺麗だ。

私は小さく息を吐いた。


「……続けて、いるのか」

小さく呟くと、控えていた管理人が一歩進み出た。

「は。殿下が以前にお定めになられた通りに」

私はわずかに目を細めた。

あの時の命令など、形だけ守られて終わることも多い。

だがここでは、違った。理解し、守り、続けていた。


「……なぜだ」

ふと、口にしていた。管理人は一瞬だけ言葉を選び、やがて静かに答えた。

「湯が、変わりました」

「変わった?」

「以前は……食べ物が持ち込まれ、湯が濁ることもございました」

私は黙って聞いた。

「ですが、殿下のご命令の後は、それが無くなりました。湯は澄み、匂いも軽くなり……」

わずかに間を置く。

「落ち着いた、綺麗な湯だと評判になりまして」

管理人は小さく笑った。

「掃除も、手を抜けなくなりました」

私は小さく頷いた。

「……よくやっている」

管理人は深く頭を下げた。



湯に入った。湯は静かに身体を包み、重さを溶かしていく。

……これならば、いい。特別報酬を出しても良い位だ。

私は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


文句は、なかった。

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― 新着の感想 ―
管理人は評価対象だねぇ 中々出来ることじゃない
更新ありがとうございます。 最後の特別報酬の部分笑いました。 掃除と言うか、第三王子の規則とか言われてたやつ、続いていて何より。ここの管理人の良い人柄が見えたような気がします。まあ、本人がまたくるんだ…
 主人公の命を素直に実行する管理人。 ボーナス支給しても良いでは無いか!  収支の流れが不明瞭なので『明朗会計』へ! 近代的ですねー。
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