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隣国の使節団が入城しただけで、城の空気は重くなった。
大柄な騎士たち。豪奢な紋章。
床を踏む靴音さえ、威圧のように響く。
協議の席で、使節長が言い放つ。
「友好のため、三つの提案がある」
名目は――
『国境紛争軽減のための資源管理』
『恒久的平和を目指す経済互助同盟』
『両王家を一つに結ぶ神聖なる血の盟約』
実質は、
国境の鉄鉱山を二十年、無償貸与。
十年間の関税撤廃と商人の自由往来。
王族、もしくはそれに準ずる娘を王太子へ輿入れ。
侯爵は横目で第三王子を見る。……青ざめるか、言葉に詰まるか。だが、第三王子は黙って聞いていた。
やがて、静かに口を開く。
「ご提案、確かに承りました」
それだけだった。即答しない。その沈黙に、室内がざわつく。使節長が眉をひそめる。
「返答は」
第三王子は穏やかに問い返す。
「確認ですが。これは“友好”の提案で、間違いありませんか」
「無論だ」
「では――友好は、対等であるべきでしょう」
空気が変わった。第三王子は、机上の地図を指でなぞる。
「この鉄鉱山。貴国が欲しいのは、鉄そのものではない」
使節長の目がわずかに細まる。
「大量の武具を作るための、安定した供給。違いますか」
沈黙。
「でしたら、鉱山を丸ごと差し出す必要はない。仮に、共同開発という形も――」
そこで、第三王子は言葉を止めた。
わずかに視線を上げる。
「……いえ。失礼」
視線を使節長に向ける。
「武具の供給を、絶やせない理由がある」
その一言で、空気が変わった。使節の一人の喉が、わずかに動く。使節長がゆっくりと首を振った。
「共同開発では、我が国の需要は満たせぬ」
低く、揺るがぬ声だった。
第三王子は、わずかに頷いた。予想していた、というように。
「ではお尋ねします」
静かな声だった。
「貴国が恐れているのは、供給の不足ではなく――我が国の裏切りではありませんか」
使節長の眉が動く。
「二十年の貸与を求めたのは、鉄が欲しいからではない。鉄を“握っていたい”からだ」
静寂が落ちた。
「……戦を、長く続ける国だけが、この条件を出す」
室内の空気が、凍りついた。
「ならば、供給量を条文で保証しましょう。三割と。産出量の最低保証値を定める。さらに、違約時の賠償も明記する」
使節の一人が、思わず言う。
「……そこまで条文に落とすと?」
「我が国は約を違えません」
即答だった。
「そして、違えぬと文書で示せる国こそ、真に信用に値する」
沈黙。押していたはずの側が、初めて押し返される。第三王子は続ける。
「関税撤廃も同じです」
穏やかな声。
「貴国が欲しいのは、我が国の特産品と交易路。穀物、塩――生活に直結するものばかりだ」
侯爵が、はっと息を呑む。
「関税を捨ててまで、それを求める理由がある」
沈黙。
「ですが、そうではない」
使節長が、初めてはっきりと第三王子を見る。
「……何を、言いたい」
「貴国は、我が国と争う気はない」
誰も、息をしなかった。
「別の国と争う準備をしている」
沈黙は、今度こそ重かった。
「鉄も、交易も、婚姻も。後顧の憂いを断ちたいだけだ」
誰も、否定できない。第三王子はそこで初めて微笑んだ。
「でしたら、形を整えましょう。本当に“平和の条約”になる形に」
一拍置き、続ける。
「貴国が欲しいのは、我が国の特産品と交易路。ならば、貴国の港も我が商船に開いていただきたい。互いに得をする形で。それが関税撤廃の条件です」
その瞬間、使節の一人が口を挟んだ。
「それは成り立たぬ」
鋭い声だった。
「我が国の港はすでに飽和している。そちらの商船まで受け入れれば、我が商人が立ち行かなくなる」
別の使節も続ける。
「そもそも関税撤廃は、そちらの国にとって恩恵の方が大きい。我らが港を開く理由にはならぬ」
侯爵が、わずかに息を呑む。押し返された。
だが第三王子は、少しも動じない。
「関税がなくなれば、貴国の織物や薬、加工品が、我が国の市場にそのまま入ってきます」
使節の目がわずかに動く。
「質も価格も優れている。正直に申し上げて、我が国の商人が勝てるとは思えません」
一人の使節が、低く言う。
「それは、貴国の事情だ」
「ええ。ですから問題なのです」
穏やかな声だった。
「これでは、貴国の商人だけが大きく得をする形になります」
沈黙。
「それでは、対等とは言えません」
場が静まり返る。
そのとき、別の使節が椅子を引いた。
「ばかばかしい。これでは話にならん」
立ち上がろうとする。
「待て」
低く制したのは、使節長だった。
「最後まで聞け」
わずかに顎を引き、続きを促す。
第三王子は、その動きを一瞥しただけで、すぐに続けた。
「港を全面開放する必要はありません。まず、我が国に入る貴国の商船は、指定した一港のみとする」
「港を一つに?」
「はい。入り口を一か所に絞れば、品が無制限に流れ込むことはありません」
さらに続ける。
「そして対等の証として、貴国もまた、我が商船のために一港を指定していただきたい」
使節たちが視線を交わす。立ちかけた使節も、ゆっくりと席に戻った。
「互いに一つずつ。出入口を限定する。これならば、商人は守られ、交易も成り立ちます」
さらに続ける。
「そして、交易する品もあらかじめ決めておく。織物、薬、加工品など、限られたものだけにする」
使節たちが、再び視線を交わす。
「それならば、我が国の市場が荒らされることはない。ですが、交易そのものは続けられる」
使節長が、初めて口を開いた。
「……商人は守られ、交易もできる、と」
「はい」
第三王子は頷く。
「商人が潰れずに済み、なおかつ交易は滞らない。これならば、どちらか一方だけが利を得る形にはなりません」
一拍置いて、はっきりと言う。
「だからこそ、対等と言えるのです」
使節たちが視線を交わす。条件が、あまりにも現実的だった。
「さらに申し上げれば」
第三王子は静かに言う。
「交易とは、品だけを運ぶものではありません」
その言葉に、使節長の目が細まる。
侯爵の指先が、わずかに震えた。
それは、押されているからではない。第三王子が、隣国の本音と事情を、すべて言語化してしまったからだった。
そして――使節長が、ゆっくりと口を開く。
「品だけを運ぶにあらず、と申されたな」
静かな声が、場に落ちる。
「……その意味を、聞かせていただこう」




