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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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夜明け前の王都は、まだ静まり返っていた。

東の空がわずかに白みはじめている。

私は馬上から、雲を見ていた。

「殿下」

声をかけてきたのは側近のマルクだ。

「皆、揃いました」

私は軽くうなずいた。

騎士は六人。街道の警護には十分で、しかし王子の大行列というほどでもない人数だ。

さらに従者が三人。馬の世話や荷を扱う者たちだ。

そして一人、医官が馬に揺られている。


騎士の一人が城門の方を見て言った。

「……見送りは、本当に無しですか」

「その方が楽だ」

私は手綱を軽く引いた。王子の旅といっても、祝儀の行列ではない。あくまで、少人数の静かな旅だ。

門番が槍を引き、城門がゆっくり開く。

軋む音とともに、王都の外の街道が姿を見せた。

私は馬を進めた。

冷たい朝の空気が頬に触れる。

「行こう」

こうして、私たちは王都を出た。



王都を出て二日目の昼過ぎ、街道はゆるやかな丘を越え、小さな村へと続いていた。


私は馬の手綱を少し緩めた。

「ここで休むか」

先頭を進んでいた騎士隊長が振り返り、うなずいた。

「殿下、村に宿があります。巡礼者もよく使う宿です」

やがて、道の脇に石と木でできた建物が見えてきた。屋根は赤茶の瓦で、入口には木の看板がぶら下がっている。

馬屋と小さな井戸もあった。そして、村の小さな広場には、露店が二つほど出ていた。


私は、まず露店を見に行った。

干し肉、チーズ、木の皿、そして酒の樽。

私は、足を止めた。

小さな陶器の壺が並んでいる。

「これは?」

店の男が答える。

「丘で作った果実の酒でございます。今年のものです」

私は壺を一つ持ち上げた。

軽く揺らすと、中で液体が静かに動いた。

「珍しいのか」

「この辺りでしか、出回りません」

私はうなずいた。

「よし、買おう」

男の目が丸くなる。

「壺を六つ。私の供の分もだ」

後ろにいた騎士たちが、顔を見合わせた。

「殿下、それは多いのでは」

マルクが言った。

「気にするな」

私は銅貨の入った袋を、ずしりと卓に置いた。

「余りは村の子供にでも、菓子を買ってやれ」

店の男は慌てて頭を下げる。

「ありがとうございます」

そのとき、マルクが壺を一つ手に取った。

「殿下」

「なんだ?」

「味見を」

私は肩をすくめた。

「好きにしろ」

マルクは店主に小さな杯を借り、酒を少し注いだ。匂いを嗅ぎ、わずかに口に含む。

しばらく黙っていたが、やがてうなずいた。

「問題ありません。むしろ、なかなか良い酒です」

騎士の一人が呟いた。

「マルク殿が言うなら、間違いない」

私は壺を従者に渡した。

「今夜の宿で開けよう」

騎士たちの顔が、明るくなった。

去るとき、私はふと後ろを振り返った。

店の男が、まだ深く頭を下げている。

マルクが言った。

「殿下は、村人を甘やかしすぎです」

私は馬の首を軽く叩いた。

「旅の間くらい、細かいことはいいだろう」

そして、少し笑って続けた。

「旅は、賑やかな方がいい」

風が草を揺らしていた。


護衛の騎士はある宿を見て言った。

「この宿にしましょう」

騎士が先に馬を降り、周囲を一度見回す。異常がないことを確認してから、私に軽く頭を下げた。

「問題ありません、殿下」

私は馬から降りた。宿の主人らしい男が、慌てて入口から出てくる。

「ようこそ、お客様」

だが、私たちの外套の紋章を見ると、その顔色が変わった。

「こ、これは……」

騎士隊長が軽く手を上げて制した。

「大げさにするな。殿下は旅の途中だ」

男は何度も頭を下げた。

「失礼いたしました。どうぞ中へ」

宿の中は薄暗く、梁の高い広間になっていた。長い木の卓が並び、壁際では旅人たちが食事をしている。

私たちが入ると、皆が静かに席を譲った。

「殿下はこちらへ」


宿の主人が頭を下げた。

「殿下、鶏を一羽お出しできますが」

騎士たちの視線が一斉にこちらに向く。

「なら焼いてくれ。皆で食べよう」

しばらくすると――香ばしい匂いが広間に広がった。炉で焼かれた鶏が、木皿に乗せられて運ばれてくる。

皮はこんがりと色づき、脂が光っていた。

騎士の一人が小さく息を漏らす。

「マルク、切ってくれ」

マルクは苦笑しながら鶏を引き寄せた。

「……これは当たりの宿ですね」

そしてパンと煮込み、それに小さな壺の葡萄酒が並んだ。


マルクが壺の葡萄酒を杯に注いだ。

私はそれを受け取り、軽く揺らす。

薄い赤の液体が、灯りの下で静かに光った。

一口、口に含む。舌の上に、わずかな酸味が広がった。王宮の熟成酒のような深みはないが、果実の香りが素直に立っている。

私は小さく息を吐いた。

「……若い酒だな」

マルクが眉を上げる。

「悪くはない。軽いが、旅の食事にはちょうどいい」

もう一口飲み、杯を卓に置いた。


少し離れた席において。

「……鶏か」

騎士が小さく言った。

「ああ。街道の宿で焼き肉とはな。今日は運がいい」

別の騎士が肩をすくめる。

「普段は硬いパンと煮込みのスープばかりだからな」

「それに塩肉だ」

誰かが言う。

「袋の底に入れたままの、あの石みたいなやつか」

広間に小さな笑いが広がった。

「三日も食べ続ければ、顎が鍛えられる」

「騎士の修行だな」

マルクがその様子を見て苦笑する。

「殿下がいらっしゃる前では、もう少し品よくしたらどうだ」

騎士の一人が肩をすくめた。

「マルク殿、殿下がいらっしゃるからこそ喜んでいるんですよ」

もう一人が続ける。

「殿下がいなければ、今夜も塩肉です」

誰かが笑った。

「殿下と旅をすると、腹の運がいい」



私は椀を覗き込んだ。

豆と根菜を煮た素朴な料理だが、香草の匂いがする。湯気も立っている。一口食べる。

「……悪くない」

向かいに座ったマルクが言った。

「殿下は旅に出ると、よく言いますね」

「王宮の料理は手が込みすぎている」

私はパンをちぎりながら言った。

「こういう方が体にしみる」

騎士たちも別の卓で食事を始めていた。

鎧を少し緩め、ようやく肩の力を抜いている。

外では、従者が馬に水を飲ませていた。

やがて宿の灯りが一つ、また一つと消え、夜は静かに更けていった。



翌朝、私たちは再び街道に出た。

温泉へ向かう道は、丘と草原の間をゆるやかに続いている。急ぐ旅ではない。馬の歩みに合わせて、穏やかな時間が流れていった。

空は高く澄み、鳥が遠くで鳴いた。

しばらく進んだところで、先頭を行く騎士隊長が手を上げた。

「殿下」

私は馬を寄せる。

「どうした」

騎士隊長は遠くの谷の方を指した。

「ご覧ください。あの煙が見えますか」

視線を向けると、丘の向こう、谷の奥に白いものがゆっくり立ちのぼっている。

焚き火の煙とは違う。風に流されながら、絶えず湧き上がっていた。

「……あれが?」

「はい。温泉の湯気です」

私は思わず小さく息をついた。

「ようやく着くか」

騎士の一人が言った。

「殿下が楽しみにしていた場所ですから」

私は苦笑した。

「当然だろう」

前世の記憶がよぎる。

温泉と聞いて、期待しない方がおかしい。

馬の腹を軽く蹴る。

「行こう」


初めての温泉地だ。

私の馬が、小さくいなないた。


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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 置かれている言葉がやさしくて、それでいて描写が生き生きとしていて、すてきな絵本を読んだような気持ちになれました。「果実の香りが素直に立っている」のところは、一緒に香りを楽し…
第3王子ちゃんと外交だけじゃなくて部下や村人とのコミニケーションもとるので王家のイメージ戦略としてはこれ以上ない存在になってるな 王家含め上層部全体でこの事気づかないと大変な事になりそう
 今世 初めての「温泉」 どのような出会い・モノガタリが待っているのでしょうか〜❗️ 期待 期待です。      イノチのお洗濯ですネ。
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