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ある日のことだった。第一王子から告げられたのは、出たくもない夜会への出席命令。
「王族の義務だ。出るように」
正直、面倒だと思いながらも、最低限だけ顔を出すつもりで会場へ向かう。
(顔だけ出して、挨拶して、すぐ帰ろう)
そう決めていたはずなのに、会場の隅に辿り着く前に捕まった。
「殿下」
声をかけてきたのは、地方を治める貴族だった。年の頃は中年。人当たりは柔らかいが、目はよく動く。
「商人から、損害保険の話を聞きました。実に素晴らしい仕組みです。そこで思ったのですが――」
彼は、少し声を潜めた。
「この保険制度を、農民にも広げてはどうでしょう。凶作や災害に備える仕組みとして、非常に有効かと」
……なるほど。発想自体は、悪くない。
だが、私は即答した。
「必要ありません」
間があった。彼が瞬きをした。
「と、仰いますと……?」
「農民にとっての“保険”は、すでにあります」
私は、淡々と続けた。
「凶作の年には、年貢を減免する。種や農具を貸し出す。次の収穫までの生活を、領主が支える」
周囲にいた貴族たちが、静かに耳を傾け始めているのが分かる。
「つまり――本来、その役割を担うのが、領主です」
私は、相手を見た。
「もし農民が、保険料を払わねば生き残れないなら。それは、領主が保険の代わりを果たしていない、ということになります」
沈黙が落ちた。
音楽も、笑い声も、まるで一歩後ろに下がったかのように感じられる。
私は、その空気の中で、内心を整理する。
(保険は責任を分ける契約だが、領地経営は責任を背負うことから始まる。赤字をどう支えるかで、領主の手腕が決まる)
貴族は言葉を探していた。だが、すぐには見つからなかったようだ。周囲も同じだった。
その輪の少し外で、一人の伯爵令嬢が、第三王子を射るように見ていた。
その視線は、敵意か、興味か、あるいは――計算が混じっているのか。
私は、ようやく気づく。
(これ、責めてるように聞こえたか?)
意図は単純だった。役割の整理をし、制度の重複は無駄になる、と言っただけ。
だが――夜会という場所で、「領主の責任」を正面から口に出すのは、どうやら歓迎される話題ではなかったらしい。
誰かが咳払いをし、誰かが視線を逸らした。
私は、グラスを置く。
(……やらかしたか)
まあ、いい。嘘は言っていない。
当初の予定通り、私は静かに会場を後にした。夜風が、ひどく心地よく、中庭でほんの少し涼む。
(やはり、夜会は性に合わない)
貴族たちより
第三王子の言葉が落ちた瞬間、夜会の空気が、目に見えて変わった。
(……今の、聞いたか?)
誰も声には出さない。だが、同じ思いが、あちこちで交錯していた。
保険制度を農民に――その提案自体は、善意に聞こえた。実際、商人たちの間では評判も良い。
だが、それに対する第三王子の返答は、あまりにも真っ直ぐだった。
「それは、領主の役目です」
柔らかくもなく、攻撃的でもない。ただ、事実を並べただけ。それが、余計に刺さった。
(……責められたわけではない)
ある貴族は、背中に冷たいものを感じた。
凶作の年、年貢をきちんと減らしたか。貸すべき農具を、回したか。形だけの救済で、済ませてはいなかったか。
別の貴族は、舌打ちしそうになるのを堪えた。
(なぜ、こんな場で言う。夜会だぞ。建前の場だ)
だが同時に、反論の言葉が浮かばない自分にも気づく。第三王子は、誰かを名指ししたわけではない。糾弾も、非難もしていない。
ただ――「役割」を、正確に言語化しただけだ。
だからこそ、自分の胸に、勝手に入る。
また、若い貴族の一人は、少し違う感想を抱いていた。
(……あの方、怖いな)
声を荒げない。威圧もしない。
それなのに、誤魔化しが通じない。
(あれは、無自覚に正論を出す人間の目だ)
夜会向きではない。だが、統治者向きではある――そんな考えが、頭をよぎる。
やがて、第三王子は場を辞した。
引き止める者は、誰もいなかった。
残された貴族たちは、ようやく小さく息を吐く。
「……重い話題だったな」
「夜会で出す話ではない」
そう口にしながらも、誰一人として、「間違っている」とは言わなかった。
言えなかったのだ。
その夜、何人かの貴族は、自分の領地の帳簿を思い浮かべながら眠りについた。
第三王子の名は、その夜を境に、貴族たちの間で少しだけ違う評価が囁かれ始める。
――扱いづらいが、目を逸らしてはいけない王子、と。




