第8話 都市レーベン
街道を進むにつれ、人の気配が濃くなっていった。
遠くで馬車のきしむ音が響き、土の匂いに混じって、鉄と油の匂いが鼻をくすぐる。
やがて、視界いっぱいに大きな城壁が現れた。
灰色の石で築かれた壁。
その前には門が開かれ、人と馬と荷車が絶え間なく出入りしている。
「……でかいな」
思わず漏れた呟きに、アリシアが少し誇らしげにうなずいた。
「北方では三本の指に入る都市ですからね。ここが《レーベン》です!」
城壁の上では、武装した兵士たちが行き交っている。
整備された石畳。行き交う人々の服装も、村とは比べ物にならないほど多様だ。
商人、荷運び、冒険者らしき装備の者たち。
その中に、怜とアリシアも溶け込んでいった。
「人、多いな」
「いつ来てもこんな感じです。依頼と、人と、お金が集まる場所ですから」
街の中は、音で満ちていた。
鍛冶屋の金槌の音、露店の呼び声、酒場から漏れる喧騒。
生きている街だ、と直感的に理解できる。
怜の視線は、自然と武装した人間へと引き寄せられていた。
剣、槍、斧、弓――装備も戦い方も、まるでバラバラだ。
(さっきの森の魔物より……よほど“戦場”に近いな)
アリシアが歩きながら、少しだけ声の調子を落とす。
「ギルドは、この通りをまっすぐです。人も多いので、逸れないでくださいね」
「ああ」
人波の中を進む。
誰かの肩がぶつかり、布越しに武器の硬さが伝わった。
――怜の背中で、黒い鎌が小さく揺れる。
ちら、と周囲の視線が一瞬だけ集まるのを感じた。
珍しい形状。だが誰も踏み込んでくる者はいない。
(ここじゃ、強そうな武器を背負ってるのは珍しくもないか)
やがて、大きな建物が見えてきた。
他より一段高く、正面には二本の剣が交差した紋章が掲げられている。
人の出入りが特に激しい。
「ここが、冒険者ギルドです」
アリシアが少し緊張したように言った。
扉の前に立った瞬間、中から一陣の熱気があふれ出した。
酒と汗、鉄の匂いが混ざった、独特の空気。
怜は一歩、足を踏み出す。
中は、想像以上に広かった。
長いカウンター、掲示板、丸テーブルに陣取る冒険者たち。
笑い声、怒鳴り声、乾杯の音。
すべてが同時に鳴っている。
(……騒がしいが、悪くない)
アリシアは少し気圧されたように、怜の半歩後ろに控えた。
「初めて来ると、びっくりしますよね」
「……ああ」
視線を巡らせると、掲示板一面に紙が貼られているのが見えた。
魔物退治、護衛、採集、運搬。
依頼の数は、ざっと見ただけでも数十枚はある。
(仕事と報酬。完全に循環してるな)
《WARLDS》のクエスト掲示板と、構造はよく似ている。
だが――ここでは、失敗すれば本当に死ぬ。
それだけの違いが、重くのしかかる。
カウンター奥には、受付と思しき女性が数人。
その中で、ひときわ年配の女性が、こちらを見ていた。
「いらっしゃい。登録かい?」
アリシアが少し緊張しながら一歩前に出る。
「は、はい。冒険者登録を……」
怜も無言でカウンターに立った。
受付の女性は二人を見比べ、目元にしわを寄せて笑った。
「若いね。ふたりとも初登録かい?」
「はい」
「そうかい。じゃあ最低限の説明だけするよ」
木の板を二枚、カウンターに置く。
「名前と簡単な経歴を書きな。身分は問わない。ここでは実力がすべてさ」
羽根ペンを手に取り、怜は一瞬だけ止まった。
(……この世界での“俺の経歴”か)
職業も肩書きも、ここでは意味がない。
あるのは――これまで“何を倒してきたか”、それだけだ。
怜はペンを取り、用紙の「名前」の欄にさらりと記入する。
『名前:怜』
続けて、その下の「経歴」の欄に迷いなく書き込んだ。
『経歴:ストーンリザード討伐』
(経歴として書けるのは、せいぜいこのくらいだな)
それだけ書けば十分だと判断し、用紙を受付に差し出す。
アリシアも横で書き終え、そっと自分の用紙を重ねた。
受付の女性は慣れた手つきでアリシアの用紙から確認し、そのまま怜の欄へ視線を滑らせ――ぴたりと止まった。
「……はいはい、名前が“レイ”で、経歴が――」
声が途中で途切れる。
「……ストーンリザード討伐?」
眉がわずかに跳ね上がった。
「ちょっと待ちな。ここ、“経歴:ストーンリザード討伐”って書いてあるけど」
怜は少しだけ首を傾ける。
「ストーンリザード討伐は、経歴として書くほどのことじゃなかったか?
すまない。こっちの事情にはあまり詳しくなくてな」
受付の女性は、あからさまに顔をしかめた。
「いやいや、“書くほどじゃない”どころか盛りすぎなんだよ、それは。
ストーンリザードって言ったらね、C級冒険者がパーティ組んでやっと相手にするクラスの魔物だよ。
登録前の新人が“討伐しました”なんてさらっと書いて、はいそうですかって信じろってほうが無理がある」
ギルドの空気が、わずかにざわつく。
近くのテーブルから、ひそひそ声が漏れた。
「今、ストーンリザードって言ったか?」
「どうせ盛ってるだけだろ」
「あの鎌も見せ武器っぽいしな」
怜は特に気にした様子もなく、短く付け加える。
「鉱山で暴れていた個体を、アリシアと一緒に倒した。
素材とコアは鍛冶屋に流してある。バルドという鍛冶師が証人だ」
「名前まで出してくるあたり、話はよく出来てるけどねぇ……」
受付嬢が呆れたように肩をすくめた、そのとき。
アリシアが一歩、前に出た。
「怜さんは、嘘なんて言ってません!」
いつもより強い声だった。握った拳が、かすかに震えている。
「鉱山でストーンリザードに襲われたのは本当です!
私じゃ全然歯が立たなくて……倒したのは、ほとんど怜さんです。
私は、隣でちゃんと見てました!」
受付嬢はアリシアと怜を交互に見やり、短く息を吐いた。
「……ふーん。あくまで“倒した”って線を押すわけだ」
一拍置いて、口元だけで笑う。
「でもね、口でいくら言ったところで――ギルドが信じるのは“結果”だけだよ」
カウンター越しに身を乗り出し、怜を正面から見据える。
「あんたがそこまで言うなら――」
声が、少しだけ冷たくなる。
「じゃあ、“腕前”を見せな。
うちの新人は全員、簡単な実技試験を受けてもらってるけど……あんたの場合は、少し内容を変えようか」
周囲の冒険者たちが、面白そうに顔を向けてくる。
「裏庭に訓練場がある。今から、このレーベン支部のギルドマスターを呼ぶ。
あの人は現役のB級冒険者だ。“ストーンリザード討伐”って経歴が本物なら、
その片鱗くらいは見せられるだろう?」
アリシアが不安そうに怜を見上げる。
「怜さん……」
怜は鎌の柄に指をかけたまま、簡潔に答えた。
「元々、強さを証明するためにここに来た。
やり方は問わない。――好きに決めてくれ」
受付嬢は満足げに頷き、奥へと声を飛ばす。
「おーい、マスター! ちょっと顔出してくれないか!
“ストーンリザードを倒した新人”様の実技を見ておくれ!」
ギルドの空気が、期待と冷やかしでざわめいた。
(B級か……自分の今の実力を測るには、ちょうどいい)
ここから先は、言葉じゃなく――結果で語るだけだ。




