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長く止まっていた工事が、再開した。第三王子が主導し、帳簿を洗い直し、無駄な支出をすべて削った結果だった。
不要な装飾。実態のない人件費。名目だけの外注費。それらが消えただけで、工事は驚くほど円滑に進み始めた。
だが――その「無駄」で潤っていた者たちがいた。
彼らは第三王子を、声高々に非難した。
「工事が遅れたのは第三王子のせいだ」
「彼は現場を知らず、机上の空論で人を切り捨てた」
「職を失った者が出ている。民を苦しめる王子だ」
広場で。酒場で。人の集まる場所で、同じ言葉を繰り返した。われに正義あり、と言わんばかりに。
その声だけを信じた者もいた。
「王族はやはり民を見ていない」
と頷く者もいた。だが、首を傾げる者もいた。切られたという人足は、実在していない。具体的な被害の話は、いつも曖昧だった。
王都において「工事は失政だった」「王子は現場を理解していない」といった声が囁かれ始め、やがてそれは議会の場にまで持ち込まれる。
議会では責任追及が相次いだ。
「安全性は本当に担保されているのか」
「早いのは、手抜きをしているのではないか」
そして、最も重い言葉が突きつけられる。
「工事の再停止」を求める動議だった。
それは単なる計画の見直しではない。
第三王子の判断そのもの、ひいては王子としての資質を疑う宣告に等しかった。
一度でも“無謀な判断を下した王子”という烙印を押されれば、今後の発言力は大きく削がれる。
最悪の場合、事業の失敗を理由に、政治の表舞台から退かされる可能性すらあった。
第三王子は理解していた。
この議会は、工事の是非を問う場ではない。
自分が「切り捨てられるかどうか」を決める場なのだ、と。
だからこそ、第三王子は動かなかった。
弁明も、反論も、支持を求める言葉さえ口にしない。ここで言葉を尽くせば、それは「保身」として切り取られる。
第三王子が望んだのは、同情でも理解でもなかった。
ただ、結果を見ること――それだけだった。
そして、調査が進むにつれ、事実は明らかになる。削られた費用は、架空請求だった。怒りの声を上げていた者たちは、その金を分け合っていた側だった。
民のためではない。己の懐のためだった。 後に真実を知った人々は、思った。
声高々に叫ぶ者は、時には、信用できない。自分に都合の良い部分だけを語り、都合の悪い事実を隠し、他者を貶めて正しさを装う。
そういう人間ほど、自分自身を貶めていることに気づかない。
第三王子は、今日も変わらない。
感情的に反論することもなく、誰かを糾弾することもない。ただ、やるべき仕事をする。
だから――第三王子は今日も定時。
そして、平和だ。
しかし。
その静けさを、快く思わない者たちが、いなくなったわけではなかった。
声を失った者とは別に、「正しさ」そのものを疎ましく思う者がいる。感情も演出もなく、淡々と成果を積み上げる第三王子の存在を、
危険だと感じる者が。
彼らは声高には叫ばない。議会でも、広場でもない場所で、静かに視線を交わすだけだ。
工事は進んでいる。結果も出ている。
それでもなお、第三王子を煙たがる影は、王都のどこかに残っていた。
嵐は去った。
だが、空が澄んだとは限らない。
――――――
ある調査官の小話
調査を担当したのは、国王直属の調査官だった。名は表に出ない。だが、仕事は正確で、感情を挟まない人物だ。
彼はまず、工事関連の帳簿をすべて集めた。
再開前と後。支出の流れ。外注先の契約内容。そこに、特別な推理はない。ただ、数字を一つずつ、並べただけだ。
ある件についての話だ。
「この人件費は、誰のものですか」
調査官は淡々と尋ねた。声を上げていた男は、胸を張って答えた。
「現場で働いていた者たちだ。王子の改革で切られた人足の分だ」
だが、名簿はある他の名簿と全く同じだった。名前も、署名も。全く違う工事現場の名簿と。
調査官は、二枚を見比べて頷いた。
男は、その名簿に目を見開いた。
「では、この外注費は?」
調査官が次の書類を出す。男は少し言葉に詰まった。
「……必要な調整費だ。現場は複雑なんだ」 調査官は頷きも否定もしない。ただ、別の紙を重ねる。
「その調整費が、あなたの兄の商会に流れています」
その瞬間、男の喉が鳴った。顔色が、目に見えて変わる。声は、先ほどより一段低くなった。
「それは……偶然だ。よくあることだろう」
調査官は、淡々と続ける。
「偶然にしては、三年連続です」
沈黙が落ちた。男は、まだ声を上げようとした。だが、先ほどの勢いはない。
「王子は……民を苦しめている。私は、正義のために――」
言葉が、途中で途切れる。調査官は、最後の帳簿を置いた。
「工事が止まっていた理由が、分かりました」
そこには、過剰請求。架空人員。検査省略の署名。すべて、男の名前があった。
男の顔色は、もはや白を通り越していた。
額に、冷や汗が滲む。
「……違う。私は、ただ」
調査官は、初めて男を正面から見た。
「声を上げたのは、正義のためですか」
男は、答えられなかった。
その沈黙こそが、答えだった。
調査官は書類をまとめ、静かに立ち上がる。
「調査は、以上です」
その声には、勝ち誇りも軽蔑もない。
ただ、事実を事実として扱っただけだった。
部屋を出た後、調査官は一度だけ足を止めた。
声を上げれば、真実になると思う者は多い。だが、真実は声の大きさでは動かない。
……動くのは、記録と、行いだけだ。
最終報告は速やかに国王のもとへ届けられた。目を通した国王は、わずかに口元を緩めた。




