24
近頃、第一王子のもとには、ある名が頻繁に届くようになっていた。
第三王子、レオンハルト。
報告の端々に、噂話のように混じっている。
改修工事のやり取り。領地運営への助言。文官たちの間での評価。
どれも、総じて良い内容ばかりだった。
「聡明だ」
「実務に強い」
「指示が的確だ」
だが同時に、別の声も混じる。
「出過ぎではないか」
「目障りだ」
「いずれ厄介になる」
第一王子は、報告書を机に置いた。
レオンハルト。あの、目立たない弟が。幼い頃から、彼は控えめだった。自己主張も少なく、競うこともなく、いつも一歩引いた位置に立っていた。
剣も、学問も、決して劣ってはいなかったが、わざわざ目立とうとはしなかった。だからこそ、気に留めることもなかった。
王位を巡る競争相手と、見なしたことすらない。
第一王子の記憶にあるレオンハルトは、いつも静かに本を読み、必要なときだけ口を開き、そして、すぐに下がる少年だった。
誰の邪魔もせず、誰とも争わない。それが、今はどうだ。
自ら前に出ているわけではない。だが、周囲が勝手に彼の名を持ち出す。
「第三王子に相談してみてはどうか」
「現場をよく見ている」
まるで、静かに張り巡らされた糸のように、
気づけば、あちこちにレオンハルトの影がある。
第一王子は、椅子にもたれた。
目立たないということは、時に最も厄介だ。敵として現れる者よりも、気づけば周囲の信頼を集めている者の方が、はるかに扱いづらい。
しかも、それが、あの弟だということが、妙に引っかかった。
(あれは、そんな男だったか……?)
最後に、あれと直接言葉を交わしたのは、いつだったか。第一王子は、ふと記憶を探った。
確か――あの時。少々、厳しいことを言った気がする。忠告のつもりだった。甘さを戒めるつもりでもあった。
王族として、あるべき姿を説いたのだ。だが、去り際のレオンハルトの表情が、妙に暗かったことだけは、はっきり覚えている。
あのとき、あれは何かを言いかけて、飲み込んだように見えた。
あれ以降、だったか。
いや、まさかな、と自分で打ち消す。
あの程度の言葉で、何かが変わるはずがない。そう思った。
だが、夜会でちらりと見かけたとき、確かに違和感があった。王族特有の銀色の髪に、
静謐を湛えた蒼眼。少し高い背は、遠くからでもすぐに見つけられる。
人混みの中にいても、自然と視界に入る。
そのレオンハルトが、貴族と長々と言葉を交わしていた。
あれは、珍しい光景だった。
これまでのあれは、挨拶こそ丁寧だが、会話は短い。必要以上に踏み込まず、踏み込ませず。
それが、相手の話に耳を傾け、時に自ら言葉を返している。遠目にも分かった。
ただの社交ではない。話を、している。
(珍しい……)
そう思っただけだったはずなのに、妙にその光景が記憶に残っている。
もしかすると。あの去り際の、暗い表情のあとから――あれは、変わり始めていたのかもしれない。
クロウフォード家のリディア嬢が、夜会の最中、レオンハルトを睨むように見つめていた姿は、妙に印象に残っている。燃えるような赤みを帯びた栗色の髪と、鋭く光る琥珀の瞳。
あれは、敵意というより――苛立ちに近かった。視線だけで、何かを訴えているような、そんな目だった。
その後の彼女の動きは、正直なところ、理解不能だったが。意を決したように場から出ていったかと思えば、しばらくして肩を落として戻ってきた。顔色も、先ほどまでの気迫が嘘のように沈んでいる。
どうやら、目論見は失敗したらしい。
だが――後日、耳に入った話が、妙に引っかかっている。リディア嬢と、レオンハルトが、手紙のやり取りをしているという。
あの夜会のあとで、だ。
あれほどの表情を向けておきながら、手紙、だと?理解が追いつかない。
だが同時に、妙に気になる。
第三王子の名を耳にする機会が増え、それに伴い、私のもとへ寄ってくる貴族たちの声色も変わった。
「いずれ目障りになります」
「今のうちに手を打つべきかと」
「早々に排除を――」
そんな言葉を、さも当然のように口にする者までいる。
無用だ。私は、その話題に対して、何も言わない。肯定も、否定もしない。ただ、聞き流す。
なぜなら、それは国の益とは関係のない話だからだ。王族同士の感情や、貴族の思惑など、どうでもいい。
清も、濁も、選り好みはしない。
国が前に進むのなら、それでいい。
それが、私の統治だ。
ただひとつだけ、譲れないものがある。
亡くなった婚約者は、最期にこう言った。
――国を、お願いします。
新しい人を迎えてほしい、とは言わなかった。
私の隣を、誰かで埋めてほしい、とも。
あれ以来、私の隣は空白のままだ。
だが、それを誰かに理解してもらう必要はない。王位の継承は、制度でどうにでもなる。国の未来に支障が出ない形は、すでに考えてある。血統も、体制も、国家運営も。
だからこそ、私はこの国を継ぐ者として、最大限国に尽くす。
だが、それでも。心だけは、あのときのままだ。統治者としての責務と、ひとりの人間としての想い。
その両方を抱えたまま、私は王座に就く。
……自分への許しが、誰にだって必要だ。




