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今日も、午前中のうちに殆どの仕事が終わった。よしよし、順調だ――そう思った矢先だった。
「殿下、手紙でございます」
差し出されたそれを見て、私は一瞬、目を疑った。
……手紙?どう見ても、分厚い。本一冊分とは言わないまでも、少なくとも“手紙”の範疇は越えている。
差出人の名を確認する。リディア・クロウフォード。
……誰だ?頭の中の知識を探ってみるが、心当たりはない。仕方なく、執務机の脇に置いてある貴族図鑑を引き寄せ、ページを捲る。
――中規模伯爵家、クロウフォード家。一人娘、リディア。
なるほど。夜会で見かけた覚えもない。そもそも、直接の接点がない相手だ。改めて、手紙に目を落とす。
「領地経営に難しさを感じております。ぜひ、殿下のご意見を賜りたく存じます。参考として、資料を同封いたしました」
……資料、ね。
私は、机の上に積まれた“手紙”いや、資料の束を見下ろした。これは、相談というより……分析依頼に近い。
資料に目を通す。収支表。作付け状況。過去数年の凶作記録。治水計画の未達成箇所に、人手不足の報告。
――なるほど。「領地経営に難しさを感じている」という一文が、やけに控えめに思えてきた。これはもう、「難しい」の段階は、とっくに過ぎている。
私は、ゆっくりと椅子に背を預ける。
(……本気で聞きに来た、ってことか)
少なくとも、形だけの相談ではない。そして、この分量だ。“軽く目を通すだけ”で済ませるつもりは、最初からなかったのだろう。
私は、もう一度、資料を手に取った。
さて――どこから手を付けるべきか。
(午前中に仕事が終わったのは、正解だったな)
そう思いながら、私はページをめくった。
資料に目を通して、最初に思ったのはそれだった。
……読みにくい。情報は多い。数字も揃っている。報告としては、きっと丁寧なのだろう。
だが、要点が見えない。
収支、作付け、災害記録、人員配置。すべてが順番に並んでいるだけで、「何が問題で」「どこを見ればよいのか」が、分からない。
これでは、相談相手に読ませる資料としては不十分だ。
私は数枚、紙を抜き取った。
そして、見本を作る。
・現状の問題点
・原因の推測
・数字の要約
・優先順位
必要なのは、これだけだ。
全部を並べる必要はない。判断に必要な部分だけを、抜き出せばいい。
数枚の見本が出来上がったところで、私は便箋を取り出した。
短く、簡潔に書く。
「資料を作り直すように。文章と、改善案を添えて提出すること」
余計な前置きは入れない。助言も、評価もしない。今、彼女に必要なのは、答えではなく、整理の仕方だ。
私はマルクに渡す。
「これを、そのまま送り返してくれ」
分厚い“手紙”は、再び封をされ、持ち出されていった。
さて。戻ってくる頃には、少しは読みやすくなっているだろうか。
リディア・クロウフォードは、思いのほか早く戻ってきた返書に目を見張った。
まさか、もう返ってくるとは思っていなかったのだ。封を切る手が、わずかに急く。
第三王子からの手紙。期待と緊張を胸に、彼女は一気に読み進めた。
「……ちょっと」
思わず声が漏れる。
もう一度読む。ゆっくり読む。それでも、書かれている内容は変わらない。指導も、考えも、助言も――何もない、に近い。
ただ、簡潔な指示だけが記されていた。
・現状の問題点
・原因の推測
・数字の要約
・優先順位
「資料を作り直すように。文章と、改善案を添えて提出すること」
それだけだった。
リディアのこめかみに、熱が集まる。
(これを作るのに、どれだけ時間をかけたと思っているのよ)
怒りが、ふつふつと湧き上がる。領地の帳簿を調べ、報告書を読み、数字を写し、まとめ、夜更かしをして、ようやく形にした資料だった。それを、たった数行で突き返された。
……信じられない。
唇を噛む。けれど、次の瞬間、彼女の目に強い光が宿った。
「……絶対に、読ませてやるわ」
リディアは机に向かった。紙とペンを揃える。
重ねてあった資料を、横に並べる。
そして、手紙に書かれていた項目を、紙に書き写す。
「出せ、ってことね。やってやるわよ」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
その日から、彼女の部屋の灯りは、再び夜遅くまで消えない日が続いた。




