第13話 灰色の獣
影は着地した瞬間、迷いなくアリシアへ向かった。
「キャッ――」
鈍い衝撃音。
杖ごと身体が宙に浮き、土に叩きつけられる。転がる音だけが残った。
(まずい)
鎌を抜きながら、俺はアリシアへ走った。
獣は追わない。アリシアが持っていた袋をひったくり、鼻先を突っ込む。匂いを嗅いで、乱暴に中身をあさり始めた。
――食料。やっぱり、狙いはこれだ。
俺はその隙にアリシアの横に膝をつき、首元に指を当てる。
脈はある。呼吸も浅いが続いている。出血は――見当たらない。
「……」
頭を打って気絶している。だが、息はある。
俺は肩の下に腕を差し入れて引きずり、潰れた荷車の影へ移した。木箱の残骸を寄せ、視線が通りにくいように角度を作る。完璧じゃない。だが、今できる最善だ。
その間に、獣の気配がこちらへ向き直った。
足音が――軽い。
体の大きさに合わない。跳ぶというより、滑ってくる。
俺は立ち上がり、鎌を低く構えた。
灰色の体。人間より一回り大きい。
厚い肩と長い腕。脚は短いのに、踏み込みだけが異様に鋭い。
足の指が内側へ丸まっている。さっきの足跡、そのまま。
――アッシュオーガ。
目がこちらを捉えた。
同時に、口の端が持ち上がったように見えた。
その瞬間、寒気が走る。
この世界に来て初めて、はっきりとした恐怖を感じた。
もし《WARLDS》だったら、レベル的に絶対勝てない相手だ。
だが、今は《死神の加護》がある。
強敵だ。――なら、分析して勝ち筋を探す。
獣が腰を落とす。
来る。
次の瞬間、地面が蹴られた。
風が遅れて耳に届く。
俺は刃を横に滑らせ、進路を切る。
ガギン、と硬い音。
爪が鎌の青い刃を叩き、衝撃が腕を通って骨まで震えた。
(重い)
受けた瞬間に分かる。力が違う。
押し返された分だけ足が半歩ずれた。
そこへ追い打ち。
長い腕が伸び、もう片方の爪が腹を裂きにくる。
俺は身体を捻ってかわし、鎌の柄で弾く。
弾いた――つもりだった。
獣の腕が沈まない。
軽くいなしただけで、こちらが押される。
(速い。……ほぼ同じだ)
今までは速さで先に触れて終わった。
だがこいつは、反応も踏み込みもついてくる。
距離を取る。
獣は即座に詰め、距離そのものを許さない。
踏み込んで、獣の前腕へ鎌を振りかぶった。
刃は走る。だが――浅い。
皮膚が硬い。肉まで届かない。
(鉄に向かって切り付けているみたいだ)
次の動きが、速い。
正面からじゃない。
荷車の残骸を蹴り、角度を変えて横から来る。
(……こいつ、跳び方を選んでる)
石橋の欄干側へ一歩ずれて、正面から攻撃を受けれるように誘導する。
逃げ道は狭くなるが、正面以外から攻撃を食らったら終わる。
獣が跳ぶ。
俺は刃を立てず、柄を前に出して受ける。
衝撃が来た。腕が痺れ、足元の土が削れる。
押し負ける。
欄干に肩が当たり、息が詰まった。
(体力と力は――向こうが上)
速さが互角なら、殴り合いの長さで負ける。
なら、長くしない。
俺は鎌を引き、刃先を“切る”角度から“掛ける”角度へ変えた。
獣の肘の内側へ刃を引っかけ、踏み込みを止める。
獣が腕を引く。力任せ。
俺は引かれた瞬間に合わせて体を捻り、獣の身体を前へ流した。
重心が崩れる。ほんの一瞬。
その隙に、膝――関節の裏へ刃を走らせる。
ザリ、と嫌な感触。
深くは入らないが、確かに“引っかかった”。
獣は片足を浮かせ、橋石を掴むように踏み直す。
転ばない。踏ん張りが異常だ。
振り返りざまに爪が来る。
俺は後ろに跳んだ。
頬の横を風が裂き、皮膚が熱い。浅く切られる。
この世界で初めて、まともにダメージを受けた。
だが、痛がっている暇はない。
(当てても浅い。受ければ持っていかれる。――条件が悪い)
俺の速さで勝ち筋を作る。
だが、こいつは速さが同格で、なおかつ硬い。
つまり、同じ“速度勝負”に持ち込んだら、最後は体の強度で負ける。
――なら。
「……一点だ」
聞こえないように息だけで呟く。
狙うのは、硬い皮膚じゃない。関節の内側、首の付け根、呼吸の通り道。
薄い場所だけ。
獣が鼻を鳴らした。
地面を蹴る音が、さっきより低い。
(来る角度が――違う)
真正面じゃない。
一度、右へ。視線だけで俺を縛って、次の瞬間に左へ跳ぶ。
“反応”を見てる。
俺の避け方の癖を、今この場で覚えようとしている。
背中が冷える。
同時に、妙な確信が刺さる。
――こいつは、獲物を“狩る”個体だ。
俺が一歩引いた瞬間、獣が踏み込んだ。
石の上を走る音が、ほとんど鳴らない。
速い。
鎌を振る。
刃は間に合う。――間に合ったはずなのに、獣は“刃の外側”を通ってきた。
視界が灰色で埋まる。
肩に、硬い何かが食い込んだ。
次の瞬間、地面が消えた。
――吹き飛ばされた。
背中から落ち、息が肺から抜ける。
土が口に入る。視界が揺れる。
鎌が手から離れかけ、必死に柄を掴み直す。
腕が痺れて動かない。
(立てない)
身体が言うことを聞かない。
一撃でここまで。これが、純粋な“力”の差。
獣がこちらに向き、笑ったように咆哮を吠えた。
(……せめて腕だけでも持っていってやる)
俺は歯を食いしばり、鎌の柄を地面に突き立てて体を起こそうとする。
だが、肩が裂ける痛みで視界が白む。
その瞬間、獣が跳んだ。
灰色の影が、こちらに向かって一直線に進んでくる




