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日を改めた。円卓の間は、前と同じ顔触れが集まっていた。
私は立ち上がらず、椅子に腰掛けたまま、円卓の面々をゆっくりと見渡した。
「学習単位を導入します」
室内が静まる。
「一定時間の講義・研究・実習をもって一単位とする。それを両国で相互承認する」
沈黙のあと、侯爵が口を開く。
「通貨のように扱う、と?」
エリシアが視線を上げる。
「国境を越えて価値を保つ、という意味であれば……確かに通貨に似ていますね」
その言葉に、私は頷いた。
「ええ」
――聡い。
単位制という概念が、この世界の人間にどこまで伝わるかは賭けだった。時間を区切り、学習を数値化し、国境を越えて通用させる。
それはこの時代の感覚からすれば、かなり抽象的な制度だ。
だが今、彼女は本質を掴んだ。
通貨。価値の保存。鋳造権と基準。
この二人――エリシアと侯爵は、比喩の奥にある構造を一瞬で理解している。
助かる。
私は続けた。
「ええ。国境を越えても失われない学習履歴です」
「危うい」
別の伯爵が即座に言う。
「通貨は鋳造する者が価値を決める。単位も同じなら――価値を決めるのはどちらの国だ」
空気が張る。エリシアが静かに問う。
「では、その制度の主導権はどちらが握るのですか?」
私は即答する。
「大国の本校に必修を置きます」
「必修?」
「基礎学問、礼法、統治論。王立学院の名において必修とする」
貴族の一人が眉をひそめる。
「つまり、価値の基準は我が国にあると?」
「基準は本校が定める」
私は言葉を選ぶ。
「姉妹校の単位は、本校の監査を経て承認される」
「監査権はこちらにあると」
「はい」
ざわめき。エリシアが問いを重ねる。
「では小国は、単に従属するだけの立場になりますか?」
私は首を振る。
「いいえ。姉妹校には専門研究を集中させます」
「専門とは?」
「農政、灌漑、工学、実地研究。理論の応用分野です」
伯爵が低く言う。
「実務を押しつける、と聞こえる」
「実務こそ国を強くする」
私は即座に返す。
「基礎理論は本校で統一する。だが、応用は現場を持つ国が強い」
エリシアがわずかに目を細める。
「つまり、基礎は大国、応用は小国?」
「役割分担です」
「上下ではなく?」
「機能の差です」
沈黙。侯爵が一度、咳払いをした。
「単位が通貨なら、鋳造権は我ら。本校が中央銀行というわけだ」
「比喩としては正しい」
私は否定しない。
「だが、流通量を増やすのは姉妹校だ」
「ほう」
「研究成果は本校の名で発表される。ただし実地成果の権益は共同とする」
エリシアの視線が鋭くなる。
「知的成果の帰属は?」
「共同名義。ただし基礎理論は本校に帰属」
ざわめきが再び強まる。
「小国は労力を出し、名は半分か」
「半分ではない」
私は言う。
「実利は小国が多く得る」
「実利?」
「灌漑技術、農政改善、工学発展。直接国力に結びつく」
沈黙。貴族の一人が呟く。
「……大国は名誉を守り、小国は利益を得る」
エリシアが静かにまとめる。
「基礎は本校、応用は姉妹校。単位は共通だが、価値基準は本校にある」
私は頷く。
「はい」
侯爵が最後に問う。
「そして将来、姉妹校が基礎理論を欲したら?」
一瞬の間。
「その時は――」
私は視線を外さない。
「共同研究という形で開きます」
完全な安心はない。だが、拒絶もない。
私は続ける。
「全学生は一定期間、小国で学ぶこととします」
一瞬の沈黙。
「……何と?」
侯爵の声が低くなる。
「身分は大国学生のまま。単位は共通。外交を机上ではなく経験として学ばせます」
「他国に住まわせる、と?」
「はい」
ざわめきが爆ぜる。
「それは実質的な人質ではないか!」
「違います」
私は即答する。
「滞在は期限付き。身分も戸籍も大国に属したままです」
「だが生活は向こうの法の下だ」
「学院区域内は特別法域とする」
空気が止まる。
「治外法権を設けるつもりか」
「限定的に。学生の身分に関わる裁定は本校が行う」
「小国がそれを呑むと?」
エリシアが静かに口を開く。
「完全な治外法権ではありません。生活規範は小国法に従う。ただし、身分・単位・懲戒権は両国合同審査とする」
侯爵が鋭く見る。
「つまり、我らの子弟が小国の風に染まる可能性は?」
私は頷く。
「あります」
ざわめき。
「ならば何故そこまで」
「染まるからです」
静まり返る。
「他国を知らぬまま統べるより、知った上で統べる方が危険は少ない」
「甘い」
空気が張りつめたまま、伯爵が低く言う。
「他国に触れれば、心は揺らぐ。揺らいだ心は、やがて背を向ける」
私は視線を外さない。
「他を知らねば、疑うことすらできぬ」
伯爵の目が細まる。
「疑う必要などない。忠誠とは、疑わぬことだ」
「いいえ」
私は静かに首を振る。
「疑いを越えて残るものこそ、忠誠です」
ざわめきが小さく広がる。伯爵は吐き捨てるように言う。
「他を知れば裏切る」
私は答える。
「他を知ってなお選ぶ方が、強い」
沈黙。
「囲い込んだ忠誠は、壁が崩れれば消える」
私は続ける。
「だが、外を見たうえで戻る者は、自らの足で立っている」
「理想論だ」
「現実論です」
声は荒げない。
「知らぬまま従う者は、より良い選択肢を示されれば移る。だが、知ったうえで残る者は、理由を持って残る」
円卓の上に沈黙が落ちる。
「忠誠は隔離では育ちません」
私は最後に言う。
「理解と利益が、それを固定します」
伯爵は黙る。反論はあるだろう。だが、即座には出ない。
沈黙。エリシアが問いを重ねる。
「では小国の学生も大国へ?」
「同様に」
「身分は?」
「小国のまま」
侯爵が低く言った。
「混ざることはあっても、序列は壊れぬ、と先ほど申されたな」
「壊れません」
「保証は」
「継承権は国内法が握る。学院は触れない」
ざわめきが弱まる。私はさらに言う。
「往来が増えれば、学院を中心に経済が動きます」
「経済?」
「宿、商人、写本師、職人。人が動けば金が動く」
伯爵が目を細める。
「市民が潤うのか」
「潤います」
「我々の力が“特別なもの”でなくなるのではないか?」
「軍で国を従わせる時代から、金と制度で結びつける時代になります」
「それを望むのか」
私は一拍置く。
「戦より安い」
静寂。
「学院は軍ではありません」
私は続ける。
「だが、軍より長く影響を残すでしょう」
侯爵が低く言う。
「戦時に語るには穏やかすぎる未来図だ」
「戦時だからです」
視線を逸らさない。
「次の戦を、減らす制度です」
沈黙。完全な同意ではない。
だが、反論は減った。
エリシアは黙って聞いている。
戦が始まった。だが、この場では誰も触れない。
私は視線をまっすぐ向ける。
「戦は一時のものです。しかし教育制度は、百年単位で国家を形作る」
静寂。
「姉妹学院は、友好の飾りではない。制度そのものを共有するのです」
エリシアは、ゆっくりと頷いた。
「……面白い」
その声音は、戦場の指揮官のものではなかった。
利害を測る政治家の声でも、完全ではない。
もっと別の何かだ。
エリシアは気づいていた。
この男は、血統を壊そうとしているのではない。しかし、守ると言いながら、その内側に新しい流れを通そうとしている。
身分は残る。序列も残る。
だが、学んだ者同士は、やがて国境よりも先に理解で結ばれる。
それは剣では届かない場所に、影響を残す。
――百年後の景色を、もう見ているのか。
胸の奥で、かすかな震えが走る。
エリシアの唇の端が、わずかに上がった。
それは、賛意とも警戒ともつかぬ微笑。
日常では、決して見せない表情だった。




