第12話 石橋の痕跡
石橋の近くまで来ると、空気が変わった。
冷たい風のはずなのに、湿った生臭さが混じっている。
橋の入口を、潰れた荷車が半分塞いでいた。
車輪は折れ、荷台は上から押し潰されたみたいに歪んでいる。
「……ひどい……」
アリシアの声が細くなる。
俺も、視線だけで状況を拾った。
板の割れ方が粗い。刃物じゃない。
叩き割ったというより、重いものが勢いでぶつかって崩した――そんな潰れ方だ。
護衛の死体は見えない。
川に落ちたのか、引きずられたのか。どちらにせよ、ここで終わってない。
俺は荷台の裂け目を覗き込み、散らばった木箱に目を止めた。
箱は壊れているのに――中身の痕が薄い。
木片を退ける。
布や金具、細々した道具は残っている。金目のものを探して荒らした感じじゃない。
代わりに、割れた樽の破片。
鼻に来る匂いは塩と油。保存食だ。
「……食料を抜かれてる」
声が自然に落ちた。
「食料……?」
「荷台を潰してでも中身だけ割ってる。目的が“奪う”なら、こっちのほうが早い」
何者が。
しかも、ここまでやって人目につく場所で――。
その時、アリシアが少し離れた場所でしゃがみ込んだ。
「怜さん、こっち……!」
声のトーンが変わっている。
俺は荷車から視線を切って、アリシアの横に立った。
土がえぐれている。
踏み荒らしの中に、形が残った跡が混じっていた。
――足跡。
人の足より一回り大きい。
それなのに、沈み込みが深いわりに輪郭が崩れていない。踏み込みが鋭い。
アリシアが縁をなぞり、首を傾げる。
「……オーガの足跡に似てるような……」
アリシアは指先で、足跡の前側――指のあたりを示した。
「でも、オーガならもっと大きいです。これ、一回り小さい。
それに、オーガって踏みつける感じで、もっと土がぐちゃぐちゃになります。こんなふうに形が残らないです」
俺も前側の形を見る。
指の跡が、わずかに内側へ丸まっている。踏み込みの向きが揃ってる。
――この丸まり。
胸の奥に、嫌な既視感が引っかかった。
《WARLDS》の図鑑で何度も見た、あの足だ。
「……アッシュオーガか?」
口に出した瞬間、アリシアがぱっと顔を上げた。
「アッシュオーガ……? それもオーガなんですか?」
「上位種だ。オーガより小柄なのに、力は落ちない。……で、すばしっこい」
足跡の間隔を追う。
歩幅が飛んでいる。走りというより、跳んでいる。
ゲームの知識じゃ、こいつは人が通るような街道には出ない。
なのに、ここにいる。しかも荷車を狙って、繰り返し。
「……なんで、こんなのが街の近くに……?」
アリシアの声が少し震えた。
「分からない。だが、ここで襲ってるのは間違いない」
荷台の荒らされ方。残された物の偏り。
信じ難いが、辻褄は一つに寄っていく。
「……食料品を狙って、人を襲っている」
アリシアは膝の上に紙を広げ、足跡の輪郭を丁寧になぞっていく。
縁の丸まりまで逃さず写し取って、最後に深呼吸した。
「……できました。これなら、見せれば分かると思います」
「十分だ」
俺は足跡の縁の土を少し削って布に包み、袋に入れる。
荷車の破片に残った擦れ跡も、指先で確かめてから同じ袋へ。
周囲も一通り見た。
橋の下、欄干、荷車の反対側。目につく痕跡は拾い終えている。
――依頼の目的は達成した。
「これで依頼の目的は達成だ。帰ろう」
「はい」
アリシアが紙を畳み、袋にしまう。
それを抱えて、こちらに向かって歩き出した、その時だった。
橋の陰。
荷車の残骸の向こうに、“影”が立っていた。
一瞬、呼吸が止まる。
背筋に冷たいものが走った。
魔物にしては小柄――だが厚い。
腕が長い。肩幅が異様に広い。
人型に近いのに、立ち方が“獣”だ。
次の瞬間――地面が蹴られる。
速い。音が遅れて届く。
「アリシア、下がれ!」
叫んだ時にはもう遅い。
影は一直線じゃない。荷車を踏み台にして、角度を変えて飛んできた。




